2011.10.25 Tue
今月5日に、Appleのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなりました。ニュースを聞いた時、よく知らない人なのに、ものすごくショックを受けました。マックユーザーの娘にすぐに携帯メールを打ったら、「うそお! 私もショック」と、返事がきました。
先月、子どもたちがお誕生日のプレゼントに、iPadをくれました。「iPad2は、壊れやすいんだって」と、娘からのメールに、表面のガラスが割れてひびだらけになったiPad2の写真が添付されていて、「iPad1の方が丈夫だから、こっちの方がいいでしょ」と、言いくるめられて、ま、1でも2でも、諦めていたのをくれるというのだから、こちらには文句があるはずもなく、もちろん大喜びです。もらったその日は、一日中、iPadをいじっていました。そんなわけで、ほんの少し、Apple社の製品の仕様がわかってきて、ちょっとなじみ始めたときだったのです。
マイクロソフトは、どんなハードにも載るソフトを売ってシェアを独占してきましたが、Apple社の製品は、ハードとソフトの一体化が特徴です。だから、ソフトの使い方にさえ慣れれば、ハードとソフトの不一致で悩むことはなく(たぶん?)、基本的にシンプルな造りです。もちろん、向き不向きがあるでしょうから、Windowsに慣れてきた私のような者には、Apple製品では用がなさないように感じられるのですが、デザイナーなどアーティスト系の人はApple愛好家が多いようです。Apple製品とはこれまでとんと縁のなかった私でも、あのデザインの美しさには惹かれるものがありまして、電気店に行きますと、Appleの美しい製品を目の端に入れながら、目指すWindows系の商品の売り場に向かいます。
iPadを手にしてからは、これがAppleなのか、としきりと感心する事がたくさんありました。やっぱり、Windowsとはまるで考え方が違うので、一つ一つが発見です。文書をつくるには、私にはやはりWindowsですが(私は、必要な時は、Windows7の入ったノートを持ち歩いています)、しかし、iPadの手軽さは魅力です。キーボードもないし、重さも全然違います。バッグに入れていつも持ち歩きたくなります。ただ、今の私のマシンの整備状況では、接続出来る場所が少ないのです。ノート用に、emobileのUSBスティックタイプの端末を使っているのですが、これがまたすいすいとストレスなく接続できるので(ただし、月額6000円ほどかかります。(泣))、この快適さに近づくために、iPadの接続状況の改善が、今後の私の課題です。しかもなるべくお金を使わずに、、、。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.実は、このたび、映画『バトル・オブ・シリコンバレー』(原題 Pirates of Silicon Valley 1999年アメリカ)のDVDを借りて見ました。以前に見たのですが、スティーブ・ジョブズが亡くなって、もう一度見たくなりました。今回は、その映画について、思ったことを書いてみたいと思います。
この映画は、スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの若い頃を描いています。人々は実名で登場していますから、かなり取材されたのでしょうか。時は1970年ごろ、ヒッピーが流行した時代に始まるお話です。若きスティーブ・ジョブズも、ヒッピー風スタイルで菜食主義者で、当時はやりのコミューンに行ったり、ドラッグでハイになったりなどしていますが、やがて彼とその友だちが夢中になっていくのは、コンピューターの世界でした。ジョブズには、ウォズニアックという技術者の友人がいて、多くの製品開発はこの人がやっていて、ジョブズは、この映画を見る限り、スピーチの天才、アイデアの天才、そしてビジネスの天才に見えます。そして、ビル・ゲイツと、鎬を削りあうのは、研ぎ澄まされたビジネスの才能において、という感じです。技術に長けた二人の天才の話と思っていたので、商才に尋常でない才能を発揮して、牽制し合ったりする展開が予想外で、面白い映画でした。
ジョブズはとても不遜でかんしゃく持ちで、人格的にはかなり「困ったちゃん」として描かれています。会社が大きくなってから、ワンマンぶりに磨きがかかり、部下にパワハラしまくりで、最後には若い頃からの友人ウォズニアック(穏やかな良識派として描かれています。ウィキペディアなどでも、若い技術者に人柄でも慕われている、というような書き方がしてありました。一緒に仕事をするなら、私もこっちの方がいい。)も、ジョブズに愛想を尽かしてApple社を去ります。
ビル・ゲイツも相当なマイペースの人で、まわりの友人は振り回されています。映画の中で、「ジョブズは、ビルが唯一、怒鳴らなかった男」と言われています。と言うことは、ジョブズ以外の人には、怒鳴りちらしていたのでしょうか。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.少し前に、Facebookを創設したマーク・ザッカーバーグを主人公にした『ソーシャルネットワーク』という映画を見たときも感じたのですが、頭が良くて、野心があって、時間がある若い(幼い?)男って、クレージーで、もう手がつけられない! のですね。まぁ、私が彼らのエネルギーに圧倒されているのでしょうが、そういう人たちが巨万の富を手に入れるこの社会の仕組みって、何なのだろう?と、自分の手に負えない疑問に悩んでしまいました。映画で描かれるウォズニアックのような穏やかで良識のある人の存在がさわやかに感じられます。まぁ、映画ですから、どこまでも物語なのですけれど、だいたい天才とか言われる人って、感情の激しい人として描かれていますよね。私は、人様の激しい感情に出くわすと、はた迷惑だなぁと感じて後ずさりする方なので、いくら天才肌でも、こういう人とはご縁は持ちたくないなぁと思ってしまいます。
でも、そういう人だからこそ、画期的なものを生み出していけるのでしょう。映画の中で、ジョブズは、芸術性ということを何度も言っています。彼は芸術的に美しいものを追求し、しかもそれで世界を変えていく野望を抱いています。独特の宇宙観、世界観を抱いて、まわりの凡人たち(と言ってもとても優秀な人たちなのだけれど)を巻き込んでいくのです。周囲とのバランスを考えたり、まわりの人の立場を斟酌していては、このような偉業は成し遂げられないのかもしれません。
『ソーシャルネットワーク』も『バトル・オブ・シリコンバレー』も共通しているもう一つの大きな特徴は、女性が不在であること。女性は、彼らにとって、快楽の対象かアクセサリー以外の何ものでもありません。唯一、ジョブズの前に登場する女性技術者は、ゼロックスの開発技術者の一人で、GUIベースのオペレーティングシステムをマウスで動かす技術を開発していた人物です。が、ゼロックスの役員達がその商品価値を見抜けなかったところに、ジョブズがうまく話をつけて、その技術の説明を受け、そこからヒントを得て、1984年発売のマッキントッシュがつくられた、というエピソードが描かれています。その女性技術者が、自分たちの技術を奪いにきたジョブズたちに悔しさを感じながらも、ゼロックスという組織の一員として、上からの命令に応じて不承不承に説明をする場面がありました。
ジョブズもビルも、他者からの技術を盗みながら、時にははったりをかけながら、ITビジネス界のトップに躍り出ます。IBM社に最初にDOSを売り込みに行った時も、ビル・ゲイツたちは、OSなど持っていないのに、はったりで、IBM社と契約を結び、その後に個人が開発しているOSを買い取って改良して、そこから飛躍的に成功につながった、というエピソードが描かれています。
ITの歴史の中で、二大巨頭のように見上げられるビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズですが、(つまり、私でも名前を知っている、という意味で)、でも、彼らに先立つ多くの技術者、開発者がいて、そして、先駆的な事業もたくさんあっての現在なのだと、考えてみれば当たり前のことなのですが、そのことをあらためて思いました。
スティーブ・ジョブズの訃報に接して、とてもたくさんの人々が哀悼の意を表しています。テレビを見た人が言うには、泣きじゃくっている日本の若者なども映し出されていたそうですが、何をそんなに泣くのかがわからないとその人は不思議がっていました。好きなアーティストが亡くなった時みたいだと。
その感想は当たっているのかもしれません。スティーブ・ジョブズは、あのApple社のデザインの美しい製品たちを生み出したカリスマなのですね。多くの人々がアイデアを出し、技術開発をし、作り上げてきた物であっても、その象徴として、あの人はいたのですね。また、あの人がいなければ、ほんとうに、ここまでの影響力を持った物とはならなかったかもしれません。愛着というのは、具体的な物や人にわくものなのかな、と思います。Apple社の製品は、ソフトと共に美しいハードが存在します。その美しいオブジェを生み出したアーティストとしての側面が、こんなにも慕われた理由の一つかなと思いました。生き方自体がアーティストだったし、iPad2の発売のために登場したときの痩せた風貌は仙人みたいで、そして56歳という若さで逝ってしまった切なさもあるからでしょうか、何か悲しみに誘われます。最近、ちょっとApple製品を使い始めただけの私でも、何か、揺さぶられているのです。
ビル・ゲイツだったら、こんな感じではないのかなと、ちょっと想像してしまいました。
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