2011.01.18 Tue
かつての赤線地帯を歩いてみる
この映画のタイトルにある「洲崎」という地名は正式な地名としては残っていないが、現在の東京都江東区東陽町一丁目のあたりを指す。戦後復興のただ中にあった昭和30年代、当時の東京に点在していた赤線地帯のひとつ「洲崎」を舞台にした、若い「ダメカップル」と、貧しくもたくましく生きる人々との、梅雨から2ヶ月ほど(たぶん)の日常を切り取った物語だ。
当時20代半ばの新珠三千代が「水商売風の女」蔦枝を、30代半ばの三橋達也が堅気の仕事につけない「ダメ男」義治を演じる。お金が底をついて行き場がなくなった二人は、洲崎行きのバスへ駆け込む。着物に下駄でパタパタと小走りする蔦枝の姿は、現代日本人が失った美しい所作だと思わず見入る。バスを降りた二人は「洲崎パラダイス」のネオン輝く橋のたもとの飲み屋に偶然入る。その店を女手一つで切り盛りする、轟友起子演じる苦労人のおかみさんに対し、蔦枝は働き口を世話してくれと頼み込む。現代の感覚からすると唐突で図々しいお願いを、あっさりと引き受けるおかみさん。今では敷居が高くなってしまった「人の世話をする」こと、「人の世話になる」ことは50年前の日本には当たり前にあったのだと感心する。
新しくついた蕎麦屋の出前の仕事に身が入らない義治と蔦枝の間にすれ違いが生じている最中に、おかみさんは大事件に遭遇してしまう。その事件後のおかみさんに注目すべき変化が起きた。それまで割烹着だったおかみさんが、事件後は洋装に変わってしまったのだ。このおかみさんの変化は、戦後の日本社会が高度経済成長へとダイナミイックに変化していく過程そのもののメタファーになっている気がして、とても印象的だった。そういう街中の小さな生まれ変わりを繰り返して今日の日本社会があるのだろう。「時代は変わった、そして女はさらに強くなった」。おかみさんの変化から、そのようなメッセージを感じた。
鑑賞後思ったのは、この映画は当時の世相を忠実に表し、観客にとっては見慣れた光景、見慣れた人々が登場する映画だということだった。昭和24年生まれの私の母によると、1950~60年代の日本映画は、日常からあまり離れていない内容が多く、映画好きではない普通の人からすると「ある程度見ると飽きてしまった」らしいが、現代のハリウッド映画のような「絶対にありえないこと」や「非日常」がテーマの映画に見慣れてしまうと、逆に生活感溢れるこの映画に新鮮さを感じた。なによりも、三種の神器も登場する前の貧しかったころの東京の街と人々をそのまま描写したリアルさと素朴さに大いに刺激を受けた。
洲崎地区は現在どうなっているのだろうか。実際にかつての洲崎に行ってみた。最寄り駅の東西線木場駅を降り、永代通りを砂町方面に向かうと東陽三丁目という交差点に出る。その交差点を右に曲がると、すぐにこんもりとした上り坂になる。昔はこの道の下に川があり、坂は橋の名残なのだとすぐにわかる。坂のすぐ右手にある小さな公園のようなスペースに、「洲崎橋跡地」と書いてある石碑が地味ながらあった。この道は生活道路で交通量が少ないにもかかわらず、片側二車線でやたらと幅が広く、昔は繁華街であったことを彷彿とさせる。驚いたことに友人によると、この道は「大門通り」と呼ばれ、大門とは吉原大門をさし、北の方角に進むと吉原にたどり着くという。さっそく地図で調べてみると、確かに言問通りと合流し、吉原と一本道だと言えなくもない。2つの赤線地帯はエリアこそ違うものの、しっかりとつながれていたのだった。
ひとつの映画から思いもよらない(トリビアな)発見があった。過去と現在を貫く証をみつけるというのも古い映画をみることの大きな醍醐味であると感じた。
露崎茉莉子/都内勤務のOL、ときどきライター。今年の目標は文章修行をコツコツすることと家事全般を頑張ること。
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ