2012.10.20 Sat
以下は、
「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(バウラック)主催「日本人「慰安婦」の被害実態に迫る!〈第一弾〉—なぜ、日本人「慰安婦」被害者は見えてこなかったのか―」
日時:2012年9月29日 13時30分〜16時30分
場所:早稲田大学国際会議場3階 第1会議室
の参加レポートです。
「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC、バウラック)の2012年度総会シンポジウム「日本人「慰安婦」の被害実態に迫る!〈第一弾〉—なぜ、日本人「慰安婦」被害者は見えてこなかったのか―」が、9月29日の午後、早稲田大学国際会議場で行われた。 本シンポジウムは、これまで調査・研究が遅れがちであった日本人「慰安婦」被害者に焦点を当てることによって、「慰安婦」問題の歴史的背景としての公娼制度の問題性をあらためて確認し、保守派の人々による〈「慰安婦」は「売春婦」であるがゆえに被害者ではない〉といった趣旨の発言にみられる「売春婦」差別を指摘するものであった。
本シンポジウムのプログラムは、以下のとおりである。
シンポジウムの趣旨説明…金富子
「なぜ今、日本人『慰安婦』なのか?」…西野瑠美子
「資料から見えてきた日本人『慰安婦』の徴集の実態」…小野沢あかね
「雑誌に残された日本人『慰安婦』」
「順子」…田場祥子
「菊丸」…吉池俊子
「鈴本文」…山田恵子
「城田すず子」…山口明子
「雑誌に表象された日本人『慰安婦』から見えてくるもの」…平井和子
質疑応答
最初に、コーディネーターである金富子氏が、以下のような趣旨説明を行った。
保守派の人々が「慰安婦」の人々の被害者性を否定する際、議論の焦点は、連行の強制性にある。
特に日本人「慰安婦」に関しては、彼女たちは公娼だったから強制連行されておらず、それゆえに問題はない、といった発言がなされることがある。
実際には、公娼出身ではない日本人「慰安婦」の人もいたのだが、本シンポジウムでは「前歴が公娼であった『慰安婦』は被害者ではないのか」と問いかけたい。これまで日本人「慰安婦」についての資料や証言に基づいた調査があまり進められてこなかったため、バウラックでは現在、その調査を進めつつある。研究者だけでなく市民が一緒になって、調査チームが、大宅文庫に通って雑誌や単行本から証言や記事を収集したり、聞き取りカードを作成したりしている。
今回の報告は、あくまでも中間報告であり、来年には第二弾を予定している。
次に、西野瑠美子氏による「なぜ今、日本人『慰安婦』なのか?」と題する報告があった。
西野氏は、今回のシンポジウムで、特に日本人「慰安婦」被害者に焦点を当てることによって浮かび上がるのは「公娼制度下の女性は、被害者ではないのか?」という問いだと述べた。
朝鮮人女性とくらべて日本人「慰安婦」被害者には〈公娼制度下の女性〉というイメージが強く、保守派の人々の発言の中には、しばしば〈商売の女〉=〈自由意志で売春していた人たち〉だったから被害者ではない、という形で彼女たちへの加害を免責しようとする主張があることを指摘した上で、西野氏は、〈「売春婦」だから被害者ではない〉という考えの背後にある貞操イデオロギーこそ、「慰安所」制度を必要悪とみなす「性の防波堤」論にも共通する考え方であり、戦後長らく「慰安婦」被害者の人々を沈黙させていたものでもあった、と論じた。そして、公娼制度や「慰安所」制度そのもの暴力性、人権侵害、女性蔑視が問われなければならない、と論じた。
小野沢あかね氏は、こうした西野氏の問題提起を裏づけるかたちで「資料から見えてきた日本人『慰安婦』の徴集の実態」と題する報告を行った。
小野沢氏は警察庁関係資料を読みときながら、具体的に「慰安婦」徴集の実態について紹介し、その徴集方法の問題性を指摘した。小野沢氏は「慰安婦」徴集の背景には公娼制度があり、それは前借金の返済が困難な搾取的制度であったこと、また、1920年代以降、公娼制度や婦女売買に対する批判が国内外において高まっていたにもかかわらず、日本政府が婦女売買を禁止する措置をとらなかったこと、そのため、女性を売買する業者たちが、軍の命令で戦時期に女性を広範囲に徴集することができてしまったこと、などをこそ問題にしていかなければならないと論じた。
また、現代の一部の政治家が、すでに20世紀に批判されていることについて、いまだに「問題はない」と発言している、その人権感覚の低さこそが問題だと論じた。
次に、「雑誌に残された日本人『慰安婦』」および「雑誌に表象された日本人『慰安婦』から見えてくるもの」と題する報告が行われた。
日本人「慰安婦」調査のワーキングチームでは、現時点で99件をリストアップしているとのことであるが、今回は、そのうちの4名(「順子」「菊丸」「鈴本文」「城田すず子」)について取り上げるものであった。田場祥子氏、吉池俊子氏、山田恵子氏、山口明子氏が、それぞれ1人ずつ日本人「慰安婦」の雑誌記事の内容を紹介し、その4名の日本人「慰安婦」被害者についての雑誌記事の分析を、平井和子氏が行った。
平井氏は、4名の日本人「慰安婦」の経歴、「慰安婦」となった動機、「慰安所」での生活、および戦後の人生について、共通点や相違点についての分析を行う中で、4名の「慰安婦」たちは、ともに貧困と家父長制を起因とするジェンダー差別の犠牲者であったととらえると同時に、資料の中には、軍「慰安所」での「厚遇」体験について「一番楽しかった」「仕合わせな時代」と振り返る証言もあったこと、また、彼女たちの愛国心や自負心の強さを指摘する記事もあったことを紹介し、そうした記事については、今後、資料批判を行いながらも「慰安婦」の人々の「生存戦略」や「タフさ」を探る手がかりとしたい、と述べた。
これらの報告については、その内容がVAWW RAC通信・第2号に掲載される予定だとのことである。また、今後、VAWW RACでは連続セミナーも予定されているとのことである。
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以下に、本シンポジウムについての筆者の考えと感想を、簡単に記したい。
まず、本シンポジウムの意義の一つは、「慰安婦」問題の歴史的背景としての公娼制度の問題性が、あらためて確認された点にある、と私は考える。
日本人「慰安婦」の人たちの被害者性が保守派の人々によって否認される際にしばしば主張される「当時は公娼制度があったので(「慰安婦」の人たちが経験したことは)仕方なかった」という認識は誤りで、その公娼制度を維持し続けた日本政府の責任こそが問われるべきだと論じられた点が、非常に重要である。
公娼制度や公娼制度廃止運動(廃娼運動)の歴史的検討は、この問題を解く際の鍵となるにもかかわらず、一般社会においては、その歴史的検討以前の問題として、老若男女を問わず、公娼制度や廃娼運動があった事実そのものを知らない人が多い、というのが現時点での実情ではないだろうか。
今後、VAWW RACでは、各種のセミナー等が企画されているとのことであるから、そうした機会が活用され、一般に開かれたかたちで基本的な歴史的事実が広く知られるようになることを期待したい。
また、そのような意味においても、VAWW RACの調査チームが(狭義の)研究者だけでなく市民と一緒に調査を行っているという点は、画期的だといえるだろう。
ただし、調査や研究発表の技術に長けた研究者と、その技術を習得するための機会が得られにくい人々が共に研究を続ける際には、その共同研究を誰がどのように代表するのかという点において、組織の在り方が問われてくるだろうと思う。
シンポジウムの最初に、司会の中原道子氏から、VAWW-NET ジャパンがVAWW RAC(「リサーチ・アクションセンター」)として再編成されたのは「運動は、常に調査に基づかなければ、本当の運動ではない」という考えに基づいているとの紹介があった。
私は、その理念に賛同する。
本シンポジウムは、一見〈被害者〉のイメージを裏切っているかに見える資料(たとえば「慰安婦」だったころのことを振り返って「楽しかった」と証言しているもの)なども含めて、丁寧に掘り起こすことによって、「『慰安婦』問題における〈被害〉とは何か」という根本的な問いに向き合おうとするものであった。
また、公娼制度下における〈自己決定〉や〈合意〉の意味を、日本人「慰安婦」個人の問題として狭くとらえるのではなく、その〈自己決定〉や〈合意〉が導き出された背後にある女性たちの貧困に着目し、それを社会構造の問題としてとらえて、公娼制度そのものの問題性に迫ろうとする姿勢に、私は強く共感した。
そして、社会運動がそのように常に調査に基づくものであろうとするのと同時に、研究者もまた、常に運動から学びながら、自らの調査の目的を検証し続ける必要がある、と私は考える。
しかしその際、研究者同士が〈弱者〉との距離の近さを競い合ったり、その不確定なままに概算された距離をもとに「誰の(どちらの)側につくのか」と問うたりすることがあるとすれば、それは、まったく不毛なことである。ここでも、問われるべきは個人ではなく、社会構造であり、その在り方を明らかにし、より良い方向に変えていくための糸口を探し出すことこそが、社会問題に関わる研究者の仕事であろう、と私は考えている。