2012.07.25 Wed
しばらく物置同然に放置していた部屋を使うことになったので、かたづけることにしました。古くて使わない物は一掃します。でも、なかなかはかどりません。古いアルバムに見入ったり、「こんな物が出てきた」と言っては思い出話などを始めてしまうので、心を鬼にしないと夏中には片づかないかもしれません。ちょっと焦っています。
でも、やっぱりお片づけの手を止めてしまう物が今日も出てきました。なんと、98NOTEです。これを懐かしいと思う人も多いでしょう。これを使っていた人は、とてもPCに凝っていたので、本業よりも夢中になっていました。
Windows95の前の物です。1995年にWindows95が発売され、翌96年に広く普及しましたので、このあたりをインターネット元年と呼んでいたと思います。このPCは、さらに前、PC-9821Neという物で、1993年に発売されています。メーカー(NEC)の希望小売価格は¥588,000ですって。(めまいしそう、、、。)
OSはMS-DOS。メモリーは3.6MB(1MB≒105万バイト)。今私が使っているノートPCのメモリーは2GB(1GB≒10億7374万バイト)ですから、隔世の感があります。HDDは搭載可能ですが、デフォルトでは搭載されていません。商品仕様を調べると、メモリーは、14.6MBまで増設可能となっていて、裏側の蓋をはずしましたら、12MBのメモリーが増設されていました。いろいろ手を加えていたようです。CPUもバージョンアップされていました。
ACアダプターをつないでも、もはや起動しません。
解体してみることにしました。
ハードディスクは内蔵可能となっていましたが、どうなのだろうと見てみたら、サイドに埋め込まれていました。CPUもバージョンアップして、メモリーも増設して、ハードディスクも装備したのですね。
これを外付けにして自分のパソコンで読むことは不可能ではないでしょうが、それはしないと思います。彼が亡くなったとき、彼が使っていたすべてのPCが彼と一緒に役割を終えたみたいに、立ち上がらなくなりました。それが彼の気持ちなんだから、無理に直そうとしないで、そのままにしておこうねと、子どもたちと話しました。それで、全部封印したのでした。
彼は、電気製品をいじったり、無線の資格を取ったり、パソコンを組み立てたり、と、メカ的なことがやたら好きな人でした。中学校の技術の先生になりたかったそうですが、実際は、高校の国語の先生になって現代国語はもとより漢文や古文も教えていましたから、まぁ、器用な人です。晩年は、IT系の指導をすることが増えたみたいで、そちらも掛け持ちしていました。それは楽しそうでした。
ノートPCを何台か持っていまして、私にも、「今使ってるのは新しいのだけど、別のを買ったから、君、使う?」なんて、持って来てくれてました。私がもっと興味を持って、知識を身につけようとしていれば、喜んでいろいろ教えてくれたでしょう。今、生きていたら、このエッセイも、もっとアドバイスを受けながら書けたのでしょう。でも、その頃は、私はやたら忙しくて、自分の必要なことだけをわかっていたらいい、という感じで、PCの話題にもノリが悪いのでした。
あれもこれも、思えば、悔やむことばかりです。普段は辛いので考えないようにしているのですが、今は、しっかり向き合って、かたづけていく作業をしようとしています。
亡くなった後も、彼の持ち物を何一つ処分することができず、洋服も使っていた小物も書籍もノートも、すべてそのまま残していたのですが、そろそろ新しいステージに移る時なのかもしれません。そのうち私も行くからね、と写真に話しかけて、処分しています。
大きなデスクトップがまだデンとあるのですが、これはちょっと手が出せません。彼の自作パソコンです。子どもたちに処分を頼むかもしれません。私が見ていない間に処分して、と言いたい気持ちです。子どもたちは、私がめそめそしているからだと思いますが、なかなかクールにドライに、振る舞ってくれています。それはとても救われます。
パソコンは、そこに様々な言葉を書いてきたものなので、何か思い入れが強い感じがします。つい、「この子」「あの子」と呼んでしまいます。彼が生きている間に、私のあの子や、彼のこの子たちのことをもっと話題にして、共通の趣味を持てていたら、彼をもっと幸せにできたかもしれないのに、と、なんだか今回はちょっと泣きが入っていて、すみません。
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