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青木やよひ追悼・レクチャー&コンサート 川口恵子
2010.08.13 Fri
盆の入りが近づき、あれほどの猛暑もなりをひそめ、なにやら暦どおり、うっすら「立秋」の気配すら漂う日が続いている。
今回は、盆の季節にふさわしく、去る6月13日に津田ホールで開催された、青木やよひさんの追悼コンサートの報告をさせていただく。外は、おそまきながらの蝉時雨。あまりの暑さに蝉も鳴かぬ夏日だったが、ここにきての曇り空に、ようやく、命を限りと鳴き始めたようだ。通りを歩けば、あちこちの家の壁に蝉の抜け殻がはりつき、路上には乾いた蝉が転がる。命の営みの移り変わりに、いやでも、思いを馳せさせられる季節だ。
「『ベートーヴェンの生涯』を聴く 《悲愴》からディアベリ変奏曲へ」というコンサートのタイトルは、もちろん、青木さんが晩年、精魂をかたむけられたベートーヴェン研究の著作にちなむものである.昨年11月末に亡くなる直前まで,校正作業に関わられたという『ベートーヴェンの生涯』(平凡社新書)は,翌12月に刊行された。追悼にふさわしい題名だ。 訃報に接する一ヶ月前,青木さんと北沢方邦さんご夫妻の近年の活動拠点、伊豆高原のヴィラ・マーヤで、「知と文明のフォーラム」主催による生殖倫理に関わるシンポジウムが開催された。一聴衆者として参加した同シンポジウムは非常に充実した内容で、研究者、運動家、問題の当事者が自由に意見を交換しあえる熱気に富むものであった。シンポジウム後の歓談も、学生時代の気楽さが再び戻ってきたようなリベラルな雰囲気だった。ご夫妻の住まうお宅の知的雰囲気がそうさせてくれたのだと思う。その時、青木さんは、既に体調を崩していらっしゃったが、気丈に、皆の前で話をされていた。トレードマークの、若々しい,娘のようにつややかな、ある種の快活さをひめた声で。
コンサートの演目は、高橋アキさんのピアノ演奏による、《ピアノソナタ第8番〈悲愴〉作品13》、そして《ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲作品120》であった。最初に、北沢さん、作曲家の西村朗さん、高橋アキさんによる、静かな知性とユーモアに富む対談があり、続いて、高橋さん演奏による《悲愴》、次に、北沢さんと西村さんの能弁闊達な対談をはさんで、最後に、再び高橋さんの演奏による《ディアベッリの変奏曲》が披露された。
語らずして、ごく自然に、故人への「追悼」の儀式が遂行されていく、素晴らしい公演であったと思う。公演の前や休憩時間では、多くの関係者らしき聴衆者が、互いに挨拶を交わし、あちこちで親密な歓談がなされていた。私自身は、前述のフォーラム主催のセミナーを通してしか故人にお目にかかったことはなく、関係者の方々とも深い接点をもたないが、それでも、演奏に耳を傾けながら、壇上に飾られた写真のもの問いたげな表情に目をやる内、おのずと厳粛な気持ちにさせられた。
《ディアベッリの変奏曲》は、その名のとおり、同じ主題の変奏曲が33通り、演奏される。筆者の研究するマルグリット・デュラスの『インディア・ソング』にも、一部使われている曲である。そのため、曲名には馴染んでいたが、コンサートで「通し」で聞くのは初めてだった。高橋アキさんも、この日、初めて、通し演奏に挑戦されたという。
1時間近い熱演(帰りに購入したヴァレリー・アファナシエフ演奏のCDによれば66分11秒)に、文字通り、心地よく意識をゆだねていると、ふと、何かが「つながった」という奇妙な感覚にとらわれた。そしてその直後、数えていたわけでもないのに、33曲目の演奏が終わったことに気付かされた。33という数字の魔力なのだろうか。繰り返される変奏の波が、何かのはずみで、聞いていた私の波長とあったのだろうか。
演奏を聴いている間、私は、なんとなく、故人の年齢と今の自分の年齢差(一世代違う)に思いをはせ、連想的に、今の私と同じ年齢で父が死んだことを思い出し、それが、既に30年前であったことに思い至り、再び連想的に、私が初めて息子をもち親となった年齢が、その時は既にこの世にいなかった父が初めて親となったのと同じ30歳であったことに、思い至った。ぐるりと、世代と世代が連鎖的につながっていく―――。「つながった」というのは、そういう連想の果てに到来した境地だった。ひとりよがりの記述で申し訳ないが。
一つの主題を、変奏を伴ないつつ繰り返す「33の変奏曲」を、生で、「通し」で聴く体験がもたらした、意識の流れだったのかもしれない。あるいは、ある種の霊的体験だったのか。そういえば、最初の対談で、高橋アキさんが、青木さんの霊的パワーといったものに触れられていた。青木やよひさんの存在感と、高橋アキさんのピアノと、そして会場の雰囲気と、すべてが作用した偶然だったのかもしれない。
コンサートを主催したのは、前述の「知と文明のフォーラム」。秋には、再び、女性の身体と生命倫理に関わるシンポジウムが予定されている。青木さんが1980年代に提唱された、エコロジカル・フェミニズムの延長線上にある、しかも、生殖技術の発達した今、きわめて重要な主題である。愛するベートーヴェンの音楽で追悼され、さらには、もう一つの研究テーマで、知的追悼がなされる。
一人のすぐれた女性のライフワークが、書き物だけでなく、生の演奏をとおして、そして、人々が語り合い、知的生産活動を紡ぐ場を通して、新たな文脈で再生し、受け継がれてゆく。そうした過程に、一聴衆として、立ち会えたことに感謝したい。女性が女性に与える影響力というものについて、エンパワメントについて、あらためて考えさせられる追悼コンサートであった。
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