2012.12.23 Sun
『東ベルリンから来た女』 媚びないヒロイン――はりめぐらされた監視の網の目のなかで 田丸理砂
風の音が印象的である。背の高い草むらの脇をスカート姿の女性が自転車を走らせる。草むらの彼方は見えず、吹き荒れる風のリアリスティックな音は、見る者を不安にさせずにはいない。
映画は、ひとりの女がある建物の前の停留所でバスから降りてくる場面で始まる。下車するや、青いスカートにカーディガンを羽織った彼女は、ベンチに腰を下ろし、落ち着かない様子で煙草に火をつける。そんな彼女を、建物の中では、ふたりの男が眺めている。男のひとりは彼女の同僚となる医師のアンドレ、もうひとりは秘密警察の役人である。
1980年、夏、旧東ドイツ、バルト海沿岸の小さな町。東ベルリンの大学病院で小児科医として働いていたバルバラは、西側への移住申請を却下され、地方の小さな町の病院に左遷されてきた。打ち解けない態度をとる彼女は、都会の大病院から田舎町に来たということもあり、周囲からは奇異の眼差しを向けられ、また当局に目をつけられた彼女の住居は、しじゅう秘密警察によって監視されている。バルバラは、こうした監視の目をかいくぐり、西側に住む恋人ヨルクとの逢瀬を重ね、西側への脱出の準備を進めていた。
ある日、バルバラの勤務する病院に、矯正収容施設を逃げ出したステラという少女が運ばれてくる。ステラは逃亡の際、隠れていた草むらでダニに咬まれ、髄膜炎に罹っていた。バルバラは献身的にステラの治療にあたり、彼女は順調に快復していく。すでに何度も矯正施設から逃亡をはかっていたステラは、施設に戻りたくないとバルバラに懇願するが、バルバラは彼女を抱きしめるほか為すすべもなく、結局、ステラは人民警察によって元の施設に連れ戻される。
過去の医療ミスが原因で、地方の病院で働くことを余儀なくされた同僚医師アンドレは、バルバラについて秘密警察に報告する任務を担う一方で、医師としての彼女の誠実な態度を目の当たりにし、しだいに彼女に信頼を置くようになる。バルバラとアンドレは、自殺未遂で運ばれてきた少年マリオの治療に協力して取り組むが、奇しくもマリオの手術日は、バルバラの西側への脱出決行日だった。彼女は近くの海岸からボートでデンマークへ渡る手はずになっていた。バルバラが約束の場所へと家を出ようとしたとき、全身泥だらけで傷を負ったステラが彼女の前に姿を現す。バルバラは自転車にステラを乗せ、海岸に向かうが…。
もしもこの『東ベルリンから来た女』に、ベルリンの壁や秘密警察(シュタージ)をテーマとした、たとえば『グッバイ、レーニン!』(監督:ヴォルフガング・ベッカー、2003年)や『善き人のためのソナタ』(監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク、2006年)のような、いわゆる「旧東ドイツもの」を期待するなら、この映画は、その期待を大きく裏切ることになるだろう。写実的に旧東ドイツを描き出すこれらの「旧東ドイツもの」映画とは異なり、『東ベルリンから来た女』の舞台は旧東ドイツとも、どこか架空の国とも言える。ちなみにドイツ語の原題は『Barbara(バルバラ)』である。
資料に基づき1980年、旧東ドイツと記したが、映画のなかでは、具体的な時代や地名は言及されていない。その町がバルト海沿岸の町と容易に推測できるのは、南にアルプスが控えるドイツでは、海といえばドイツの北側であり、しかも旧東ドイツが面しているのはバルト海しかないから。登場人物は、主人公のバルバラを含め、ほとんど内面を語らず、映画ではその家族構成も社会的背景も明らかにされていない。バルバラの恋人、西側に住むヨルクからして何者なのかわからない。もっとも、知的で自立したバルバラのような女性が、どうしてヨルクのような胡散臭い男に魅力を感じるのかは大いなる謎なのだけれども。彼はベンツを乗り回し、西の贅沢品で東の女を釣る、西側資本主義を体現化したような人物である。西への移住はやめて、ふたりで東で暮らそうというヨルクの提案に、バルバラは激怒し、西に来たら、君は働く必要はない、という彼の言葉を、バルバラはしらけた面持ちで黙って聞いている。
ところで、こうした曖昧な設定とは対照的なのが、冒頭で触れたリアリスティックな風の音や、不安を紛らわすかのように休みなく煙草を吸うバルバラの姿である。ひそかに西側への脱出の準備をする彼女は、何度も執拗な家宅捜索を受け、隣人にその行動は逐一密告されていている。内面は語られなくとも、こうした音や映像によって、バルバラが常に置かれている極度の緊張状態が、真実味をもって観客にまで迫ってくる。
一見愛想のないバルバラが魅力的に映るのは、たんに美しいというだけではなく、不安にかられながらも彼女が医師としての使命感を持ち続けるからだ。同僚にはけっして気を許さないバルバラも、患者とは根気よく誠実な態度で向き合う。彼女の心は、自由を求める気持ちと、医師としての使命のあいだで揺れ動く。そして西への移住がヨルクの言うような生活を意味するなら、医者としての自負を持つ彼女にとって、それはいったい自由と言えるのだろうか。
2007年の『イエラ(Yella)』に続いて、監督クリスティアン・ペツォルトは、本作品で2012年、二度目のベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)を受賞した。今回、ペツォルトの作品が日本で初めて一般公開されることは、ペツォルト・ファンのひとりとしてとても嬉しい。詳細な説明を好まないペツォルトの作品は、饒舌を排した、寡黙な語り口がその特徴である。旧東ドイツを舞台とした映画『東ベルリンから来た女』の原題が『バルバラ』というタイトルであるのも、いかにもペツォルトらしい(ちなみに2007年の『イエラ』も主人公の女性の名である)。このタイトルは、「旧東ドイツもの」という先入観で見られることを拒んでいる。おそらく先に述べた本作品の曖昧な設定もまた、タイトル同様、監督・脚本担当のペツォルトによって意図的に仕組まれたものだろう。これにより、バルバラの抱える不安や猜疑はむしろ抽象化され、観る側のわたしたちは、旧東ドイツから離れて、彼女が晒されている得体の知れない恐怖それ自体に引き込まれていく。
バルバラは、涙を流すこともなければ、打ちひしがれた様子を見せることもない。彼女は美しく、不安に駆られながらも、孤独をおそれず、媚びることのない、毅然としたヒロインである。
(監督:クリスティアン・ペツォルト、2012年/ドイツ映画)
◎東ベルリンから来た女
カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:くらし・生活 / 田丸理砂 / クリスティアン・ペツォルト / ドイツ映画
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