エッセイ

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日本的経営を支えたジェンダー構造 【特集:セミナー「竹中恵美子に学ぶ」レポート⑤】    牟田和恵 

2010.10.23 Sat

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10月15日は講座第5回。体調を崩され、立っているとふらふらするという状態にもかかわらず、受講生の期待を裏切りたくないと登場してくださった竹中先生。それでも、いつもと変わらない明晰な語り口で80分の講義があっという間でした。

「日本的経営とジェンダー構造」と題された今回の講義は、(1)日本的経営のフレキシビリティ(弾力性)の特質――1990年代初頭まで、(2)新・日本的経営への移行とフレキシブル化――1990年代以降、(3)ジェンダー視点からみた税制・社会保険制度、の三つをポイントとして進みました。

(1)日本的経営のフレキシビリティ(弾力性)の特質――1990年代初頭まで

ジェンダー視点からみると、日本は、独特の経営のフレキシビリティを実現してきました。大企業で働く男性は、雇用を保障されながら企業内で転勤や配転、残業をこなしながら「質的」にフレキシブルな労働力となります。これを、非正規労働者や下請け労働者たち(女性がその圧倒的多数を占めます)が、「量的」にフレキシブルな労働力となることで、日本的経営に独特の、フレキシビリティが実現されたのです。これを支える中核となっているのが「夫が稼ぎ、妻が家族の世話を全面的に引き受ける」性別分業家族です。

その家族は、男性に家族賃金を支給し、女性は扶養されることを前提として職能訓練等をしない企業の雇用管理、そういった家族が有利になるような、国家の税制・社会保障政策によって長く維持されてきたということはよく指摘されるところですが、それに加え、労働組合もまた、性別分業家族を前提とした賃金要求をするだけでなく、労働時間要求についても、労働か余暇かという二分法しかなく、家事やケア労働を多く担う女性の経験に基づいた働き方を求める発想はなかった、という竹中先生のご指摘は、ケアの問題に関心が高まっている現在、とくに納得できるものでした。

(2) 新・日本的経営への移行とフレキシブル化—1990年代後半以降

この時期、「規制緩和」路線が始まります。1995には日経連から『新時代の「日本的経営」』が出され、従来終身雇用を保障されてきた労働者のスリム化が図られます。雇用を保障され昇給や賞与がある労働者は一部にとどまることとなったのです。

その背景としてあったのは、新技術の登場や、労働者自身の「終身雇用」についての価値観の変化だけではありません。もともと、終身雇用・年功賃金制度は、雇用が継続され、後々、昇給していくことを前提として、若手を安く雇えるために、人件費全体を抑えることのできるメリットが企業側にあったのですが、高齢化のために若手の数が減少し、年功賃金制度がネックになって人件費が高騰することとなったのです。そこで、正規労働者の中から短時間正社員を作り出したり、パートを戦力化する企業戦略が始まりました。

そのパート労働政策においても、日本の企業は、世界の趨勢に反していきます。国連・EUは、かつてはパートのフルタイム化を推進することを目標としていましたが、81年からパートとフルの均等化をめざすよう方針を転換、94年に均等待遇を実現しました。ところが日本の場合、1993制定のパートタイム労働法では、定義により疑似パート(フルタイムパート)が対象外で、法律の適用外となりました。また、めざされているのが、均等ではなく、「均衡」(多少の幅を持った均等、というわけわからない定義です)であり、しかも、努力義務にすぎず雇用主に対する強制権がないという不十分さでした。

2007年には、改正パートタイム労働法が制定されましたが、これもやはり、「日本型均衡処遇ルール」に基づくものでした。つまり、職務と責任、転勤・残業の有無などの同一性で均衡を考慮するというもので、したがって、それらが違えば均等でなくていい、ということです。要するに、均等待遇が適用されるのは、正社員と全く同一の働き方をするパート労働者のみということで、事実上パート労働者の均等待遇は否定されたのです。

(3)ジェンダー視点からみた税制・社会保険制度—1980年代以降

戦後税制はシャウプ勧告により個人単位の税制としてはじまりましたが、しかしその後、変容に向かいます。

61年には、所得税配偶者特別控除が導入され(いわゆる103万円の壁)、87年には配偶者特別控除が、サラリーマンの妻の内助の功に報いるためという理由で導入されました。よく知られているように、これらの措置は、年収130万円の年金の壁(それ以下なら夫の年金で妻の年金権が得られる)と合わせ、女性の本格的就労を抑制し、女性を低賃金労働者にとどめる働きをしてきました。

とくに年金制度は、1985年の国民年金法改正ですべての国民の基礎年金を保障する皆年金制度になったことにより、年収130万円以下である被用者の被扶養配偶者(つまりサラリーマンの妻)は保険料の支払いが免除されるという、いわゆる第3号被保険者問題も発生しました。女性の低賃金・低年金は、高齢期の女性の貧困問題にも直結しています。

今回の竹中先生のお話の中で痛感させられたのは、1979年の女性差別撤廃条約締結、1986年の均等法施行と、男女平等を実現するはずの潮流の中で、それに逆行して性別分業を作り出し、女性を扶養される存在に押しとどめる新たな規範が制度的に作り出されていったということです。それが日本社会の経済的繁栄を実現したというのは、一面の事実でしょうが、だからこそ、日本経済が疲弊し曲がり角にある現在、新たな組み換えが求められているのではないでしょうか。

カテゴリー:セミナー「竹中恵美子に学ぶ」 / シリーズ

タグ:労働 / 竹中恵美子