エッセイ

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「旅は道草」その18 沖縄に原発はない  やぎ みね

2011.04.20 Wed

 沖縄に原発はない。だが米軍基地がある。反原発も反戦も根っこは同じ。いのちを大切にしたいという思いに変わりはない。

  「けっきょく、沖縄がえらぶ道は小国寡民の“独立”以外にない」と、沖縄本土復帰直前、沖縄を訪れた竹中労は『汝、花を武器とせよ 琉球共和国』で、沖縄の独立をすすめた。岡本太郎もまた『沖縄文化論 忘れられた日本』の中で、復帰前の沖縄に日本とは全く異なる沖縄文化の神髄を見抜いていた。

 竹中労は「海を奪うもの――総括」の中で「まさに琉球弧の海と土地はヤマトゥに奪い尽くされた」と書くが、復帰後の沖縄は彼の予見どおりの道を歩んでいるように見える。

  地球女倶楽部イナンナという、女性の異業種交流の会に湧川ふき子さんという、ひまわりのような女性がいた。彼女は若い頃、沖縄から飛び出し東京へ。10年後、再び故郷に戻ってきてイナンナ沖縄支部を立ち上げた。彼女に誘われ、私たちは関東や関西から何度も沖縄を訪れた。彼女が案内するコースは、沖縄の歴史と文化と、海と空と、沖縄の現実と反戦の思想とが一本につながっていた。そういえば、彼女の父は、戦争末期、米軍の魚雷に撃沈された学童疎開船・対馬丸の生き残りの一人だったと、いつか聞いたことがある。

 沖縄には鉄道がない。バスで国道を走る。まずは世界遺産の「首里城」へ。中国が琉球王国と「朝貢・冊封」関係を結んだのはなぜか。中国が鉄砲の火薬を求めて、硫黄鳥島(徳之島近く)の硫黄を必要としたからだと、バスガイドさんから教わった。琉球は海に向かう国、シャム(タイ)や南方の人々と交流する海の民なのだ。「ニライカナイ」(海の彼方にある楽土)は生きていると、車窓からのエメラルドグリーンの海を眺めて実感する。

 彼女のイチオシの店「てんtoてん」で、ソフトクリームのように泡立つ「ぷくぷく茶」をいただく。昔、女たちが夜の浜辺でおしゃべりをしながら立てたお茶だとか。朝、静かな海を見ていて、ふと気がついた。「ぷくぷく茶」の泡は、この白い波なのだと。指でそっと触ると、波はあたたかく、柔らかだった。

 読谷村近くの座喜味城跡。丸くカーブした城壁の石組みはヨーロッパの古城にも似て優雅な佇まいだが、遠くに見える「象の檻」に基地の現実を呼び覚まされる。「安保の見える丘」から嘉手納米軍キャンプを目の前にし、戦闘機ファントムが轟音を立てて訓練飛行するのを確認する。ベトナム戦争時は、ファントムが5分おきに飛び立っていったという。国道104号線を挟み、演習の実弾が飛ぶこともあるという金武町もバスで走り抜けた。

 沖縄の北から南まで、ひまわりの花のような笑顔で案内してくれた湧川さんは、今は、もういない。50歳を前に、4月、桜の季節に逝ってしまった。ひまわりは今、どこで咲いているのだろうな。

  「“花”と沖縄でいうとき、それは華やいだとか、らんまんたるという意味ではなく、つかの間の・散りゆく・うわべだけの・化粧する・うつろうといった虚無感を指す」と竹中労は書く。花を歌った膨大な島歌を集めに、なんども沖縄を歩いた。その花を武器として、「琉球共和国をつくれ」と、彼は言うのだが。

 沖縄には原発はない。そして基地はいらない。

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