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『ウィンターズ・ボーン』評 生への力強い渇望 青山リサ[学生映画批評]

2011.10.23 Sun

ジェニファー・ローレンス演じる主人公のリーが、「家族を守る」という使命にかられたときの瞳の強さに、圧倒されるほどの力がある。とても17歳の少女が抱く感情とは思えない、戦士のものとでも言えるような差し迫った緊張感が、映画の最後まで見る者を捉えて離さない。

舞台はミズーリ州の森に囲まれた田舎町。リーは幼い弟と妹、そして心に病を患った母と生活している。父は不在だ。母は病からほとんど口を利かない。苦しい生活の中、リーは家事の全てを一人で背負っている。

ある日そこへ保安官が訪れ、麻薬を密造して逮捕されていた父が、リー達の住む家と土地を保釈金の担保にして失踪してしまったという。裁判までに父が現れなければ、彼らは住む場所を失う。リーは家族を守るために、あてもなく父を捜し始めた。

親戚も村の住人達も、父の行方の手がかりを知っていながらもそれをタブー視し、非情にも彼女を突き放す。

冬の厳しい寒さ、村全体に広がる貧しさ、蔓延するドラッグとその密造ビジネス、家父長制の強く残る家庭と、住人を支配する村の掟。リーにのしかかる重圧は、地域の生活感を全面に押し出したロケーションの映像により、現実味を帯びて迫りくる。

真実に近づくことは彼女にとって大きな危険を伴う。しかし彼女のしっかりとした足取りに引っ張られるように、物語は進んでいく。

ここまでは謎解きのサスペンスを楽しめるのだが、一歩一歩真実へと近づいては足止めをくらい、ようやくあと少しまで迫ったといったところで、急に謎解きは止まってしまう。

リーの目的は、真実を突き止めることよりも家族を守ること、家と土地を守ることに向けられているからだ。ここに彼女の悲痛な選択が描かれる。

大人になるということは、何よりも家族とその生活を優先することなのだろうか。

そういう意味ではこの作品は彼女の成長を描いたと言えるが、現実はあまりにも残酷でもどかしい。

またこの物語のなかで忘れてはならない重要な要素は、しばしば流れるカントリー音楽だろう。

社会問題も絡まりぴんとはりつめた村の空気に、人々が奏でる音楽は、地域の伝統を伝えると共にわずかな安らぎを与える。

物語の終盤、バンジョーを奏でるリーの伯父ティアドロップの姿は、全てが終わった後の、彼の変化の象徴となり、静かな余韻を残していた。

ティアドロップは孤立無援な彼女にとって、不思議な存在となる。

薬物依存症で暴力的な彼は、はじめは父を捜しに来たリーを手荒に追い返すが、思わぬところから彼女に力を貸し始めた。

これはリーひとりが進めていた物語に新たな変化をもたらす。ここでの彼らのぎごちない距離感は、実に丁寧に描かれている。

頼るべき大人を持たない者は、自身がはやく大人へとならざるを得ない。

彼女は年頃の少女として遊ぶ余裕も嘆く暇もなく、弟と妹の存在が自分を縛ると同時に、一家の柱として行動するための原動力ともなっていた。

家族との絆は、リーの生活に唯一残された希望だ。

あまりにも厳しい現実を乗り越えて生きていく、生きるということへの彼女の力強い渇望とその確かな演技力に、ただ圧倒される。

(日本大学芸術学部映画学科三年 青山リサ/あおやまりさ)

『ウィンターズ・ボーン』

(デブラ・グラニック監督/アメリカ/2010年/100分)

c2010 Winter’s Bone Productions LLC. All Rights Reserved.

10月29日(土)、TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

公式サイトはこちら

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:貧困・福祉 / 映画 / 家族 / アメリカ映画 / 青山リサ / 女と映画