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『007 スカイフォール』今度のボンド  川口恵子

2012.12.25 Tue

 『007 スカイフォール』今度のボンド

映画の日の12月1日、土曜日、電車に乗って数駅目の映画館まで初日の「007 スカイフォール」を見に夫と出かける。実家が映画館をしていた夫は小さい頃から洋画館で見ている。私は上京後の大学生時代、70年代後半。「私を愛したスパイ」「ムーンレイカー」「ユア・アイズ・オンリー」あたりを集中的に見た。三代目ボンド、ロジャー・ムーアの頃だ。当時は映画の派手さを楽しむだけでボンドに興味はなかったが。

今度のボンドはダニエル・クレイグ。先週も書いたが(下記記事参照)、クールでセクシー。お馴染みプレ・タイトル・シークエンスでの派手な活劇から一転、峡谷を走る列車の屋根から落下、深い水底に沈んでゆくと共に始まるタイトルバックが素晴らしい。青くスタイリッシュな映像に甘く切ない主題歌の響き。映画の醍醐味を思いきり味あわせてくれる。

映画史上の傑作「めまい」「上海から来た女」「第三の男」などの引用をさりげなく随所にちりばめつつ物語は疾走。イスタンブールのバザールから上海の高層ビル、マカオのオリエンタルな酒場、ロンドン名所の数々、そしてボンドの生まれ故郷スコットランドの地へと観客を連れてゆく。

「どこに行くの?」「過去さ」ジュディ・デンチ演じる女上司Mと二人、最後の戦いに向けて北の故郷に向かう時のやりとりがいい。

Mもボンドも共に自分たちは過去の遺物になりつつあるとの自覚がある。だからこそあえて原点の場所に戻り、再生をかけた戦いへと向かうのだろう。過去と決別するために。

そこは暗く荒涼たる英国の原風景のような場所だ。ボンドが少年時代を過ごした館はすでに廃墟と化し、19世紀英国ゴシック小説の舞台のようなロマンティシズムをたたえる。迎えたのは昔馴染みの猟場の老管理人。そこでMと三人、父の遺した旧式のライフルと、ナイフで敵を迎え撃つのだ。

最後まで楽しませるが、タイトルバックの青い映像が暗示していたように、全体にメランコリック。深い憂愁が漂う。老いと死の影も―

かつての威信を失い、傷つき、かろうじてプライドを保つMの姿と英国の現在が重なる。ボンドの闘いは孤独だが、Mと英国への忠誠心に貫かれている。Mはマーダー(殺し)のMであるとともにマザー(母)のMでもあったのか【注1】。

アクションに深い精神性が加味された新しいボンド映画の誕生に立ちあえた。

 註1  ヒッチコックの映画『ダイヤルMを廻せ』の原題はM for Murder(Mは殺しのM). ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場する、どうしてもMのあとに続く単語を言えないヤマネとの関連も興味深い。これをもじっているのが、『英国王のスピーチ』に登場する吃音の皇太子ジョージの発声練習場面。mm・・・motherと発音練習をする。

愛媛新聞「四季録」12月11日掲載(タイトル: 今度のボンド)記事より転載  転載許可番号G20130101-01078

『007 スカイフォール』

配給:ソニー・ピクチャーズ

大ヒット上映中

fall ©2012 Danjaq, LLC, United Artists Corporation, Columbia Pictures Industries, Inc. All rights reserved.

「ボンド像の変遷」

「007 スカイフォール」が公開された。第一作「ドクター・ノオ」(1962年)から23作目にしてシリーズ生誕50周年記念作。いわずとしれた007をコードネームとする英国諜報部第6部(通称MI6)所属スパイ、ジェイムズ・ボンドを主人公とするアクション映画である。ヒーローは死なないという映画ならではの夢を体現するかのように、このボンドという男は半世紀にわたりスクリーンを支配してきた。

しかし、どんなヒーローも時代の変化には勝てない。ショーン・コネリーが初代を演じた頃と比べるとこの男もずいぶん変わったのだ。

昔のボンドはマッチョ。いちおうは「英国紳士」らしく洒落たスーツを着こなし、米映画のヒーローよりはマナーをわきまえ、機知あふれる短いジョークを好む英国流ユーモアの持ち主ではあるが、こと女性あしらいに関しては、夜ごとボンド・ガールなるグラマラスな美女をはべらし性差別的態度・発言を繰り返してきた。それで70年代から80年代にかけては、ずいぶん世のフェミニストのひんしゅくをかったものだ。

ただ、昔のボンドにはまだ仕事があった。1953年、冷戦構造を背景に作家イアン・フレミングによって創造された彼には、共産主義陣営の悪だくみを暴くという大事な使命があったのだ。

だがそれも「007リビング・デイライツ」(87年)で終わり。ベルリンの壁が崩壊し冷戦構造終焉とともに、ボンドは存在意義を見失った。かろうじて見つけたのが「テロとの戦い」。加えて95年「ゴールデンアイ」以後はジュディ・デンチ演じる女性Mが上司に。

かくして90年代から21世紀初頭にかけて、世界情勢と男女の力関係という二つの大きな構図の変化に対応しきれなかったヒーローは低迷してきた。

そんなボンド像を一新したのがフレミングの処女作を原作とする2007年の「カジノ・ロワイヤル」。そこにはもはや洗練されたプレイボーイの姿はない。任務に忠実で冷淡な殺し屋ボンド。そしてなぜかそれが、時代と波長があった。

新たなボンド像を今回も続けて演じるのが第6代ボンド俳優ダニエル・クレイグ。ビートルズと同じリバプール育ちで、青い眼と細身の体にぴったりしたスーツがよく似合う。クールでちょっと女性的でセクシー。傷ついた感じも漂わせる。これは劇場で見なくては!

 愛媛新聞「四季録」12月4日掲載記事より転載 タイトル「ボンド像の変遷◆転載許可番号G20130101-01077

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:セクシュアリティ / 川口恵子 / イギリス映画 / 男性表象