原発ゼロの道 エッセイ

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原発と原爆 岡野八代 原発を問う民衆法廷 その5 広島法廷 ①

2012.07.23 Mon

開廷30分前の様子。最終的には、約100名が参加しました。

7月15日、翌日には東京で「さよなら原発10万人集会」が計画されるなか、今回は広島での法廷でした。

開始直前、他にも当日原発関係のイベント、さらに8月6日に向けて多くの企画で忙しい広島なので、参加者が少ないのかな、と出足の悪さが気になりましたが、最終的には会場には多くの方が参加されました。そして、毎回貴重な意見陳述、参考人の方の証言に胸が熱くなりますが、今回もとても多くの言葉、想いに耳を傾けました。そして、これは法廷の中で前田朗判事が述べられた言葉をお借りしますが、そうした言葉はじつはほんの一部であり、どれだけの声にならない想いが市民の方に渦巻いているのだろう、とくに長い反原発運動を闘ってこられた方には、3.11以後、さまざまな想いが去来しているのだと想像します。わたしがこうして、一人でも多くの方に法廷の様子をお知らせしたいと考えるのは、ほんの一部(にもならない、少しの言葉)でも、そうした方々の想いを言葉にして伝えてみたいからです。

被爆国での原発導入、その違憲性

さて、今回は、広島で活躍する弁護士、足立修一さんの代理人意見陳述から始まりました。1. フクシマ原発事故は終わっていないこと、2. 事故の原因は、「原発そのもの」にあること、3. 日本政府、電気事業者には原子力を扱う資格がないことが明らかとなったこと、そして、最後に4. 「被爆国である日本が、なお原発導入に至った歴史を検証するなかで原発の違憲性を確認し、島根原発は再稼働の停止、上関原発の建設の中止を根拠づける事実を立証していきます」と結ばれた。

 そう、今回の広島法廷での焦点は、原爆と原発との密接な関係、もっといえば、「そもそも、はじめから日本の原子力は軍事目的だった」事実を明らかにすることでした。(このことを証明された藤田祐幸さんの証言内容については、シリーズ③にて報告します)。

自然との共生

島根原発に反対されてきた芦原康江さんは、なぜ消費地で発電せず、つねに消費地から離れた過疎地に原発が作られるのか、島根もまた、中国五県の中で消費される8%しか消費していないと訴えられました。

原子炉を設置する場合、万一の事故に備え、公衆の安全を確保するために近くに人口の大きな都市がないことや企業がないこと 

これは、原発建設のための立地審査指針に明記されている言葉です。

つまり、原発建設のさいには、軽く扱われる命、重視される命と一人ひとりの命の扱いが異なる現実が日本社会に充満しているのです。

 広島で意見陳述された方から、とても鮮明に伝わってきたのは、美しい自然への畏怖を伴った愛着と、自然と共に生きることから得られる暮らしの豊かさを大切にしているということです。

芦原さん、そして続く祝島で原発建設反対を貫いてきた氏本長一さんのお話を聞きながら、わたしに去来した言葉はpriceless をめぐる議論でした。

それは、ドイツの哲学者カントの議論に由来する考え方です。カントはこの世界には、price のつくものと、price のつかないものの二つが存在すると言います。

つまり、お金で交換されるものと、され得ないものがある、という二つの価値をめぐる議論です。

次回は、祝島の「上関原発建設に反対する祝島島民の会」について陳述された氏本さん、そして、上関原発建設に反対するために、広島から運動を続けている岡田和樹さんのお話を報告します。

 広島法廷の様子「原発と原発」は、4回に分けて報告します。

カテゴリー:脱原発に向けた動き / 震災

タグ:脱原発 / 原発 / 岡野八代 / 原爆