2011.01.26 Wed
誇り高き英国女性の最後の日々を描くコメディ

c2005 Claremont Films,LLC
人生の最期の日々をロンドンのレジデンス・ホテルで過ごすことを選んだ,誇り高い英国老淑女が主人公の映画だ.
彼女の名はサラ・パルフリー.夫に先立たれた後,彼女をサラと呼ぶ者はもはやなく,周囲からは敬意とともにMrs.Palfreyパルフリー夫人と呼ばれる.
原題も原作どおりMrs Palfrey at The Claremont『クレアモント・ホテルのパルフリー夫人』.英語圏の作品によくある,そっけない題名だが,味わい深い.ホテルに一人で長期逗留する,裕福だが孤独な未亡人のイメージを立ち上げる.
彼女の身の上を映画はそこまで深刻に描いてはいないが,スコットランドに住む実の娘とはそりがあわず,ロンドンに住む大英博物館勤務の孫息子も,連絡をしてこない.家族間の情愛に欠ける,ロンドン版無縁社会の片鱗が浮かび上がる.ホテルに住むほかの老人たちも皆,似たり寄ったりの境遇だ.それでも皆,親戚からの電話や友人との会食などを待ちわびながら暮らしている.・・・物語のほろ苦くアイロニカルな展開は,シニア・ライフのこうした心理的現実に深く関わっているようだ.
さて,物語の続きを少し追ってみよう.同じホテルに住む,底意地の悪そうな老女に「ロンドンに住む孫」のことを口にしたせいで,彼女にとって,この姿を見せない「孫」の存在は次第に負担になってくる.毎日,食事の時間に食堂で顔をあわせる,長期滞在の客たちが「謎の孫」はいつ来るかなどと詮索し始めるからだ(このあたりの人物描写が絶妙).
ある日,偶然,夫人は,図書館からの帰り道,路上で転び,心優しき青年に助けられる.青年の名はルードヴィック・メイヤー.通称ルード.道路を見上げる位置に窓があるような階下の部屋に住み,作家修行中.いまだタイプライターで原稿をうち,ギターを弾き,古い歌(“For All We Know”)を歌うロマンチックで古風な青年だ.夫人は彼に親しみを抱く.それは仄かな恋心といったものに近いのだが.
ルードは,一言でいえば,失われたジェントルマンだろう.路上で転ぶ老婦人の姿に,即座に道路に飛び出し,助け起こし,部屋でケガの手当をし,ブリキのカップで「ティー」を入れ,夫人に差し出す.そして何より輝かしくハンサム(無名時代のルパート・エヴェレットが好演).
そんな青年にお礼をいうべく,夫人がホテルでの夕食に招待するところから,物語は奇妙な方向に向かい始める.ついに「パルフリー夫人の謎の孫」が姿を現したと,ホテルの住人たちが勝手に思い込み,さらなる関心を募らせるのだ.島国根性のイギリス人は,プライヴァシーを極度に守りたがると同時に,ゴシップ好きでも知られる.本当のことを言いそびれた夫人は,青年に頼み,「孫」を演じてほしいと頼む.そして,ホテルの住人たちが注視する中,「おばあちゃんと孫」は腕を組み,ディナーの席につく.住人たちに「見せる」ために茶目っ気たっぷりにウソの演技をする二人の姿が,とても楽しい.温かでほのぼのとした幸福感があふれる場面だ.それが「演技」であることが,本当は,ひどくアイロニカルなのだが・・・
結末が,私たち日本人の観客の想像を少しだけ超えて,現実的であるのもイギリスらしい.原作はさらに皮肉な結末なので,関心のある方は一読されたい.イギリス中流社会の振舞いを,辛らつなユーモアとともに描出する,ジェイン・オースティン以来の伝統を受け継ぐイギリスの女性作家エリザベス・テイラー(女優ではない!)の手による.
原作の辛らつさを示すエピソードとして,一つだけ紹介したいのは,ルードが書き続けている原稿の題名だ(映画ではもしかすると変えられていたかもしれない).
They Weren’t Allowed to Die There.
彼らはそこで死ぬことは許されない.
どきりとさせられる題名ではないだろうか.レジデンス・ホテルは老人が余生を快適に過ごすためにやってくる場所だが,医療施設ではない.何かあれば「彼らは」病院に運ばれ,たいていの場合,二度とホテルに戻ってくることはないのだ.
本作が三作目のカナダ人監督ダン・アイアランドDan Irelandは.国際映画祭を主催し,映画館を経営した後,映画会社の買い付けを担当.その後,映画プロデューサーと監督業に転進したという筋金入りの映画人.興行・上映・製作の仕事を通して観客の好みを知り尽くした監督ならではのウェルメイドな作品だ.ハリウッド映画ではこうはいかないだろう.カナダとイギリスとの精神的つながりもあらためて考えさせる良い映画に出会えたーーーと思って手元の宣伝資料をふとみて驚いた.レニー・ゼルヴィガーが全米批評家協会有望新人賞にノミネートされ演技派として注目されるきっかけとなった「草の上の月」の監督だったではないか!硬質のロマン主義的作風,リリシズムの香り豊かな作品で,私にとって幻の作品だ.これでようやく,本作でワーズワースの詩が印象的に用いられている理由がわかった気がする.
パルフリー夫人を演じる女優ジョーン・プロウライトJoan Plowright の経歴にも驚かされた.50年代の「怒れる若者たち」の旗手ジョン・オズボーンの作品や,イヨネスコの作品,ジョージ・バーナード・ショーの戯曲など,数々の名舞台をふんだ後,ジョン・ヒューストン,ジョセフ・ロージー監督の映画にも出演.名優ローレンス・オリヴィエの妻だった人である.いやはや,英語圏の映画は,舞台出身の名優の層が厚いこと!
マナーがよく,良識と品位を保ち,それでいて他者に対する洞察力と共感力に富む.内心の孤独を人には晒さず,笑顔で矜持を保ちつつ老いを生きるーーそんなパルフリー夫人をしっかりした存在感をもって演じている.ホテルの食堂で朝食についてくるお仕着せのジャム(?)ではなく,好きなマーマレードの銘柄にこだわる場面,可愛かったな.
パルフリー夫人――-この,少し呼びにくい名前は,次第に失われつつあるイギリスの古き良き精神ーーたとえばレディシップといったーーをあらわしているように思われる.この小説を仕上げて数年後にガンの転移で亡くなった原作者にとっても,夫人の姿は,かくありたいと願う理想の老い姿だったのかもしれない.
ワーズワースの詩を唱和してくれる若きジェントルマンがそばにいてくれたら,きっと死への旅立ちも寂しくはないだろう.
スチール写真 c2005 Claremont Films,LLC
2/18(金)まで、岩波ホールにて上映。他全国順次公開中。
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
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