エッセイ

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竹中セミナー報告(10)  内藤葉子

2011.05.03 Tue

2011年3月18日に開催された10回目のセミナーは、3月11日に起きた東日本大震災の被災者への黙祷から始まりました。次々と明らかになる被害の甚大さに驚愕し、命を、あるいは家族や家を一瞬で失った人々の苦難を思うと言葉も失います。セミナーも粛々とした雰囲気のなかで始まりました。

今回のテーマは「セカンド・ステージに立つ家事労働論――「ケアレス・マン」を超えて」(赤本第4期127-142頁)です。内容は大きく二つに分かれていて、①日本における家事労働論はいかに行われてきたか、②21世紀――ケアの社会化をめぐる新しい戦略について、でした。

①日本における家事労働論はいかに行われてきたか
(1)1955-75年までの主婦論争
竹中先生も渦中にあって論争を展開された家事労働論は、1970年代から1990年代にかけて焦点が推移してきたといいます。1970年代までは、家事一般を担う「主婦」の評価をめぐって議論が展開されました。とくに70年代には、「職業をもつ婦人は進歩的、主婦は退歩的」という従来のシェーマが反転し、「働く婦人は資本に隷属した存在、家庭婦人は資本労働から解放された存在」という論調が登場したといいます(聞いていた私はその論調に正直びっくりしましたが)。竹中先生は当時(1972年)その対比の問題点を指摘され、家庭の主婦もまた資本の搾取構造の一環に組み込まれた社会層であると批判されました。女性を働いている/働いていないの対比で捉えるのではなく、主婦が無償労働を担っていることが、女性の低賃金を招き、また就業の畸形性を規定している――この指摘は、次に論じられるケアをめぐる問題とも大きく関連してきます。

(2)1990年代以降の家事労働論
1980年代から90年代にかけて、家事労働論の焦点は、家事一般から「ケア」をめぐる議論へと移って行きました。ケア労働がもつ個人的・情緒的・人間関係的性格は、効率性を重視する労働とは異なる特徴をもちます。子育てや介護、自分自身と向かいあう時間など、金銭だけでは計れない時間の価値を重視する論調が現れました。

②21世紀――ケアの社会化をめぐる新しい戦略について
(1)「ケア不在の男性稼ぎ手」モデルから、ケアつき「個人単位」モデルに向けて
1981年、女性の労働をめぐって国際的に大きな変化が起きました。国際労働機関(ILO)において、「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約」が採択されました(第156号)。これは、ケア労働のために仕事に支障をきたす男女の労働者に対して、家族への責任と職業への責任を両立できることを謳った条約であり、女性のみを対象としていた1956年の「家庭責任をもつ婦人の雇用に関する勧告」(第123号)からの大きな転換でした。この背景にはもちろん1979年の女子差別撤廃条約があります。日本の批准は1995年。1991年には男女両性が取得できる育児休業制度が成立していましたが、所得保障はありませんでした。1995年の批准後、徐々に所得保障は拡大されていくことになります。
こうした動きの背景には、1980年代以降、「機会の平等」政策の限界が徐々に明らかになっていったという事情があります。女性が労働力として市場に押し出されてくる結果、家庭内での育児や介護といったケア労働を、女性がこれまでのように無償で行うことは難しくなります。必然的に出生率の低下、非婚・晩婚化、生産年齢人口減といった現象が現れます。経済効率を優先すればよかった「男性稼ぎ手」モデルでは、経済的・社会的な非効率性が生み出されてしまうのです。結果として、ケア労働の外部化(①市場化 ②公的セクター化 ③市民的互助化)が促され、同時にそれだけではなく、「ケアする権利」という考え方に焦点があてられるようになってきました。労働者のモデルは、従来のケアの負担を負わない「ケアレスマン・モデル」から、「ケアつきの個人単位のモデル」へと転換していかなくてはなりません。ケアする権利を男女個々人の労働者が獲得するためには、労働時間の短縮という方向が模索されるべきだと竹中先生は仰います。

(2)先進例
 それではそうした方向性はどのように実践されるのでしょうか。ケアのコストは社会全体によってどのように保障されるのでしょうか。セミナーでは駆け足で、4ヵ国の先進例が紹介されていきます。まずオランダの「コンビネーション・モデル」では、男女がともに働き、ともにケア労働を行うことを推奨することで、雇用と社会保障の男女均等待遇とパート/フルタイムの自由選択制が進められます。ドイツでは、女性だけが育休を利用することは労働市場での女性の劣位を解消しないとして、2001年に育児休業制度が改革され、両親が同時に育休をとることができるようになりました。他にもスウェーデンやフィンランドの事例が紹介されました。
こうした試みは、ケアの社会化とともに、従来私的領域とされていた家族とそのジェンダー関係に公の力が入っていくことを意味します。そして日本も遅ればせながら、ケアの社会化や男女間のフェアな分担の入り口に立ったとして話はしめくくられました。

先進例と比べると日本の現状の遅れ具合は相当なもののように思えます。「ケアする権利」が認められているとは言い難い現状では、とくにケアの負担と労働の双方を一人で担うことになるシングルマザーにもっとも大きなしわよせがいっていると思います。グローバリゼーションやネオリベラリズムの圧力のなか誰もが非人間的な労働を強いられる状況にあって、ケアという人間的な営みを「権利」として構築していこうとする立場は、従来の労働の在り方を変え、ジェンダー不公平な状況を変える可能性をもっているのではないか――竹中先生のお話をうかがって、聴講者はそのように思いました。

次回は4月22日、男女雇用平等政策についてお話されます。また最終回の5月27日は現代フェミニズムと労働論で、これは規模を拡大して特別講演会となる模様です。ご関心のある方は案内に注目しておいてくださいね。

カテゴリー:セミナー「竹中恵美子に学ぶ」

タグ:家事労働 / 竹中恵美子 / 内藤葉子