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しばしの育児狂騒曲 やぎ みね
2010.10.20 Wed
夏の暑い日、新しいいのちが、やってきた。初めての赤ちゃんだ。名前は「佑衣(ゆい)」という。
秋の日、里帰り出産を終え、娘と孫娘が京都から東京へ帰っていった。風のような慌ただしい時が過ぎ、ようやく一人になって、ホッとひと息。でも、ちょっとさびしい。
誰かが、私の時間を必要としている。40年前、もうすっかり忘れてしまった子育てと、30年前、義母の看護とみとりの時間と。生まれてくるいのちと、なくなっていくいのちと、誰かのために、必要とされる人がいる。そばにいるのは、たとえ家族でなくても。
いまどきの子育ては、昔とは大違い。出産に立ち会うイクメンも多い。疲れている母親に代わって、かいがいしく、おむつを換え、ミルクを飲ませる父親たちを、よく見かけた。ただし、イクメンはいるけれど、イケメンは少ないな。
そういえば昔、私の元夫は、一度も、おむつを換えたこともなければ、お風呂に入れたこともなかった。買い物に行こうと膝に預ければ、子どもは「ぎゃあー」と泣きだす始末。若かった頃は「そんなもの」と諦めていたけれど。ところが、どういうわけか、この子の誕生を知って、20年前、別れた夫が、孫に会いに来たのだ。久しぶりの再会に、お互い、歳をとったなと実感したものだが。
紙おむつを使わず、布おむつにしたら、一日最低、20組は換えなければならない。すぐ乾くとはいっても洗濯が大変。おっぱいが足りているのに泣いている。そのわけがわからず、オロオロする。育児ノイローゼやネグレクトも、わからないではないが、ままならぬ、怪物のような生き物に、慣れない親が右往左往する日々も、過ぎてしまえば、すっかり忘れてしまう出来事なのかもしれない。それにしても不思議。私が抱くと、なぜかピタッと泣き止む。名付けて、「ばぁばマジック」という。
旭川から父方の祖母がトワイライト・エクスプレスで来てくれ、熊本から母方の曾祖母が新幹線でやってきた。おかげで、その対応に、夏の暑さも加わって、親子ともども、くたびれてしまった。でも感謝しなければ。
天から授かったいのち。この子が、これから生きていく時代は、どんな世の中になるのやら。まだ見ぬ未来を、私も、そーっと、そばで見守っていきたいなと思う。
さて、しばしの育児狂騒曲から解放され、ようやく、ひとりの時が戻ってきた。
さあ、これからが私の時間。「書を捨て」て、いや、「書を携え」て、街へ出ようか。