2012.05.05 Sat
今回は、前回の「若者のひなた」に引き続き、ペ・ヨンジュン主演のドラマ「愛の群像」(原題「우리가 정말 사랑했을까」MBC1999、全44話)を取り上げたい。このドラマも、日本でいち早く紹介され、人気を集めた。知り合いのドラマ愛好家は、「『愛の群像』を見れば人生がわかる」と絶賛していたし、ファンが書いた単行本も出ている[i]。私は以前、画面に漂う暗い雰囲気が好きになれず、一度は放棄したことがある。だが、この作品はペ・ヨンジュンの主演作品であるばかりでなく、ノ・ヒギョンの脚本であり、1990年代の韓国ドラマを語る上では欠かせない。
主演は、主人公のジェホを演じたペ・ヨンジュンのほか、シニョンをキム・ヘス(金憓秀1970~)、ヒョンスをユン・ソナ(尹孫河1975~)、シニョンの先輩キルジンをイ・ジェリョン(1964~)が演じている。また、キム・ヨンエ(金姈愛1951~)、チュ・ヒョン(朱鉉1943~)、ユン・ヨジョン(尹汝貞1947~)、ナ・ムニ(羅文姫1941~)などのベテラン俳優たちが脇役を務めている。演出のパク・チョンと脚本家ノ・ヒギョンは、MBCの「この世で最も美しい別れ」(1996)、「私が生きる理由」(1997)で呼吸を合わせたコンビである。二人の前作、「私が生きる理由」では貧民街から脱け出すことを夢見る若者を描いたが、「愛の群像」でも、孤児の貧しい若者を主人公にしている。
金に支配される人生
主人公のカン・ジェホは、幼くして父親を亡くし、12歳の時、母親にも捨てられた。それ以来、水商売をしながら暮らす伯母のジンスク(キム・ヨンエ)のもとで育った。高校卒業後、ジェホは真面目に働き、水産市場のカニ仲買人となる。貧しさから脱け出すためには一流大学卒の資格と人脈が必要だと考え、一生懸命稼いで妹を大学に通わせている。自らも遅まきの大学生となり、早期卒業を目前にしていた。大学では、貧しい孤児であることを隠し、学籍簿には、父親がMIT(マサチューセッツ工科大学)の教授であると嘘を書いた。偽のブランド品を身に着け、中古で安く買ったスポーツカーで通学していたことから、周りの学生たちは、ジェホが裕福な家庭の息子だと噂した。また、本人もその噂を否定せず、あたかも良家の息子であるように振る舞うのだった。
ジェホはある日、大会社の社長の娘であるヒョンスに近づこうと、彼女の服にわざとコーヒーをこぼして、親しくなるきっかけを作る。もちろんその目的は、金持ちの娘と結婚して身分上昇を図るためである。ヒョンスは、ジェホのそんな意図までは気づかぬまま、金持ちのプレイボーイが自分に関心を示したのだと思ってけん制する。だが、ジェホの偽りの条件が気に入ったヒョンスは、次第にジェホに惹きつけられてゆく。一方、ヒョンスの心をつかもうと、恋の駆け引きをしていたジェホは、ほぼ同時に、若くてきれいな新任講師のシニョンにも関心をもち始める。彼は自分より三つ年上のシニョンに母親の面影を重ねて安らぎを感じ、満たされなかった愛情を取り戻そうとするかのように思いを募らせてゆく。いつしかジェホは、ヒョンスには見せない自分の素顔を、シニョンに対してだけは見せるようになるのだった。
愛の発見
そんなジェホを間に置いて、シニョンとヒョンスは混乱させられる。この二人は親同士が親しい間柄で、姉妹のような関係である。親が海外にいるヒョンスは、シニョンの家に居候しているという設定になっている。大きな家なのに二人が同じ部屋を使っているのはやや不自然な気もするが、その点は撮影上の都合なのだろう。いずれにせよヒョンスは、ジェホが自分に「愛している」と言いながら、シニョンをひんぱんに訪ねるのが気になるし、シニョンのジェホに対する態度にも反感をもつ。片やシニョンの方は、「ヒョンスを愛している」と言うジェホが、自分に対して示す態度や言葉の意味をどう理解してよいのかわからない。
自分が信用できるものは“金”だけで、裕福になるためにヒョンスを利用しようと思っていたジェホは、結婚相手としてヒョンスに接し、偽りの自分を演じ続ける。そして、結婚相手としてはまったく意識していなかったシニョンに対しては、次第に本当の姿をさらけ出す。ジェホはヒョンスとシニョンの間(金と愛の間)で心が揺れ動くようになり、そのうちシニョンへの愛が強くなってしまう。愛など信じなかったジェホがシニョンを通して変わってゆくのである。そしてついにシニョンに対する愛を確信し、ヒョンスとの関係を断とうとする。ただし、揺れるシニョンに対して自分の愛を受け入れさせようとする場面でのジェホの行動は、いささか強引でストーカーのようである。
生きることの困難さ
ジェホが孤児であることを知ったヒョンスは、それでもなおジェホを愛していると思い、金の力を利用してでもジェホを獲ようとする。いつの間にかジェホに心を奪われていたシニョンは、ジェホの本心を知ってその愛を受け入れる。ところが、シニョンの母親とジェホの伯母は高校時代の同窓で、互いに見栄っ張りだ。その上、シニョンの父親は、ジンスク(ジェホの伯母)のスナックの常連だった。シニョンがジェホを親に紹介したあとで、それらのことが明るみに出て、二人の結婚は両家の強い反対にでくわす。大人たち同士の誤解や心のわだかまりが解け、ようやくシニョンの両親が二人の結婚を許した矢先に、ジェホは悪徳仲買人たちの違法行為に巻き込まれてしまう。また、ヒョンスはそれを利用してジェホを自分の元に引き寄せようと企む。
ジェホは、自分のせいで家と伯母の店を失い、大きな借金を抱え込む事態に追いやられる。家族の中の唯一の男として、経済的責任を強く感じてきたジェホは、この事件で人生に疲れ果ててしまう。そして、この危機を救うために、愛を放棄し、ヒョンスのもとへ行く。シニョンを愛するが故に冷たく突き放すジェホは、シニョンをはじめ周囲の人々に失望と悲しみを与える。そして、ほどなく重い病気であることがわかるのである。生きる意欲を失ったジェホと、それぞれの形でジェホを愛するシニョンとヒョンス。三人は愛と人生に向き合わされる。
[i] 後藤裕子『愛の群像 ペ・ヨンジュンからの贈り物』TOKIMEKIパブリッシング、2007、『ペ・ヨンジュン「愛の群像」の歩き方』(上・下)角川グループパブリッシング、2008。
世紀のドラマ対決
ところで、このMBCドラマは、はからずも「青春の罠」(SBS、全24話)と同じ日に始まり、同じ曜日の同じ時間帯に放映されることになった。「青春の罠」は、すでに紹介したように(本欄9)、韓国で最も人気のあったキム・スヒョン作家の作品である。片や「愛の群像」は、デビュー3年目にして百想芸術大賞脚本賞を受賞し、“90年代のキム・スヒョン”と言われた新鋭作家の作品として注目された。この世紀のドラマ対決が実現したのは、「青春の罠」のキャスティングが手間取り、予定より一週間ずれ込んだからだそうである(「青春の罠」は当初、キム・ミンジョンがトンウを、イ・スンヨンがヨンジュを演じる予定だったらしい)。
注目された視聴率は、序盤は「愛の群像」の方が優勢だったが、三週目に逆転された。「青春の罠」が平均47%以上の高視聴率を記録したのに対して、「愛の群像」は最後まで10%台前後にとどまった。そのため、50話の予定だった番組編成も44話に短縮された。しかし、このドラマは、前作の「嘘」に引き続き、PC通信上にドラマ同好会が誕生するなど、熱烈なマニア層を獲得した。ちなみに、これらの同好会は、10年以上たった今でも活動を続けている(http://cafe.daum.net/wjs1999)。その活動には、ジェホのような孤児のための奉仕活動も含まれているそうである。
内容的にもこの二つのドラマは対照的だ。主人公の男性はいずれも貧しさから脱け出したいという強い欲求の持ち主で、二人の女性の間で揺れる。しかし、「青春の罠」のトンウは出世欲にとりつかれて貧しいユニとこどもを捨てるが、「愛の群像」のジェホは、結局、金持ちのヒョンスではなく、愛するシニョンを選ぶ。そして前者は、裏切りと復讐というドロドロした側面をドラマチックな展開で描いたのに対して、後者はむしろ、心の傷や真摯な愛を描いて視聴者を人生に直面させようとした。このドラマの原題「私たちは本当に愛しただろうか?」の目的語も、作家によれば“お互いを”ではなく、“私たちの人生を”だそうである。
ジェホの“男らしさ”
今回、視聴して気になったことがある。それは、ジェホやシニョンを通して描かれるジェンダー・ステレオタイプについてである。このドラマが特別なわけではないが、良いドラマであるだけに鼻についたと言ったほうが正確かもしれない。たとえば次のようなセリフ。「男なんだから、寒くないさ」(“寒くないか”とたずねるヒョンスにジェホが答える場面)、「(僕は)一生懸命働き、妻は家で食事をつくり、時には喧嘩もするけれど、夜には和解し、僕に似た子どもたちは身も心も健康で…」(ジェホがシニョンに対して理想の生活を語るくだり)、「家庭は昔から男がしっかりしなきゃいけないんだ」(ジェホが友人ソックに)、「強くなくちゃ。それが男だ」(シニョンの父親がジェホに)、「お前は俺が知っている男の中で最も男らしい男だ」(キルジンがジェホに)など。ジェホを取り巻く、この“男らしくあらねばならない”というステレオタイプの言説が、彼に無理を強い、病気の進行を早めたのではないか、とさえ思えてしまう。
レポート剽窃事件
また私は、いかにも作ったようなシニョンの化粧顔とストレートのロングヘアー姿が、最後まで変わらなかったことがやや不自然に思えたが、ここでは省略する。それよりも、ジェホが他人のものを切り貼りして作成したレポートを、シニョンがF(落第)にしたのが気に入った。シニョンは、早期卒業のために単位が必要だと哀願するジェホをよそに、断固としてF評価をつける。ところが同僚のキルジンは、ジェホのレポートが剽窃と知りながらAをつけた。その理由を尋ねたシニョンに対する返事を聞いて、いささか驚かされた。彼は、ジェホが一つのレポートを丸写ししたのではなく、6人ものレポートを切り貼りした点を、“誠意がある”と評価したのだ。
シニョンは、そんな姿勢を「間違っている」と批判して、ジェホのみならず、同様の手口でレポートを書いたすべての学生にFをつける。教員たるもの、違法行為を容認してはいけない、という信念からである。しかし学校側は、シニョンの措置が「学務の日程に支障を来す」からと、Fを撤回させ、再試験を要請するのである。大学側も、教員たちも、学生の違法行為を結果的に認めているのである。こんなことが本当にあるのだろうか、と考えていたところへ、韓国の論文剽窃関連のニュースが飛び込んできた。
その主人公は、今年(2012年)4月の国会議員選挙で当選したムン・デソン氏である。彼は元テコンドー選手で、2004年のアテネオリンピックで劇的に金メダルを獲得し一躍英雄となった人物である。その後、選手を引退して母校のテコンドー学科の教授となり、IOC(国際オリンピック委員会)の選手委員にも選ばれて活躍していた。そして今年2月、セヌリ党の公認を受けて国会議員選挙に立候補し、見事当選を果たした。立候補直後に野党陣営から、彼の博士学位論文に対する剽窃疑惑が提起されたが、本人は否定し続けた。学位を出した国民大学も、セヌリ党も沈黙を決め込んで、当選となったのである。
一昔前ならば、恐らくこれでゲームセットだっただろう。だが、ネット時代の情報力と人々の発信力によって、論文剽窃の実態が次々と明らかにされ、批判の声はますます高まった。つい先日(4/20)、国民大学はようやく彼の論文が剽窃であったことを認め、この発表と同時にムン・デソン氏は離党届を出した(その後、大学にも辞職願を出した)。この問題を取り上げたSBS番組<それが知りたい>(4/28)は、この事件を単なる個人の問題としてではなく、その裏にある論文執筆をめぐる安易な慣行や、ひいては大学社会の歪みについても指摘していた。
ジェホのレポート剽窃や韓国の学位論文の剽窃事件は、日本でも決して他人事ではない。私の周りでも、カンニングや代筆、“コピペ”(ネット上の文章をコピーしてペーストすること)レポートは後を絶たない。韓国も日本も、点数を競うことで人生が序列化される社会、プロセスではなく結果や形式が重視される社会であることが、こうした弊害をもたらすのではないかと、ふと思った。ムン・デソン氏が潔く国会議員を辞退して、そんな社会に警鐘を鳴らす役割を果たしてほしいと願うばかりである。
写真出典:
http://cue.imbc.com/Common/Publish.aspx?Idx=5118
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=cindy629&logNo=120007846908
http://blogwide.kr/article/9010
http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2012/04/20/0200000000AKR20120420077251001.HTML?1302
カテゴリー:女たちの韓流
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