エッセイ

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フェミニストの明るい闘病記(4)学長も癌! 海老原暁子

2012.07.10 Tue

 休職願いの提出に先立って、事情の説明をすべく私は学長室に出向いた。無類の人好きの学長は、学長室のドアをいつも開けっ放しにしておられる。構造的に先細りの運命を負わされた短期大学の学長というのは、気の毒なほど大変な仕事である。私の勤務校の当時の学長も、まさしく火中の栗を拾う覚悟で着任されたに違いなかった。さまざまな憶測による誹謗や讒言、学内人事の不協和音から生じるあれやこれやを、今思えばなんとまあおおらかに受け止めておられたことか。かくいう私も何度も学長のやり方に反感を覚え、その都度憎たらしい進言に及んだものだが、それを受け止める度量のある方であった。

 2009年、勤務校は数年前に制度化された第三者評価の評価員を短期大学基準協会に「供出」する役目を担うことになり、学長と私がその任にあたることになった。よそ様の学校について100にも及ぶ項目に沿った緻密な評価をせねばならず、膨大な資料読み、細々した評価書作成に続いて、夏休み期間中に3泊4日の実地の視察にかり出される。

 近隣地区では障りがあろうとの配慮から遠隔地の学校を評価することになっており、私は九州にある某短期大学の評価を命じられた。全国の短大から送り込まれた評価員5名がチームを組み、現地ではじめて顔を合わせるのである。私はヒラ評価員だったが、学長は別のチームのリーダーであり、また基準協会の役員も務めていたため、その仕事量は半端ではなかった。もともと面倒見の良い方で、頼まれた仕事を笑顔で全部引き受けるようなところがあったから、無理がたたったのだと思う。

 目の回るような忙しい夏が終わり、私自身が体調不良を自覚しだしたころ、学長の横顔にいつもと違う深い疲れの陰が見えるようになった。果たして休職について話し始めた私に、彼は「実はボクも癌なんです。肺ですよ」と仰ったのだった。びっくりした。

 年が明け、私が試験開腹術を受けた頃、学長は変わらず勤務を続けておられた。卒業判定教授会と卒業式でお目にかかった折には、お互い頑張りましょうと声をかけて下さり、4月、入院中の私に美しい筆跡で、「学校にとってなくてはならない人です。必ず帰ってきてください」とお葉書をくださった。それが最後のやりとりだった。学長は2010年5月初旬に、早くも帰らぬ人となったのである。

 人は必ず死ぬ。不老不死の妙薬を求めて徐福を東海に遣わした始皇帝も、彼の帰還を待たずに死んだ。永遠の命を希求したファラオもまた、没薬と麻布の下で干涸びていった。老いて死ぬ者、夭折する者、何事かを成し遂げて世を去る者、犬死にを死ぬ者。一見不公平に見えてその実、死は突き抜けて平等である。私というちっぽけな存在が、それでも誇りをもって短い人生を懸命に生きたとしても、私が心のどこかで蔑んだある種の人々—無明の民や形式主義者や権力志向の俗物や、一部の宗教者を含む全体主義者たちと、何ら変わらぬ最後を迎えることになるのだ。

開腹手術後、ひとときの安らぎ

 はじめての入院の最初の1週間をトチ狂った私は個室で過ごしたが、その後電卓を叩いて、あわてて4人部屋に移った。大島弓子が私と同じ卵巣癌ステージⅢCで手術を受けた顛末が、『グーグーだって猫である』に描かれているが、彼女はとても他人と終日過ごすことなどできん、と個室に固執(・・・)したそうな。私は金銭面の恐怖もあったが、それより1週間で個室に飽いたのだった。

 癌研有明病院の個室は素敵である。レインボーブリッジを正面に眺める夜景の素晴らしさったら、ハリウッドセレブになったみたいだ。それに主治医も看護師長も毎日来てくれる。これはちょっと複雑だった。私という患者を訪れているのではなく、個室にいる患者を訪れているわけだから。看護師さんに聞いた笑い話だが、病院の役付でもある某先生の大好きな言葉は「満床」だそうである。朝礼で「今日も満床ですよ」と満面の笑顔だった、などと聞くと、ちと辛い。病院だって学校だって客商売だから仕方ないのだが、やはりなあ。

 というわけで、これ以上病院の経営に寄与することもあるまい、やっぱり賑やかなのがいいや、とお引っ越し。最初の抗がん剤も4人部屋で受けた。

 同室の患者たちとのおしゃべりは楽しかった。彼女たちのおかげで、辛いはずの入院生活がまるで修学旅行か合宿生活みたいに楽しいものになった。情報交換もすごい。いろいろなことを知った。ちょうどこの時読んでいた本に、抗がん剤の奏功性が個室と4人部屋のどっちが高いか、という調査結果がのっていて、4人部屋の患者の方が有意に高いと書いてあったのだ。これには気を良くした。

 2010年の1年間、私は出たり入ったり120日を病院で過ごしたが、入院のたびに新しい出会いがあり、楽しい語らいがあった。男性4人の部屋では一日中仕切りのカーテンを閉めっぱなしにしている患者も珍しくないと看護師さんから聞いたが、女性の共感協調性はこんなところにも現れているようである。あの孤高の千葉敦子でさえ、入院中同室だった患者同士の励まし合いに慰められた、と乳がんの闘病記に綴っているぐらいだ。『K』によると、三木卓の伴侶だった福井桂子さんは違ったようだが。

 とはいえ、うんざりさせられるお仲間がいなかったわけではない。終日「殺して」「死にたい」などと嘆き続ける60代の奥様が隣にいた時には、正直辟易した。ステージを聞くと、私より軽いのだ。それが、ご亭主が腰痛で苦しんでいるという雑談の中で、「でもね、でもね、主人の腰痛は、治るのよ、、、治るの!」と泣き声で訴えたのには驚いた。「わたしは癌なの!不治の病なの!ああ、強い薬を注射して、どうかひと思いに殺して頂戴」などと、主治医にかき口説くのである。高原のサナトリウムの美少女じゃあるまいし・・。大昔、父親が読んでいた『我らいかに死ぬべきか』という本のタイトルが、記憶の底からにょっきりと浮かび上がってきた。

豆知識:治療費について&私家版お見舞い禁句集

 アメリカで生活したことのある私は、社会化された医療保険のありがたさが身にしみていますが、それもこれも、すべては年々高くなる保険料を支払い続けていることが大前提です。私のような俸給生活者は、天引きというありがたいシステムのおかげで払い漏れがありませんが、世の中にはいろいろな事情の病人がいることを入院して目の当たりにしました。

 ある日、病院の窓口で数百万円の札束を握りしめて支払いをしている若い男女を見かけました。ご亭主の方が癌にかかり、手術をしたはいいが、国民健康保険に加入していない(あるいは保険料未納)のため、全額実費負担になっているらしい。支払い猶予やなんらかの公的支援を受けるにしても、とりあえず清算をしなければならない彼らは、必死でお金をかき集めてきたらしいのです。この男性は、自分の手術で莫大な借金を作ってしまった事態を受け止めきれず、自暴自棄になりかけているように見えました。若年層が無保険無年金に陥っていくこのありようを何とかせねば、次世代の人間はどんなに医学が進歩しても、その恩恵に与れないではないか。暗い気持ちで病室に戻りました。

 お金のあるなしが治療の選択肢を大きく左右するのは、残酷な現実です。専業主婦の患者が、無収入の身で高い治療費を払い続けることへの遠慮から、抗がん剤治療を自ら中断することはめずらしくないと聞き及び、ショックを受けもしました。

 癌の治療は、入院、手術、検査、抗がん剤と、保険適用であっても高額の医療費との戦いになってきます。PET/CTなどは一度の撮影で3万円もかかりますし、外食費、交通費など雑費もかさみます。抗がん剤治療にかつらは不可欠ですし、食事に気をつけようと思えば高い有機食品を購入せざるを得ず、本当にお金がどんどん出て行ってしまうのです。一家の主婦が入院してしまうと、家族は主婦労働の一部をお金で買わざるを得ない事態にも陥るでしょう。癌はまことに、情報戦であると同時に経済戦でもあるのです。

 癌患者のお見舞いに行ったら、「痩せたわね・・・」と言うのを止めてくださいね。本当に痩せていたとしても、「がん患者が痩せはじめたら、終わりが近い」というイメージを受け止めかねている患者本人は、そんな一言で激しく落ち込みます。反対に、たとえやつれていたとしても、「なんだ、全然変わらないじゃない、安心したよ」という一言がどれほど嬉しいか。

 「やり残したことはないの?」と言った人がいましたが、さすがにこれはショックでした。「そろそろ再発するころよ」という発言も、身体を大事にしろといういたわりの声がけだったのかも知れませんが、やはり辛かった。「お気の毒ね」と言われて、答えに窮したこともあります。

 よく、「頑張って」は言ってはいけないと聞きますが、私は平気。うん、頑張るよ、と答えます。だってまだ頑張りたいから。死を意識しだしたら、きっと「いや、もう頑張らないよ」と答えるようになるのだと思います。だからそれまでは励ましてください。

2009年ジェンダー論の授業「家父長制のトライアングル」

 私は研究者の端くれとして、論理的であること、理性的であることを常に心がけています。それでも、「きっと治りますよ」「全然大丈夫」「あ、この笑顔なら将来明るいわ」といった一見無根拠で無責任とも思える言葉が、泣くほど有り難い。そして不思議なことに、それが生きる力を呼び覚ますような気もするのです。非科学的な言説であっても、そこに愛や友情の介在を実感できるとき、それはどんな科学的で分析的な論評より人を癒すことを知りました。

次回:治療再開~暗雲   豆知識:代替療法その1 免疫療法

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