2011.01.18 Tue
2010年、私がはまりにはまったのが『済衆院(チェジュンウォン)』(SBS 2010年1月4日~5月8日 KNTV同5月16日~11月27日 全36回)だった。
『済衆院』とは、1885年に創立された韓国で最も古い近代西洋医学病院の名称で、現在ソウルにあるセブランス病院の前身といわれる。そこに併設されていた医学校が舞台のメディカル歴史ドラマで、演出は『江南ママの教育戦争』のホン・チャンウク、脚本は『白い巨塔』のイ・ギウォン。
主人公ファン・ジョン役に『シュリ』等にも出演したパク・ヨンウ。その良きパートナーで、通訳官の家の娘として近代的な教育を受け、仕事も結婚も自分で選び取っていくという女性ユン・ソクランを『朱蒙』のハン・ヘジンが演じている。また、ファン・ジョンとはある意味「対照的」ともいえる両班の家の子として恵まれた教育環境のもとにいながらも、西洋医学に傾倒し、ファン・ジョンのライバルとなるペク・ドヤン役を、『エデンの東』のヨン・ジョンフンが演じている。
-『済衆院』の時代-
メディカル歴史ドラマといえば『大長今』が思い起こされるが、『済衆院』が描く時代はそれよりも遅く、朝鮮王朝末期から1910年頃まで。それは朝鮮の開国と近代化の時期とも言えるが、視点を移せば1875年江華島事件によって日本が朝鮮への侵略をはじめて、1910年に強制併合をおこなうまで。つまり現在から100年遡った時期までの設定である。1895年の明成皇后暗殺事件も取り上げられ、1910年に至るまでに、どのように残虐に狡猾に朝鮮侵略をすすめたのか、それは日本政府だけではなく、一人ひとりの日本人によるものだったことが描かれている。
-マイノリティ出身の主人公 ファン・ジョン-
また、『大長今』がはじめて医師となった女性を取り上げているのに対し、『済衆院』は、被差別民「白丁(ペッチョン)」出身の男性がはじめて医師となる物語である。
「白丁」の出身として描かれている主人公ファン・ジョンは、朝鮮初7人の医師の中の1人で独立運動家でもあった実在人物 パク・ソヤン (1887~1940)をモデルにしている。
「白丁」が肉を切り分ける包丁のことを「神の杖」と呼ぶように、牛を屠(ほふ)ることを、神聖な仕事として誠実に育てられ、学び働いてきた「白丁 ソグンゲ」が、朝鮮初の外科医として成功し、ドラマの最後では独立運動義士として活躍していくというあらすじである。そしてファン・ジョンが外科医として類い希な才能を有したのは「白丁」として牛を屠ってきた知識と技術があったからに他ならない。
ファン・ジョンの本名はソグンゲで、「犬の子」の意味だという。彼の父の名前はマダンゲで「庭の犬」の意味。名前さえも人のように扱われることはなかったのだ。そして長年食肉の配達をしながら一杯のクッパさえ口にできなかった父は、ファン・ジョンを逆恨みした両班によって殴り殺されてしまう。差別や排外が人を殺す。それは「比喩」ではない。また、人々は「白丁」である彼らを排外、差別しながらも、マダンゲが商う精肉を味わい、ファン・ジョンの医術によって絶望の淵から命を救ってもらう。そのような矛盾も、今日なお続いていることである。
-自らを解放するということ-
『済衆院』では、毎回これでもかこれでもかと湧き起こる事件に、ファン・ジョンが「白丁」として授けられ、身に付けてきた智恵と知識、技術、そして誠実な人柄によって解決していく。そうしながらも自らの出自を隠してきた彼が、父のマダンゲを助けたくて「この『白丁』は私の父です」とカミングアウトする場面がある。涙と鼻水とにまみれながら「これは、私の父です。助けてください」というファン・ジョンの表情、この場面がいちばん好きで、何度も繰り返し見た。自分の父が父であることを語るのに、これほどにもエネルギーを要するということ。しかし、そのことの意味を知るからこそ、ファン・ジョンは、父マダンゲを殺害した「敵」の命をも救う。涙と鼻水とにまみれたファン・ジョンの顔には、自らを解放しようと苦悩し、乗り越えようとする者だけが持つ希望が見える。自らを解放することが最も難しいということをファン・ジョンは教えてくれる。
-韓国ではなぜこのようなドラマが制作できるのか-
ドラマの中では、アメリカ人医師のホードンとファン・ジョンの恋人ユン・ソクラン、2人の女性医師や、看護師たちも大活躍する。男性ばかりだった医療の世界に女性が入っていくことで、多様な問題意識がうまれるということ。たとえば、夫からの暴力を受けている女性を保護しているが、法律で妻の側からの離婚が認められておらず困っているので、法律を改正してほしいと高宗に頼みに行くという場面があり「個人的なことは社会的なこと」だということがよくわかる。言うまでもなくそれは今日の問題にもつながっている。
また、被差別民「白丁」が主人公ということで、日本の部落問題を想起させるが、日本ではこのようなドラマはなかなか制作されそうにない。部落解放運動のなかまたちと、「韓国ではどうしてできるのかな?」「すごいな」「韓国では『白丁』の問題はもう解決されているから?」「でも、すごいよな」などと話し合ったりもした。結論は出ていないが、日本ではもう「平等」だと、差別や排外があることから目を閉ざすことで、社会の均衡を保とうとすることに対して、韓国では人の心にはそんな「闇」があることを前提とし、なかなか乗り越えることが出来ないものであるなら、まず制度や法律から変えていこうということを、民主化運動の中で学び取ってきたのではないだろうか。
メディカル歴史ドラマ『済衆院』機会があればぜひご覧ください。