2011.07.08 Fri
2011年6月11日、日本学術会議堂で、「災害・復興と男女共同参画 6.11シンポジウム」が開かれた。定員300人を集め、申し込みはそれ以上だったということから、今、このテーマへの関心が高まっていることがわかる。このシンポジウムは、3月11日に発生した東日本大震災の被災地において、女性や、高齢者、子ども、障がい者への配慮が十分にされていないこと、また、復興計画会議の委員の中に、女性が15人中1人しかいないという状況への危機感から開催されることになった。そして、「女性たちが必要な時に、声をあげることの出来る社会のあり方」について、いわゆる被災地の女性たちだけではなく、日本全体の女たちの問題として捉えていこうというシンポジウムであった。共通認識としては、経済と産業に重点が置かれている復興計画に異議を唱え、「人間の安全保障」という観点からの復興が掲げられている。
これまでの災害とジェンダーに関する日本国内での、取り組みに関してだが、2005年に『防災基本計画』*において男女双方の視点が盛り込まれた。また、本シンポジウムの中でも報告されていたように、女性センターや市民団体などを中心に、防災とジェンダーに関する事業や学習会などが開かれていた。国外でも、90年代以降、災害とジェンダーに関する研究が本格化され、今回は、バングラデッシュの事例や、国際比較調査の観点からの発表があった。
このように、近年、災害とジェンダーというテーマは、学会、行政、市民団体、それぞれが取組み始めていたにも関わらず、東日本大震災でも、過去の災害と同様の、ジェンダーをめぐる様々な問題が起きている。本シンポジウムでは、現場と研究者双方から、次の三点が指摘されていた。一つ目は、女性やマイノリティの視点の欠如。防災対策、避難所の環境整備や運営、復興支援、復興計画、仮設住宅の設計のほとんどが、健常者の成人男性の視点からのものであること。二つ目は、性別役割分業の強化。災害時には、性別役割への固執が、避難を妨げる場合がある。さらに避難所や支援の場では、運営などの意思決定機関は男性、炊き出しやケア役割は女性、という分担が固定化されている。この性別役割分業の強化は、長期的にみると、女性にとっては、職場復帰や経済活動へのアクセスの機会を奪うことになる。また男性にとっても、常に責任を背負わされていることから、ストレスを増大させる。最後に、避難所や、復興支援計画における健康や福祉への配慮の欠如が指摘されている。これらの問題は、災害時の問題というだけでなく、社会の中で日常的に潜む差別の問題が、災害の発生によって、浮き彫りになったと考えるべきである。本シンポジウムでは、男性中心主義的な社会だけでなく、戦後日本の経済開発のあり方、都市中心の社会構造などの問題が指摘された。
さて震災後、先に述べた問題に対して、各地の女性たちは、すでに取組を行っている。被災した岩手県、福島県、宮城県、および現地に支援に入っている神奈川県の登壇者たちから、震災後の避難所や女性センターにおける、女性のためのand/or女性たちによる、現地または遠方からの活動が報告された。今後重要になっていくのは、このような、女性たち自身の「復元・回復力」を生かすことの出来る町づくり・災害対策を行っていくことである。そのためには、意思決定の場への女性やマイノリティの視点の積極的な参加が重要となる。同時に、震災後遅れがちになる女性たちの経済的自立・経済活動の支援を行う必要も訴えられた。また、より長期的には、女性たち自身がこの震災の中で、「何を考え、どう行動してきたか?」を記録に残すことで、今後に生かしていく重要性も指摘された。
こうした女性たちの視点から復興に向けての動きは、地域との関わりなしに論じることは出来ない。本シンポジウムでは、仮設住宅の、日常生活に少しでも近づけた環境整備の必要性、住民や地域に関わる人々のあいだに関係性の構築の重要性が繰り返し指摘された。ただ、今回の震災は、もとの土地・もとの仲間での「復興」が必ずしも可能ではない。福島県飯館村からの報告では、何十年とかけて、その土地に根差しつつ、成長し「花開こうとしていた」、女と男がともに生きていくための村全体の取組が、原発による避難のために、土地から根こそぎ奪われる悔しさが訴えられた。
災害に対して女性たちは、無力ではない。災害以前の学びや繋がりが、目の前の女性たちの対応力となっていることは、今回のシンポジウムで今回の震災や国外の例で明らかにされた。東日本大震災からの復興には、10年、20年かかると言われている。しかも、震災によるダメージだけでなく、社会システムのあり方、私たちの日常生活そのものが、大きく揺り動かされ、変えていかなければならない事態にある。それに対して私たちの出来ることは、これまで地道に育ててきた、私たち自身の、回復していく力、より良いものをつくり上げていこうとする力を、引き出し、つなぎ合わせていくことではないか。そのために、行政・市民団体・学会からの声と知を結集したシンポジウムであった。
今回のシンポジウムを通して、私が痛感したことは、女の人たちの普段からの継続的な学びや取り組みが、この災害に際して、共に「生き延びる」力になっているということ。それは、サバイバルゲームにおいて生き残る強さのことではなく、これまでに築きあげた横のつながりと、命をつなぐための縦のつながりの中で、私のものだけではない私の命を生かす力のことだ。今回のシンポジウムで報告された取り組みや、この集まりそのものが、こうした女の人たち一人一人の、また地道に育てられてきた女たちの力なのだろうと思った。けれども、このシンポジウムの中で挙げられた数々の問題や課題を解決していくのは、容易いことではないことも明らかだった。今回は、シンポジウムの終わりに、政府への提言に向けてのまとめが行われたが、振り返って私自身は何が出来るか?と問うてみた。そして、出てきたものは、三つ。一つは、震災以来の遠方からの復興支援の活動を、性・生の尊厳の視点から、続けていくこと。もう一つは、自分自身がひとりの人間として、生き延びる力を身に着けつけていくこと。そして、より平等な社会の構築のために、学問研究を通して、貢献できるよう努力をしていくことである。
*「防災基本計画」の根拠法は「災害対策基本法」で、この法律に「防災基本計画の策定」が書き込まれており、国の防災計画が策定されている。
* * *
解説【6-11「防災と男女共同参画」シンポジウムの背景】
「防災・復興と男女共同参画」に関しては、阪神淡路大震災や新潟県中越地震での女性の経験、そして、そうした経験を国際レベルで生かそうとする動き(災害施策においても、ジェンダー平等施策においても)の両者が連動して動いてきました。国内的には、阪神淡路大震災の被災女性たちが、女性がなおざりにされていることについて素早く声を上げました。その声は、新潟県中越地震での被災女性たちへのサポートにつながり、男女共同参画局も動き、そしてその動きは、第二次男女共同参画基本計画に取り入れられました。このような経験をもとに、第三次計画では、記述が多少は充実したものになった、という経緯があります。
しかし都道府県、市町村の男女計画(の防災分野)、防災計画には、「男女共同参画の視点」が入っていないものが圧倒的に多いことが、全国知事会の市町村調査で明らかになっています。自治体の男女計画には、「防災」についての記述が全くないところも多いと思われます。
その上、今回の大震災では被災範囲があまりに広く、力を発揮しなければならない市町村の役所機能そのものが失われてしまったところも多く、その意味でも、被災された方々へのサポートははなはだ不十分なものになってしまっています。
女性、あるいは災害脆弱性を持つ人々へのケアやサポートが不十分なものになっているのは、こうした理由によります。シンポジウム参加者の多くは、このことに怒りを共有しています。堂本暁子さんが、最初のご挨拶で、「もうこういう集まりはやらないようにしたい」等と述べられた背景にはこのような事情があります。
政権交代が行われ、自公政権よりはジェンダー平等に関心があるはずの民主党政権なのに、そういう視点が(あまり)みられないことも、今回のこの状況への女性たちの怒りを増幅させているでしょう。
このような経緯については、当日時間の制約もあり、説明する時間がありませんでしたので、ここで追記させていただきました。(WAN編集部)