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「森村泰昌ーなにものかへのレクイエム」記念対談上野千鶴子×森村泰昌レポート  ほりり

2010.09.21 Tue

縁取りが黒いスクリーンと、中央にガラスのテーブルが置かれた壇上に、単一色の濃淡のスーツの森村泰昌さん×襟の開いた真紅のブラウス、濃紺のロングスカートをふんわりと身に纏った上野千鶴子さんが「今日は敬意を表して女装してきました」と観衆をつかむ。
2010年6月26日~9月5日、豊田市美術館にて、森村泰昌―なにものかへのレクイエムが開催され、9月4日(土)記念対談が開かれた。
自由で明快な語り口の上野さんと、どこか不自由で曖昧な森村さんは、出で立ちに相応した印象を受ける。命題「A=Bである」を論ずる学者と、作品に受け手の自由さを寛容する芸術家のコントラストがモノトーンをバックに、くっきりと映える。終始、「話がながくて・・」と前置き、後置きする森村さんに「なるほどなぁと思うのは・・」と、そのながくて取りとめのないと思われる話の核を取り上げて見せる上野さんを見ていて、語弊があるかもしれないが、一般的に結論を明確にする男性と、結論はぼかして経緯を話したがる女性にあてはめて、私は逆転を見ているような錯覚を覚えていた。
「なにものかへのレクイエム、20世紀のオトコ達とオンナ達」は、『女優シリーズ』と『戦場の頂上のオトコ達』の2部構成であった。「これだけは聞かせて。」と森村さんに「その容貌と体型がなかったら、たとえば小沢一郎さんみたいだったら、こういうことをしていたか、していなかったか?」と問う。森村さんが演じるのは、ゲバラ、ゴッホ、アインシュタイン、ヒットラ―、三島由紀夫、モンロー、バルロー、ヘップバーンなどなど、20世紀を生きた人物たち。YesかNoで答えられる上野さんの質問にたいして、森村さんの話はせめぎあい、なかなか着地点を見ない。
では、演じることで伝えたいこととはなんであったか。フェイクに込められた思いとはなにか。森村氏曰く、「とりあえず、そういう時代のなにかを引き受けてしまった」と。こうして覚悟をして背負ったオンナ達の『女優シリーズ』、オトコ達の『戦場の頂上のオトコ達』はまた、20世紀のコントラストをかたどっている。そしてすこし躊躇しながら、森村さんは今の心境を語る。作品から受ける印象とかけ離れた言葉が森村さんの口からもれる。「死の淵、ゼロの立ち位置を体験して、オトコとオンナ、死ぬ際になったら、どっちでもいいやん、と思った。」
辛抱強く見守る上野さんは、「自分をこんなに増殖させてどうするの?何にでもなれるんだから、その気になれば何でもできる。私さがしなんか、やめなはれ」と吐露する。
「セルフポートレートを通して、自己との対話はしてきたけれど、欠如していたものがあった。それは他者です。」これからどのように自分は考えるのかを、最後に森村さんは自分に問いかけていた。
男装したオトコが刻んだ歴史のなかで、そう、すべてのオトコが見失っていたもの。命ある他者。そして私は女装したオンナ。今日、それが聞けてよかった。

タグ:アート / 上野千鶴子 / 森村泰昌