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『ミラル』 三世代にわたるパレスチナ問題の歴史 青山リサ[学生映画批評]

2011.08.26 Fri

イスラエルとパレスチナの対立の歴史を、四人の女性たち——−ヒンドゥ、ナディア、ファーティマ、そしてタイトルにもなっている少女・ミラル—−−の人生を通して描ききった作品だ。彼女たちの個々のエピソードをつなぎ合わせて、一つの壮大な歴史物語のように見せることに成功している。

彼女たちの人生は常に民族の対立の歴史と隣り合わせだった。激動の時代の波に飲み込まれながらも、生き方を貫くその姿には美しさと孤独がにじんでいる。

1948年、イスラエル建国宣言直前のエルサレムの路上で、ヒンドゥはユダヤ民兵に親を殺された子どもたちを見つける。彼女は子どもたちを引き取り、やがて彼らの教育のために「子どもの家」と呼ばれる学校を創設する。

その数十年後、イスラエル軍による占領下の街で、ダンサーのナディアはバスの車内でユダヤ人女性と喧嘩になる。ユダヤ人への暴行罪は重く、彼女は刑務所に入れられてしまう。そこでは同房のファーティマと親しくなるが、彼女にはテロリストとしての過去があった。

六日戦争の戦時下、看護士だったファーティマは捕虜の負傷兵を逃がしたために職を失う。その恨みから彼女はテロに加担し、無期懲役の判決が下された。獄中でファーティマは出所後のナディアの世話を兄のジャマールに託す。

時は経ち、ナディアの娘ミラルはヒンドゥの「子どもの家」で逞しく成長する。ある日彼女は難民キャンプの子どもたちに勉強を教えに行く。しかしそこで見たものはイスラエル軍によるパレスチナ人住居の破壊だった。憤りを覚えた彼女は、ヒンドゥの制止も聞かず抵抗運動に参加するようになる。

この四人の物語は実話に基づいており、時折当時のニュース映像が挿入される。それによりニュース映像に映し出された「民衆」の姿から、彼女たち「個人」の物語へ、当時の映像には映し出されなかった部分へ、カメラが入り込んでいく感覚が生じる。物語を可能な限り事実そのものに近づけようとするその意識は、テンポの良い物語の流れに緊張感をうまく食い込ませていた。

抵抗運動に身を投じるミラルを演じるのは『スラムドッグ$ミリオネア』で運命に翻弄されるヒロインを演じたフリーダ・ピント。時折のぞかせる物憂げな表情はその頃のままだが、今回は運命に抗おうともがく芯の強い女性を演じる。

登場する女性たちはそれぞれの生き方で周囲に影響を与え、それぞれの運命を交錯させ、イスラエルとパレスチナの歴史に関わっていく。

それゆえに己の生き方を貫いた姿には孤独感が残され、その孤独は自室で一人たたずむヒンドゥの後ろ姿や、タクシーから学校を振り返るミラルの目線、海を見つめるナディアの視界などに表されている。

ただ行動を映すだけではなく、そこから得たもの、失ったものまでも丁寧に描くことで、その人の生き方そのものが浮き彫りとなっていた。

終盤、恩師ヒンドゥの死から未来へと進むミラルの姿には、次の世代への希望と共に、そこまでの犠牲をもってしても未だ訪れない平和への祈りが残る。

(日本大学芸術学部映画学科3年 青山リサ/あおやまりさ)

『ミラル』

ジュリアン・シュナーベル監督/仏・イスラエル・伊・インド/2010年

公式サイトはこちら

(C)PATHÉ – ER PRODUCTIONS – EAGLE PICTURES – INDIA TAKE ONE PRODUCTIONS with the participation of CANAL + and CINECINEMA A Jon KILIK Production

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:憲法・平和 / 映画 / 青木リサ / 民族紛争 / 女と映画