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『希望の国』原発被災のテーマに真っ向から立ち向かう、監督の覚悟に共感。上野千鶴子
2013.01.10 Thu
あの原発被災をテーマにしたっていうし、話題の園子温監督だっていうし、これは見なきゃ、と思って見たのだけれど、うーむ、まったくもって評しにくい映画だ。できれば見なかったことにして避けて通ろうとおもったけれど、それじゃ原発事故はなかったことにして再稼働に移行する政府と東電みたいだし、何より自爆覚悟でこの映画を撮ったにちがいない園監督の意気にもとると思ったので、やっぱりとりあげることにする。
20××年、長島県大葉町で原発事故が起きる。誰が聞いても、福島県双葉町のパロディだとわかる。時は3.11の後。穏やかな暮らしをしていた酪農家一家が主人公だ。アルツハイマー症の妻を介護する老いた夫に、後継者の息子、妊娠がわかったばかりの若い妻が同居している。原発の爆発事故の後に発された根拠のない20キロ圏避難命令、やがて来る強制退避命令、そして家畜の殺処分命令。道を隔てた隣家と杭1本で分かたれ、避難地域に入らなかった土地に一家は住んでいる。国も行政もTVも信用ならねえ、自分の身は自分で守るしかない、と若い夫婦は自主避難を選ぶ。だが認知症の妻を抱えた父は残留する。なんでこんなことに、という理不尽な思いをいっぱい抱えて家族は離散し、夫婦は対立し、老後の安心はうちくだかれる。綿密な現地取材にもとづいて作りこまれたという細部はドキュメンタリーのようにリアルだが、物語は寓話のように様式的だ。役者は巧拙のばらつきが大きく、シナリオはところどころ破綻する。おいおい、こんな動きはふつうせんだろうが、と思う不自然な展開もある。
ときどき福島の被災者が「あの時は…」と語るシーンが出てくるので、福島の事故が過去になりつつある近未来だとわかる。福島の寸分たがわぬ再現だ。同じことが同じようにくりかえされる。この無限のループから脱けだせない気分になる。フクシマは再来する…悪夢だ。
被災から1年余しかたっていない。画面に映る雪景色は被災地のこの冬の風景だ。大きな災厄のあとには、たんたんと日常を描くほかない、という監督の信念のようなものが伝わってくるが、模造品はしょせん模造品。ホンモノの悲劇には届かない。違うよなあ、という被災者の焦燥が聞こえてきそうだ。まだ過去になりきっていない災厄に向かうにはどんな作法があるのか。本作を成功作と呼ぶのはためらわれるが、逃げないで混乱する姿をさらそうとする監督の覚悟の記録として、そして同じように混乱する私たちを忘れないために、この映画を見ておこう。
初出掲載 クロワッサンプレミアム 2012年11月号 マガジンハウス社
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