エッセイ

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「旅は道草」その14 ベネルックス三国を行く   やぎ みね

2010.08.20 Fri

 ベネルックス三国(Belgie、Nederland、Luxembourg)に行きたいと思った。ともに国境を接する立憲君主国、公用語も似かより、歴史的にも密接な関係を持ち、周りの大国に抗して、1948年、ベネルックス関税同盟を結び、1960年には経済連合を発足。現在のEUの起源にもつながったとされる、ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの三国。

 アムステルダム・スキポール空港は、ヨーロッパ有数のハブ空港。出発・到着・乗り継ぎの利便さ、手頃な免税店やスーパーマーケットが5店舗。籐で編んだピーナッツ型の椅子に揺られて、ロビーで休憩するのも楽しい。

 東京駅のモデルという、アムステルダム中央駅。近くのVVV(Verniging voor Vreemdelingen Verker)のインフォメーションで宿を探す。8月の終わり、気温は16°C、日本の暑い夏とは大違いだ。

 網の目の運河沿いを歩く。船が通ると開閉する木造のはね橋・マヘレ橋。国立博物館では、フェルメールや、レンブラントの「夜警」の大きな絵に見入り、ゴッホ美術館も、ほど近い。寒い冬には運河が凍り、スケートで遊ぶ人たちもいるという。 朝早く、旧教会まで歩く。教会裏の運河に沿って、ショウウィンドーが、ずらりと並ぶ。ガラス窓のカーテンをいっぱいに開き、肌もあらわな女の人が椅子に座っている。向こうから中国人らしい若い男が近寄ってくる。「Are you Chinese?」と声をかけられ、「Japanese」と答えると、黙ってスーッと通りすぎていった。後で、そのあたりが、「飾り窓の女」といわれる場所だと知って、びっくりした。

 数年前、大阪・天王寺界隈にある、飛田新地を通ったことがある。再開発地区の高層ビルを通り抜け、小学校前を折れると、急な石段と狭い出口が一つ。かつて逃亡をはかる遊女たちを引き戻すため、上から厳しく見張っていた番小屋の跡だという。石段下の両側に大きな構えの店が並ぶ。広い間口の玄関を開け放ち、「やりてばばあ」らしき女性が一人、店番をしている。新地を通り抜け、右へ曲がると、そこは賑やかなジャンジャン横町だ。

 ユーレイルリージョナルパスを使って、オランダ鉄道(NS)、ベルギー国鉄(SNCB)、ルクセンブルク国鉄(CFL)、フランス国鉄(SNCF)と乗り継いで行く。インターシティでベルギーへ。パスポートチェックにきた車掌が、「ここは一等車だよ」という。間違って二等切符で一等に乗ってしまったらしい。おまけをしてくれて、追加料金10ドルを払う。

 ブリュッセルから西へ100キロ。水の都・ブルージュは、北海まで、あと13キロ。海運を通じてハンザ同盟の町として毛織物交易で栄えた町。今は、中世のおとぎの国そのままに、夕暮れ、運河を渡るとカリヨンの鐘の音が聞こえてきた。

 ルクセンブルクは日本の県一つくらいの大きさ。人口わずか50万人弱。小国だが、ヨーロッパ有数の豊かな国だという。EUの主要機関の設置も多いベネルックス三国、EUの原型となる、国同士の結束を、早い時期から固めてきたのだな、と思った。

 インターシティでパリ北駅に到着。地下鉄でカルチェラタンへ。パリ第3・4大学近くの小さな宿をとる。1968年、5月革命の頃、デモの学生が、石畳を剥がして機動隊に投石、追われて屋根裏部屋に逃げ込んできたと、パリ在住の女友だちが言ってたな。それももう、ずいぶん昔の話になってしまったけれど。

 旅の終わりは、いつも雨。5日間のパリ滞在を終え、シャルル・ドゴール空港への車中も、雨に急かされての帰国となった。またの再訪を楽しみにして。

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