2012.11.29 Thu
「何かがへんだ…それが何かはわからないけれど」。これが主人公の口癖だ。元世界的なロックスター、今は歌をやめたシャイアンは、なぜだかダブリンに隠棲している。逆立てた頭髪と口紅、濃いアイメークのパンクなファッションはいやがおうにも周囲に違和感をひきおこす。シャイアンのファンで鼻ピアスをした10代の少女も、この眠ったような町にいらだっている。そうか、ロックって、こういう閉塞感と違和感から生まれたんだ、って実感。
このシャイアンを、『ミルク』で2回目のアカデミー賞主演男優賞を受賞した名優にして自身も映画監督を務めるショーン・ペンが演じる。人生と折り合いのつかない初老の男のなげやりな虚無感を好演。
そこにアメリカから父の危篤の知らせが届く。30年まえに別れたきり二度と会わなかった父だ。17歳のときにロックを志した息子を決して理解せず許そうとしなかった父親。息子は父に愛されなかったと固く信じている。父の最後のしごとは、自分たちを迫害したナチの残党狩り。父の遺志を引き継ぐ過程で、息子は父の愛を感じとっていく。
ナチの残党狩りやユダヤ人マフィアのようなネットワークの存在は牽強付会な設定だし、父と息子の確執と和解なんて、なんだかどこにでもありそうなストーリーだけど、映像の美しさ、脚本の緻密さ、音楽の魅力で見せる。説明の少ない静かな画面、決して激さない役者たち。かすかなきしみがすこしずつほぐれていって、あるとき歯車がカチッと合うように世界との奇跡のような和解が訪れる。旅を終えて主人公が妻のもとに帰還するラストシーンが圧巻。度肝を抜かれるこのシーンのためだけにでも、映画を見る価値はある。
主人公が試練の旅を経てオトナになるロードムービーは定石どおりだが、その時シャイアンは47歳。オトナになるのに時間がかかる時代になったものだ。元トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンがそのまんまの役で出ている。往年のロックスターもいいおじいちゃんになった。ロッカーはロッカーのまま老いるんだ。とはいえ、オトナへの反抗だったロックは、自分がオトナになるためには邪魔になる。子どもの時間を凍結した主人公が、父の死と共に時間を取り戻し、オトナになるビルドゥングスロマンだが、それはロックやパンクを捨てることと同じなのだろうか。解釈のタネがたくさん仕込まれた監督のパオロ・ソレンティーノの仕掛けは余韻を残す。
原題は”THIS MUST BE THE PLACE”。「きっとここが帰る場所」という邦題は、座布団1枚!
初出掲載 クロワッサン プレミアム 2012年8月号 マガジンハウス社
カテゴリー:新作映画評・エッセイ