エッセイ

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治療再開〜暗雲(フェミニストの明るい闘病記5) 海老原暁子

2012.08.10 Fri

 リウマチ治療の世界的権威のおかげで、泣くほど苦しんだ痛みからあっと間に解放された私は、タキソール・カルボプラチンの標準治療を再開した。4クール終了の時点でCTによる評価を行い、根治術を行うかどうかを決めるとのこと。私は当然手術を受けられるものと信じきっていた。

 私の骨髄は相当なへなちょこらしく、一度点滴を受けると好中球(白血球の一成分)と血小板の数値がドドドと下がり、予定通り次回の点滴を受けられたためしがないのである。あまりにも下がりすぎた時にはG−CSF製剤という、むりやり骨髄を叩いて白血球を作らせる注射を二日連続で打つことになるのだが、これは「老馬にむち打つ」とドクターが例えたとおり、瞬間的な対症療法に過ぎず、骨髄そのものの元気度を人為的に回復することはできないのだそうだ。何を食べても、何をしても、戻らない人は戻らない。身体の「出来」がひとりひとり違うのだから仕方がないのである。元気な頑張り屋の看板を掲げてきた私だが、メッキが剥げてしまったようで悲しかった。

 抗がん剤の足踏み状態が続くうちに、手術が予定されていた6月が過ぎていった。7月初旬にかろうじて4クールを終了しCTを撮ったのだが、結果を報告に病室まで来てくれた町田医師の表情を見て、私はこれはダメだと悟った。「思ったより小さくなりません。あと2クール抗がん剤を追加します。でも骨髄がもつか心配です」とのこと。私はつとめて平静を装った。大丈夫、絶対大丈夫と自分を励まして、猛暑の7、8月、苦しい抗がん剤治療を受け続けた。

KOTA 初孫の生成

 8月頭には長女に第一子が誕生し、私はおばあちゃんになったのだが、娘のはじめての出産をまったく手伝ってやれなかった申し訳なさが募った。9月初めに再度のCTによる評価。町田医師は申し訳なさそうに口を開いた。「手術できないかも知れません。」

 手術ができないということは、自動的に緩和ケアの対象になるということである。余命がカウントダウンに入るのだ。「わかりました」と答えたあと、数時間を呆然とベッドで過ごした私は、飛び起きて外出許可をとった。日本橋に鰻を食べに行こうと思い立ったのだ。暑い暑い真夏の昼下がり、ゆりかもめで新橋に出、銀座線で日本橋へ。物思いに耽りながら鰻を食した。味も何もない。

 帰り道、乗り換えのため新橋の地下街を歩いていると、耐えられない蒸し暑さの中で通路に座り込んでいるホームレスの老人がいる。よれよれの作業着を着て、立ち上がる元気もなさそうに見えた。ポカリスウェットを自販機で買って、500円玉と一緒に彼に渡した。私はお気に入りの三宅一生のロングスカートをはいていたのだが、しゃがんで彼に向き合ったとき、赤いチェックのスカートがたっぷりと空気を含み風船のように膨らんでやがてしぼんだ。胸いっぱいに希望をはらんで膨らみきった私という風船が、今まさにしぼんでつぶれようとしているのだ。瞬間的に頭に浮かんだアナロジーがたまらず、私は目の前の女が何に涙ぐんでいるのかを量りかねて私を見つめている老ホームレスの手に500円玉を握らせると、逃げるようにその場を立ち去った。

 私より辛い思いをしている人なんかいっぱいいる。三宅一生のスカートをはくような贅沢を楽しんできた。仕事も思い切りした。高給も貪った。両親や親族に愛され何不自由ない青春を送った。3人の元気な子どもがいる。精一杯私を支えてくれる夫もいる。悩みなんかみんな形而上的なものばかり。食うに困ったことなどない。幸せすぎる人生だったじゃないか。ここで終わるのだとしたら甘んじて運命を受け入れろ、それが女の生きる道だ! 私は独り言を言いながらゆりかもめに揺られ、汗だくで病院に戻って行った。

 私のケースは婦人科の治療方針決定会議(キャンサーボード)の議題にされるそうで、婦人科部長が診察をすることになったと知らされた。治療方針は、基本的には医師が専門家としての見解に基づいて決めるものだと思ってはいたが、私は思い切って町田医師に聞いてみたのだ。「ダメもとで手術してくれって部長に直訴するけどいい?」彼女は「もちろんいいです。押してみて」と言う。

 内診台に乗る前、めったに人の目を正面から見て話すことのない瀧澤部長に、私は顔をすりつけるようにして「どうか手術を」と訴えた。瀧澤医師はちょっと困ったように、しかし笑顔を作って「できれば私たちもしたいんですよ、できるならばね」と言った。内診台の上、カーテンの向こうで部長はつぶやく。「うーーん、これならはずせるかなあ、、、どうかなー」私は、残った卵巣と子宮は「はずす」ものなのか、と思いながら「お願いします!」と叫んだ。

 部長がそそくさと立ち去ったあと、カーテンを開けてくれたのは意外にも病棟の看護師長だった。「山本さん(私の戸籍名)、治療受けられることになりそうですね!よかったですう。私そこで聞き耳立ててたんです。どうなるか心配で」と。ああ、私は下手をするともう「治療」を受けられないところだったんだ、間一髪だったなあ、と何だかもう病気がすっかり治ったような気がして、へなへな座り込みそうになった。

 このエピソードは是非癌患者のみなさんに知ってもらいたいと思っていた。無理して手術に賭けるか、抗がん剤でやれるだけやって後は緩和にまわすか、ボーダーライン上の患者の治療に関しては、例えば癌研のような専門病院ではキャンサーボードという複数の医師による会議で決定するのだが、そこに患者本人の意向が反映されることは極めて稀である。私の例はボーダーだったからこそ、私の強い主張に医者が「じゃーそうしましょうかね」のように判断の背中を押された形になったのだと思うが、もし私が「手術は一度でたくさん、もう耐えられない」というような意思表示をしていたならば、間違いなくそのまま緩和ケアに送られていたと思うのだ。もちろん、手術が治療にマイナスになると判断されるケースもあろう。しかし私はあの時、部長と交わした会話の流れや彼の言葉使いから、自分の治療方法の選択に確実に自ら関与したとの確信をもっているのである。

 それからの展開はなかなか興味深かった。癌研有明病院では毎日たいへんな数の手術が行われており、オペ室を確保するための予約が難しい。私の場合、6月の予約がキャンセルになった後、根治術ができない見込みが強かったせいもあろう、オペの予約が入っていなかったらしい。翌朝、町田医師が飛び込むように病室に入って来た。「手術日程、決めました。22日です。キャンセル枠で川俣先生に執刀してもらいます。瀧澤は入りません。」

 驚いた。川俣先生というのは、当時癌研で最も手術のうまいドクターの一人との評判をとっていた中堅医師で、9月いっぱいで癌研を退職し阪大病院に移動することが決まっている人だった。引っ越し準備の整った彼の、癌研での最後の手術がキャンセル枠にねじ込まれた私だったわけである。私は一度も彼の診察を受けたことはないのだが、前回書いたマダム・ラメンテーション(嘆きの奥様)と私が密かにあだ名していたお隣さんの主治医で、マダムが「殺して」を始めるたびに、困ったような視線を私に送ってきたので面識があった。学生時代はロックバンドを組んでいたに違いないと思われる風貌で、医者らしくない雰囲気がなかなかいい味をだしているな、と憎からず思っていたドクターであった。

 これで全てうまくいくのかな、私は手術を持ちこたえられるのかな、きっと元気になって仕事に戻れるに違いない、いやいや捕らぬ狸はいかんいかん、とさまざまな思いが交錯した。

 夫に電話をしたあと、父親にも手術ができるようになったと告げようと思い実家に電話をしたのだが、父は不在だった。何度かけてもつながらないので妹に問いただすと、父は数日前に入院したという。しかも肺がんで。2度の脳梗塞の後遺症に苦しむ79才の父である。これが父の末期の宣告であることは明らかだった。変型股関節症で障害者手帳を持っている妹は、私の病院に通いながら、茨城県に住む父のもとへも頻繁に通うことになってしまったのだった。ここぞという時にいつも役に立たない長女は、病院の電話室で言葉を失った。

豆知識: 代替療法その1 免疫療法

 癌患者の2人に1人が受けたいと思っていると言われているのが免疫療法です。患者の免疫系統に働きかけることによって、そもそも免疫不全によって発症した(つまり異常増殖したがん細胞を免疫が退治することのできなかった)がんをやっつけよう、というのが根本理念のようです。〜のようです、と書かざるを得ないのは、いくら本を読んでも、ドクターの話を聞いても、いまいちよく理解できないからなのです。

 もちろん、お勉強だと思って本を読み、そこに書いてあることを穴埋め式のテストで答えろと言われればそれは簡単なのですが、字面でわかることと、納得することがこんなに違うのかと思わせられたのが免疫療法でした。また、一口に免疫療法といっても実にさまざまな治療方法があり、どれが自分に合っているのか素人には判断がつきかねます。

 私は、初回の手術の前にすでに60冊にも及ぶ癌関連の本を読みあさり、抗がん剤が終わったら免疫療法で補完治療を行うのが理にかなっているであろうとは思っていました。患者の中には主治医に気兼ねして他の医療機関を受診することをためらったり隠したりする人が多いとのことですが、正面突破こそ正攻法と信じる私は、試験開腹術の前に瀧澤部長に直接質問してみました。

 部長曰く。「免疫療法は確立された治療法ではありません。患者さんの多くが口になさいますが、保険も適用されませんので癌研では提供しておりません。ただし、私たちが止めだてするものでもありません。もしどうしても試してみたいとおっしゃるなら、一カ所だけ病院を推薦しましょう。私の医学部時代の大先輩であり、かつ尊敬する医師でもある方が始めた病院です。免疫療法を謳う多くの病院が金儲けに走っている現状を知る中で、彼だけは金儲けのために医術を行う人間ではないと確信できるからです。」

 瀧澤部長は都内の某病院を紹介してくれました。私はこういったやり取りを信じたい人間です。すでに複数の病院を調べてあったのですが、部長に勧められた病院を受診し、試験開腹の際に私自身の病変部位の一部をワクチン治療に利用するために切除、保管することを癌研に了承してもらいました。

 私が試したいわゆる免疫細胞療法は2種類あります。1つは一般的な免疫力の底上げのため、私自身の白血球を培養増殖して体内に戻すもの。これは1回27万円かかります!これをワンクール(6回)。

 そしてもう1種類は、手術で切り取ったがん細胞からワクチンを作り、抗がん剤治療が終了したあとに接種するという治療。これは、一度のアフェレーシス採血(成分採血)でどれだけのワクチン製造のもととなる成分が採取できるかにもよるのですが、私の場合は150万円払って12回分のワクチンを作ってもらいました。それを管理するための費用と接種の手間賃は別途請求されます。貯金があっという間に目減りの一途。すでに300万円以上の出費です。もちろん後悔してはいませんが、今後この治療を受け続けるかと聞かれれば、無理と答えざるを得ません。

 クリニックの宣伝パンフには高い奏功性を認めた患者の奇跡の回復物語が並んでいますし、NHKの「クローズアップ現代」でも夢のワクチン治療が取り上げられて話題になりました。しかし、です。全員には効かないのです。現に私も300万円払って再発したのでした。しかし、話は先走りますが、私の再発は復職後の無理な働き方に多くを負っているはずですし、主治医は「あなたの病勢で再発まで9ヶ月もったというのは驚きです。もっともっと早く再発すると踏んでいました」とのことでしたから、それなりの延命効果はあったと言うべきなのかも知れません。もし治療費が一桁安かったならば、もちろん試し続けたい治療法ではあるのです。

次回: 大手術と父の死  豆知識:代替療法その2 食餌療法

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カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /

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