NPO法人WAN 女性学講座

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『新編 日本のフェミニズム』全12巻完結記念公開シンポジウム(3) シンポジウムを終えて 草野由貴

2011.03.01 Tue

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私はリブ、フェミニズムに対するネガティブなイメージは一切持っていなかった。フェミニズムという言葉を初めて聞いたのが、大学の講義でだったからだ。また、リブを知ったのは旧版の『日本のフェミニズム』シリーズを読んでだったような気がする。リブを記憶に残すべきものとして扱った『日本のフェミニズム リブとフェミニズム』を通してリブに出会った私は、リブの大ファンになった。田中美津さんはかっこいい!し、武田美由紀さんが子どもをガキ呼ばわりするのは爽快!だった。時代を超えて私が読んでも共感する部分がたくさんある。当日の田中美津の発言にも、ただただ「美津さん、その通り!」と感激。

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さらに、シンポジウムでは、「このアンソロジーは誰に向けられているのか」という疑問を挙げた。私の大好きな『今月のフェミニズム』から収録されたもりもり☆アイアイさんの文体は読みやすいが、私には難しすぎると思う文章もあったからだ。文章の難易度だけでなく、アンソロジーに様々な論考が収録されること自体はよいことだと思う。それは、たったひとつのザ・フェミニズムをうたうアンソロジーを作ってしまうことへの違和感が私にはあるからだ。例えば、松浦理恵子さんの「嘲笑せよ、強姦者は女性を侮辱できない」は他に類を見ない孤立した、しかし(というか、だからこそ)すばらしいテクストだ。これらの文章が収録されている『セクシュアリティ』の巻には、特に色々と考えさせられた。

シンポジウムが終了してからある方に、「草野さんはセクマイ(セクシュアル・マイノリティ)なんですか?」と聞かれた。たぶん、次のようなことを発言したからだろう。

いくつかの例外を除いて、非ヘテロセクシュアルについては、セクシュアル・マイノリティというくくりや、ゲイ・スタディーズというくくりでまとめられている。逆に言えば、その限られたセクションの外にはヘテロしかいないのが前提となっているのではないか。ジェンダーに関しても同じで、「セクシュアル・マイノリティ」のセクション以外はシスジェンダー[i]が前提のようで、それが私にとって非常に居心地が悪い。

また、セクシュアル・マイノリティとは誰のことか。私の少ない経験からではあるが、セクシュアル・マイノリティを自称する人はほぼいない。それは他者による名付けのための名称にすぎない。そうした立場からすれば、セクシュアル・マイノリティとして非ヘテロセクシュアルが全てまとめられるというのはあまりにも理不尽。さらに、ジェンダーを軸としないセクシュアリティもある。異性愛か同性愛、MtFかFtMという枠組みでは性別二元制を追認するだけになる危険がある。実際、Ft?や無性を名乗る方もいる。こうした研究や当事者の声を聞こうという態度を示さなければ、ヘテロノーマティブである、性別二元制の追認である、という批判は避けられない。

さて、始めの質問に戻ろう。私は「セクマイ」か?私の答えは、次のようだ。

「その質問には答えないことにしています」

はい、と答えれば、ヘテロでないかもしれないという「疑惑」が浮上した時にだけ、セクシュアリティをはっきりさせる「カミングアウトの強制」を許すことになる。

いいえ、と答えれば、「セクマイ」を擁護しながら自らはヘテロという安全地帯を確保することになるだろう。この二重の罠を避けるために、質問に答えること自体を拒否してしまうのだ。

最後に、「フェミニズムはお勉強するものか」という論点を挙げた。確かに私はお勉強フェミニストだと思う。けれど、これは「若い世代」の特徴でもなんでもない。Center for Gender Studies ICU (http://subsite.icu.ac.jp/cgs/)で発行されるCGSニューズレターには学生の声が多く紹介されているし、Gender-Related Education & Action Team, Japan. (http://greatjapan.wordpress.com/)にもすばらしいエッセイがいっぱいだ。Love Piece Club (http://www.lovepiececlub.com/)のコラムも楽しみながら色々考えさせられる。デルタG (http://d.hatena.ne.jp/deltag/)のクイア・スタアディーズ入門は大変勉強になった。ここにはのせないが、個人のブログにも大変刺激を受けている。文字媒体だけでない。志村貴子さんの『放浪息子』や竹内佐千子さんの『ハニー&ハニー:女の子どうしのラブ・カップル』、『男になりタイ!』はジェンダー、セクシュアリティのカテゴリのゆらぎを描くマンガだ。色々なかたちでフェミ的情報発信はされている。

フェミニストの生きづらさは今でもあるし、ジェンダー研究なんて言ったら就職活動で不利になるんじゃないか、と不安に思う友人も少なくない。けれど気づいたらフェミニストになっていたし、たぶんフェミニストをやめることはできない。そうした中で『日本のフェミニズム』シリーズで様々な文献に触れ、それに共感したり批判したりしながら、自分の言葉を紡いでいくのだろうと思う。

会場にはいわゆる「若い世代」は少なかったように思う。けれど、スタッフの代わりにユニバーサルトイレの案内をしてくださった方がいた。会場で展開されるフェミニズムに疎外されていると感じる、と正直な意見を発表してくれた方がいた。どちらもいわゆる「若い世代」。次々と「有名人」フェミニストや「大先生」が指名され、発言する中で手を挙げてくれたのがうれしかった。おかしい!と思っても、なかなか声を上げられない私はこうした瞬発力―田中美津さんのすばらしい言葉を借りれば「獣性」―が必要だと思った。伊藤公雄さんが昔女装したことがあり、女友達を差し置いて「かわいいね」と声をかけられたという話をした時、会場に巻き起こった笑い…。私には女装という行為自体を笑うような、女装した男が女よりかわいいなんておかしい、そんな雰囲気を感じてすごく嫌だった。シンポジウム中にあった「男性学の巻が旧版ではママコ、新版ではゲットーだ」というような発言にも身を固くするだけで何も言えなかった。なぜそんな表現を使うのか…そして何も言えなかった自分に対する悔しさが残った。私にはまだ学問の言葉も、運動の言葉も足りない。シンポジウムが終わった後もいろいろ考えていたら、夜中3時まで眠れなかった。


[i] 割り当てられた性とその人の生きる性が同じ、というくらいの意味。非トランス・ジェンダー








カテゴリー:WANの活動

タグ:フェミニズム / セクシャルマイノリティ / 草野由貴