エッセイ

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竹中セミナー第7回 コーディネーター報告 森屋裕子

2011.01.21 Fri

そういう方々も多いと思いますが、私がアンペイドワークのことを正式に(?)知ったのは、北京会議の折、行動綱領を勉強してからです。

15年前この言葉に接することにより、私にとってはそれまでぼんやりベールにつつまれていたもののいくつかが、輪郭をもった形で整理できました。

第一は、私がこだわっていた「主婦労働」は、「政策の問題」なのだということに確信がもてたことです。当時政府が出す行動計画の中身には「意識改革」が羅列されていて、もどかしさを感じていました。「性別役割分担の解消」が強調されていましたが、意識を変えることで「性別役割分担が解消」するわけはないと思っていました。

「アンペイドワーク」という視点を得ることにより、私は、自分がずっとこだわっていた主婦労働の問題は「男女が助け合ったらいい」とかいう「意識の問題」ではなく、労働経済の問題だし、税制や社会保障制度の再構築を通じて、いかにペイド/アンペイドを社会として分担していくかという「政策の問題」なのだという点に確信を持つことができました。

第二は、極めて個人的レベルの話になるのですが、自分の母親の営みの一端が理解できたことです。商家に嫁ぎ、家事育児はもちろん、住み込みの人の世話や商売のあれこれまで担いつつ休みなく働き、しかし、なんとなく「言いきれていなかった」母親の人生が、「アンペイドワーク」というキーワードを通して、多角的に理解できるようになりました。私自身の母娘関係の整理に大いに役立ったのが、アンペイドワークの概念だったのです。

第三は、第三世界の女性たちの状況に少し理解が至ったことです。北京会議の貧困のワークショップで知り合ったナイロビの女性、ジュディの訴えは圧巻でした。女性たちが担う過重なアンペイドワークについて、ジュディは訴えていました。アフリカの女性と個人として話しをするのは、実は初めてだったのですが、アンペイドワークという言葉を共通項として、私とジュディはかなり親しい時を持つことができました。しばらく文通していたジュディのことを今でも思いだします。

講義で竹中先生もおっしゃっていたごとく、日本ではまだ、アンペイドワーク概念の共通理解が進んでいないし、政治もまともに考えてはいません。アンペイドワークの貨幣評価の方法が確立されていないことが影響しているようにも思われます。

今、行政でさかんにいわれているのは「ワーク・ライフバランス」ですが、ペイドワーク・アンペイドワークの考え方がきちんと組み込まれているのでしょうか。見る限り、組み込まれてはいません。「ワークとライフのバランス」というより、「ペイドワークとアンペイドワークとライフ」のジェンダー平等の問題なのではないかと考える今日このごろです。

カテゴリー:セミナー「竹中恵美子に学ぶ」

タグ:労働 / 森屋裕子 / 竹中恵美子 / アンペイドワーク