2011.09.06 Tue
*原水禁運動と「平和利用」
原水爆禁止運動の盛り上がりを受けて、1956年8月6日、広島市長が読み上げる「平和宣言」に「原水爆禁止」が謳われた。それと同時に、長崎で開かれた第2回原水爆禁止世界大会では「平和利用」分科会が設けられた。しかし「平和利用」否定ではなく、そこでは大資本のためではなく民衆の生活を潤し労働を軽減するものであるべきだといった議論が交わされた。当時平和運動家の間には、社会主義ソ連は平和勢力という幻想が定着していた。そして原発を54年に最初に開発したのはソ連だったのだ。
被爆者たちも支持を表明する。このとき結成された日本被団協の宣言には「平和利用」への願いが書かれている。「私たちは今日ここに声を合わせて高らかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難 をまたふたたび繰り返してはなりません。破滅と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向かわせるということこそが、私 たちの生きる限りの唯一の願いであります」。
草案を書いたのは広島の森瀧市郎だった。これについてのちに森瀧は、「原子力の「軍事利用」すなわち原爆で、あれだけ悲惨な体験をした私たち広島、長崎の被爆生存者さえも、あれほど恐るべき力が、もし平和的に利用されると したら、どんなにすばらしい未来が開かれることだろうかと、いまから思えば穴にはいりたいほど恥ずかしい空想を抱いていたのである」と書いている(森瀧前出)。
*夢の電化生活——女性への浸透
もう一つ、「平和利用」には障害があった。女性である。原水禁運動を起動させ、署名運動を担ったのは女性たちだった。集められた署名は最終的に3200万。広島では100万の署名が集められたが、その8割までは女性団体の力だった。こうした女性たちに原子力を受け入れさせるにはどうすればいいか? 読売新聞では、社をあげて女性対策に乗り出す。先に引いた56年元旦の座談会「原子力平和利用の夢」では、ただ一人の女性森田たまが女性の原子力への無知を嘆いてみせる。
「女の人、とくに若い女性は原子力がよくわからないので放射能のことばかり心配するんですよ。いかに平和産業に使っても放射能がとれないのだから進歩に役立たないというような考えをしている人が多い。だから日本に原子力を持ってくるのは反対だというような・・」
これに対して理学博士嵯峨根遼吉は、「私は大学に20年もおりますが、カリフォルニアでも放射能の激しいところで働いていた。いまの厚生省なら嵯峨根さんは入ってはいけないというようなところに入っていたのです。しかし(略)寿命が縮まったとは考えない。(略)いまではこの程度なら心配することはない」と、3・11以後さんざん聞かされたような発言をしている。
中曽根康弘の発言はこうだ。「明治のころ、私のおじいさんなんかは電気はキリシタンバテレンとか、エレキとかいって、電線の下は扇子をかざして通った。ところが今になってみれば十八、九のお嬢さんはパーマネントが緑の黒髪の奥まで入っていて、こわいものと思っていない。原子力ももう十年もすればパーマネントと同じぐらいの大衆性を持ってる。こわがるのはバカですよ(笑声)」
原子力を恐れるのは因循姑息なバカ者というわけだ。そして「平和利用」のすばらしさを強調する。女性に対するポイントは<美容>と<家事の省力化>である。『週刊読売』56年8月6日号には「原子力は美人もつくる アイソトープでアザをとる方法」という記事が載っている。アイソトープによるアザとりは、広島の平和利用博覧会でも呼び物になっていた。ちょうどこの時期は「原爆乙女」の訪米治療、つまり顔に被爆によるケロイドがある未婚女性をアメリカに招いて整形手術をほどこすことが大きな話題になっていた。浜井市長による広島への原発誘致の挫折と入れ替わりのように、アメリカの「善意の贈り物」として実施されたが、「平和利用」でアイソトープが実用化されればわざわざアメリカに行かなくてもすむ、ということにもなる。
主婦たちに対しては、電化生活による家事の省力化である。「家庭生活にも夢をはこぶ原子力の平和利用 家事も自動化へ 安い電気使ってすべてを電化器で」。56年8月6日、11周年目の原爆の日にあたって、『読売新聞』婦人欄にはこんな見出しが踊っている。「安い電気がふんだんに使える。それに伴ってつくられる電化器によって、朝目をさますと自動的に朝食の用意ができ上がっていることぐらいはそれこそ朝飯前、主婦の仕事が軽減される家庭の自動化は、どこまで進むかちょっと想像もつかないほどだ」。
家電業界が「電化元年」を謳って家庭電化製品の売り込みを本格化したのは53年だった。テレビ放映もこの年に始まる。しかし電気がなければ夢の電化生活は成り立たない。電源開発5カ年計画が開始され、主婦たちも1ヶ月1人10円の「電源開発愛国貯金運動」などで協力した。そのリーダーである婦人会長は書いている。
「生活がおいおい落着いてくるにつけ、私たちが夢にまで見るように欲しいのは、電気洗濯機や電気冷蔵庫です。こんな機械が私たちの家庭にあったら、私たちの労働と時間は大いに節約され、教養や娯楽によってどんなに楽しい充実した日々を送れることでしょうか。けれども、それにはまず、私たちの国が富まなければなりません。せっかく電気洗濯機がデンとおかれても、毎日毎日停電の現状では、電気洗濯機が泣き出すでしょう」(川崎市婦人団体連絡協議会会長薄井こと「一ヶ月一人十円が積もり積もって 電源開発の愛国貯金七百万円」『主婦之友』53年12月号)
このときの電源開発は水力発電だった。しかし水力は限界がある。石油も石炭もやがて枯渇する。それに対してウラニウムの連鎖反応による原子力発電は無尽蔵、かつ安価だというのだ。こんないい話はないと主婦たちが思うのも無理はない。
しかも推進者は利権がらみの男たちだけではなかった。当時世界の女性平和運動のリーダーだった国際民主婦人連盟会長ウージェニー・コットンも、55年2月、世界母親大会の呼びかけのなかで「原子力の平和利用」を訴えている。「私たちは、原子力の平和利用を発展させることを、全力をあげて応援します。(略)原子エネルギーは石炭とちがって運びやすく、軽くて、ウラニウム一キロが石炭三〇〇トンの熱量を与え、人類のためにどんなに役立つものであるかを知っています。それがあれば、後進国は産業施設を備えて、経済的従属と欠乏から解放されるのです。また、人類全体の物質的困難を、かなり緩和できるのです。とくに、母親の毎日の仕事はとても楽になるはずです」(『母の愛にうったえる––世界母親大会準備会報告集』)
ウージェニー・コットンは物理学者マリー・キュリーの愛弟子だが、戦時中は反ナチ 抵抗運動で二度も逮捕されたという。そして世界母親大会は、日本の女性による原水禁運動をふまえ、平塚らいてうらが「全世界の婦人に当てた日本婦人の訴えー原水爆の製造・実験・使用禁止のために」というアピールを発したことから開かれることになったのだ。いまにつづく日本母親大会の第一回はこの世界大会への代表選考をかねて開かれたが、五六年の第二回から「生命を生み出す母親は、生命を守り、生命を育てることを願います」をスローガンに掲げる。コットンの言葉である。「原水爆反対」と「原子力の平和利用」は女性平和運動においても両立しえたのだ。
こうなればもはや「原子力の平和利用」を妨げる勢力はどこにもない。57年8月27日、茨城県東海村の原子力研究所で初めてウラン235が臨界に達した。「原子の火ともる」とメディアは一斉に報じた。『朝日新聞』「天声人語」は、「これで日本も遅ればせながら、原子力の平和利用時代に第一歩を踏み入れることになる。原子力の夜明けは不幸にも原爆のピカドンによって初めて告げられた。その残虐な洗礼を人類として最初に受けたのは日本人だった。その日本にも、“米国製”の原子炉ながら“第二の火”が“平和の灯“としてともるのである」と書いている。
編集部より:
本稿は、インパクション一八〇号 特集「震災を克服し原発に抗う」2011年6月25日刊(1500円+税) に掲載された「ヒロシマとフクシマのあいだ」を、WANのために再編集していただいたものです。
初出のインパクション一八〇号には他にもジェンダーの視点からの震災・原発関連論文が多数掲載されています。
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