2012.12.03 Mon
引き続き、中国陝西師範大学の屈雅君教授の講演のレポートとして、今回は以下の講演について私なりの理解と感想をまとめる。後半では、この講演に触発されて、私自身が昨今の日中関係について考えさせられたことにもふれてみたい。
【2】日本軍性暴力パネル展報告シンポジウム
「大娘(ダーニャン)たちの戦争と記憶~中国での性暴力パネル展を開催して~」
日時:2012年11月11日(日)午後1時30分~5時(開場1時)
会場:日本大学文理学部オーバル・ホール(図書館3階)
講演:屈雅君「女性・平和・民族自省―陝西師範大学での開催から考える」
(1)中国で開催された日本軍性暴力パネル展とそれに対する反応
日本の市民グループ“日本軍性暴力パネル展”実行委員会が、山西省で「第二次大戦期の女性に対する日本軍の犯罪」パネル展を開催した際、屈雅君教授と陝西師範大学女性研究センターのメンバーは現地に赴いてそれを体験した。屈教授らは、日本の市民団体が長年にわたり独力で資料収集に努め、全力で展覧会活動を推進していることに衝撃を受けた。その日のうちに、陝西でもこのパネル展をやろうと決めたという。
そして2011年10月、陝西師範大学で「メディアとジェンダー」をテーマとするジェンダー国際シンポジウムが開催された時期に、同大学婦女文化博物館で日本軍性暴力パネル展が開幕した。副校長や国際事務所長も訪れ、来場学生数は千名近くに及んだという。
日本の実行委員会は、中国各地でのパネル展開催にあたり、史料の提供など全面的に協力してきたが、当初は、反日感情を煽ることになるのではないかという懸念もあったという。確かに、日本軍のあまりの酷さに「日本鬼子」への憎しみを表した感想も寄せられた。しかし、屈教授が引用した次のような来場者のコメントは、日中の女性たちの共同によって実現したパネル展ならではの意味深さを考えさせる。
・「私はこのパネル展が日本への敵意をあおるためのものではなく、将来万が一また戦争があったとしても女性が再びこのような大きな災難に遭わないようにという切なる願いから出ていることを痛切に感じる。結局のところ、戦争が起きさえすれば、女性が侵害を受けるというのが現実なのだ。この展示が映し出している問題は、国と国とのあいだにあるのではなく、戦争と女性の間にある。……」
・「長々しい資料を見ても、今日の展示が与えたほど深い影響を受けたことはない。あの眼の涙、あの傷だらけの記憶が、初めて、女性の戦争史に近しく「触れ」させてくれた」
・「これら戦争の中で凌辱を受けた女性たちを、かつて嘲り、見下した人々を、私は軽蔑する。彼らはあの日本軍兵士たちよりももっと憎むべき人々だ。……」
・「今回のパネル展の資料がなんと日本側から提供されたということに、実は最も深く感銘を受けました。彼らは勇気をもって立ち上がり、先達のために責任を負い、歴史の真相を追求し、大娘(高齢となった元慰安婦に対する愛称“おばぁさん”)の訴訟を助け、日本政府に謝罪をさせて大娘に尊厳を取り戻させるために努力してきた。目覚めた日本の友人の行動には深く考えさせられる。記憶することは、平和を守り、戦争が繰り返されないことを願うためであって、恨みのためではない!」
・「日本を、私は好きでも嫌いでもない。ただこの複雑な民族は、ある種の、私たちが学ぶべきものを持っていると思う。歴史がたがいに敵対する口実となってはならない……」
・「より多くの教員や生徒に来てみてほしい。これは一回見て洗礼を受けるというようなものではなく、歴史を再認識し、反省するということなのだ」
このような生の声の中に、国境を越えたパネル展開催の意味を見出すことができる。悲惨な現実をヴィジュアルに提示するパネル展は、戦争の事実をつきつけただけではない。実は戦後も続く傷痕の深さと、その現状に対する自国での戦後責任や民族的反省にまで、見る人の思いを至らせた。そして、物理的に国境を越える行為が実践され、それを意味づける理論と価値が共有されることによって、フェミニズムは明らかに国境を越えた。国境などないかのようにみなすのではなく、日本人と名指され中国人として振る舞う現場でこそ、国境を超えることの意味が鮮明になるのだと思う。
(2)現在の中国における「反日」の意味
戦後の日中関係は、戦後のサンフランシスコ講和体制と日米安保体制に規定されざるを得なかった。冷戦体制の揺らぎに乗じて国交正常化が実現した後も、積み残された様々な問題が間歇的に噴き出すような状況が続いた。特に近年、世界における日本と中国の経済的地位が逆転し、かつ日中双方で格差の拡大が報じられて社会的不安が増大するに伴い、互いを内部矛盾の転嫁先とする感情的な言論が声高になる傾向がみられる。今年に入って、「日中国交正常化40周年」へのいやがらせとしか思えない、しかもアメリカ向けパフォーマンス見え見えの石原都知事発言に端を発して日中関係の悪化が、過去の経緯にも中国の現状にも理解の乏しい野田政権の稚拙な対中外交によって、抜き差しならぬ事態に進展した。
屈雅君教授の来日講演が行われたのは、中国での過激な反日暴動が沈静化したとはいえ中国の新体制が決まる前で、日中関係改善の兆しも見えない時期のことである。そこで教授が、中国での「日本軍性暴力パネル展」報告シンポジウムの最後に、中国における対日感情と反日暴動について率直に語り、冷静な分析を示したことは、極めて意義深い。
屈教授はまず、長年にわたって中国社会、特に若い世代の間に、日本に対する敵意が蔓延しており、それは80年前の戦争の忘れがたさに由来していると述べた。やはりこれは大前提として受け入れなければならないのだろう。
しかしそれだけではない、と教授は言う。それ以外の内的要因として真っ先にあげられたのは、今の中国の若者の生きづらさである。勉強・仕事・不動産価格の高騰等々、息もつけぬほどの圧迫感に、誰かに因縁もつけたくなる現状。誰かを罵ろうにも誰が罵らせてくれるというのか。人々は日本を罵ることだけはとても安全だと気づいたのだ。
次に指摘されたのは、日本には多様な価値観が共存するということを、中国人は理解すべきだということだ。中国を敵視する人々、戦争を美化する人々、歴史を塗り替える人々、あるいは自分の民族文化に対し反省の姿勢を崩さない人々、あるいはあの戦争については知らないながらも世界の平和と日中友好を熱望している人々がおり、日本では異なる意見を持つことができるのだということである。
さらに教授は、みんなが同じ言葉で一つのことを称揚し(たとえばオリンピックを)、また同じ言葉で一つのことを罵る(たとえば日本を)、というような社会の危険性を指摘し、中日間の様々な衝突の中で、非理性的な事件が頻発することへの憂慮を示した。理性的・自立的な思考と平和的な表現によって日中間の関係を促進することの大切さを強調し、陝西師範大学でのパネル展開催を通してそれが達成できたことをあらためて確認した。
そのようなことは、反日暴動のさなかにはさすがに言えなかった、と教授はふりかえる。しかし今なら言えるし、実は中国の学生の大半は日本について好きでも嫌いでもないのだ、と明言する。私がこの講演の前の週に参加した他大学のシンポジウムでも、日本人研究者が同様のデータを紹介していた。日本に対して親しみを感じるかどうかという質問に対して、中国の大学生の過半数は、「普通」と答えているのだ。残りは、親しみを感じる/感じない半々の比率である。
「反日」は、絶えず再生産される「抗日ドラマ」やネット言論の一部に突出して現れ、また屈教授が分析するように、政府公認の不満のはけ口とされているという面が確かにあるのだろう。また、時に「反日」暴徒と化す人々の過激ぶりは、アニメやファッションや実際の交流を通して日本びいきとなった異端派への反感の表われなのかもしれない。もちろん、だからといってそれを強調するあまり、日中間の根本的な歴史問題まで軽く考えていいわけではない。しかし日本側で、これまた執拗に繰り返される反日暴動の映像によって、近年の中国の印象が硬直化するなかで、それを相対化するための糸口として、屈教授の分析は有効である。現に、パネル展報告シンポジウムで、屈教授の講演に対する感想を語ったある若者は、そのような相対化ができてホッとした様子だった。
屈教授の講演に続いて行われたリレートークでは、日本の大学のクラスで、現実の日中関係についてどのように考え話し合えるか、興味深い体験談も語られた。侵略の歴史や性暴力の問題など、戦争を知らない若い世代にもそれを重く受け止め中国の対日姿勢の厳しさに戸惑う学生はいるが、その教授は、あなたが日本のために謝る必要はない、と伝えるという。ただし、知っておかなければならないし自分の問題として考えればいいと、そのような機会をもとうとする姿勢は、とても大切ではないかと思った。
それにしても、日本による尖閣諸島実効支配の現状と、日中両国の指導者による問題棚上げの真意を無視して、領土ナショナリズムに火をつけた張本人が、自らそれに煽られてますます過激な言論を弄するとは、嘆かわしい限りである。戦争責任や領土問題を明確にしなかった日中国交正常化交渉そのものに対して批判的な中国の研究者さえもが、「棚上げ」の約束が日本側にきちんと守られてきたならば中国は反応しなかっただろう、と悔やむ。
しかし、「最悪」だと嘆いてばかりはいられない。それを契機として新しい動きを生み出すのでなければ、「最悪」の現状維持に加担するだけである。一部政治家の暴走やマスコミの行き過ぎは、良識ある人々の抵抗感覚を呼び覚ますことになるだろう。少なくとも私の中で、何かがオンになったことは確かだ。これまで「普通」だった若者の中にも、うんざり感とともに、新しいタイプの真っ当な関心が芽生えていることも実感できる。とにかく日中双方ともに、実は歴史についても現状についても、まだまだ互いに知らなすぎる。逆に言うと、これまでに作られた一面的なイメージを解体し合う快感を、存分に味わえる余地があるのだ。
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