エッセイ

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親子4代、女の旅(旅は道草・29) やぎ みね

2012.06.20 Wed

 母88歳、叔母84歳、私68歳、娘42歳、孫娘2歳。
以上、女5人でプチ旅行に出かけた。三重県の山の温泉場。清少納言の『枕草子』にも出てくる「湯はななぐりの湯」。

  女系家族ではないけれど、私も娘も孫も一人娘。娘は最近、離婚してシングルマザーになったばかり。よって男は誰もいない。

  熊本に住む母と叔母は、それぞれ一人暮らし。二人とも、この冬の特別の寒さに持病の骨粗鬆症を悪化させ、動けなくなった。京都から電話で遠隔操作。なんども入院をすすめるが、どうしても「いやだ」という。ようやく二人を説得して、母の家近くのホテルにしばらく滞在してもらうことにした。古い町家の風が吹き抜ける家では寒さは耐えられないから。

 昔のままの生活を頑なに守る母と叔母は、三度三度の食事をおいしく調理し、手抜きをせず、質素に家事をすることが仕事だと思っている。どんなに不自由でも、介護保険やヘルパー派遣には耳を貸さない。「それなら京都の私のところに来る?」と誘っても、「わたしの生活があるから」と、なかなか「うん」といわない。春と秋には二人揃って京都旅行を楽しみにしているのだが。

  春になって気候がゆるんだせいか、少し元の生活に戻った。5月、二人で阿蘇の温泉に予行演習に出かけたらしい。ちょっと自信がついたのか、「6月に入ったら京都に行けるよ」と電話をかけてきた。

  九州新幹線が開通。便利にはなったが、京都はJR東海、新大阪から先はJR西。したがって熊本から京都まで直通の新幹線がない。新大阪の乗り換えはホームが違って大変なので、熊本から「さくら」に乗り、岡山で途中下車。20分待ち、同じホームの「ひかり」に乗って京都まで。だけど便数が少ない。帰りは朝7時の列車しかない。朝は5時起きとなる。母たちはへっちゃだけど、私が大変。

  ひいおばあちゃんと孫は90歳近く歳が離れている。この二人がまた、実にわがままなのだ。

 自分の生活をガンとして変えない母は、椎茸、干し筍、切り干し大根、大豆まで持参して、うちでつくってくれる。おいしい。それに二人ともよく食べるのには感心する。

 孫の佑衣は、野菜の名前を母に教えてもらって、ちゃんと言えるようになった。「ゴボウ」「ダイコン」「ニンジン」「ピーマン」「タマネギ」「カボチャ」「ホウレンソウ」と。「咲いた、咲いた、チューリップの花が」の歌も歌えるようになった。

 だが、「いやいや期」に突入した佑衣は、思い通りにならないと、ひっくり返ってジタバタと泣き叫ぶ。

 大小とりまぜ女5人で京都から電車を乗り継き、ひなびた温泉へ向かう。車中も何とかおとなしく過ごして温泉宿に一泊。すべすべした美人の湯に入り、よく食べ、よく遊んで、夜はぐっすり寝てくれた。

  いまどきの育児に母たちは驚いたり、呆れたり、「もっと工夫をすればいいのに」と文句をいいたそうなそぶりだ。だけど、それは時代なのよ。だって90年の差があるんだもん。

  軍国少女の母と挺身隊世代の叔母。母は高等女学校卒業と同時に結婚。父の任地の中国・北京へ旅立った。外地の気候が合わなかったのか、身重の体で肋膜と腹膜炎を患い、やっと私を出産。生後3カ月の私をつれて満鉄に揺られて実家に戻ってきた。戦後、薬もない時代。「よく回復したものね。こんなに長生きするとは思わなかったわ」と言う。

 子どもの頃、いつも誰かに泣かされて帰ってくる私に、母は「負けずに泣かして帰ってきなさい」と、よく叱ったものだった。だから今でも、母がこわい。

 平凡な市井の民として生きてきて90年。戦争の悲惨さも戦後の生活の苦労も、くぐり抜けてきた母たちの世代。

 孫たちの時代は、どんな世界を生きるんだろう。戦争や災害や原子力事故がグローバルに広がる中で、一人ひとりが、しっかりと生き延びる知恵と力を持たなければいけない。それを見届けるまで、私は母のように元気でいられるだろうか、あんまり自信がないなあ。

  しばし滞在の後、無事に帰熊。疲れが出ないかと心配で電話をかけたら、「大丈夫よ。またいつもの生活が始まったから」と元気そう。
母と孫のわがままに、ふりまわされた私の方が、どっと疲れてしまった。ああ、しんど。

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