エッセイ

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最高の昼食―チーズトーストとミルクティー― 小林 あんぬ

2013.01.30 Wed

(晩ごはん、なあに?25)

わたしはたべもののある場所で働くのが好きだ。とくにその場で食べたり飲んだりするような場所、カフェや喫茶店がいちばんいい。お店を出るときには何も残っていないのに、人はお金を払って出ていく。そこにいた時間、そこで飲んだ一杯のコーヒー、ちょっとした食事、そういうものに払われたお金は、物への対価というより、もっと大きな、特別なものに払われたもので、名目として料理や飲み物に値段がついているような気さえ、する。
そしてわたしは働くと、いつもそのお店のものを心底好きになってしまう。

元果物屋さんだったというフルーツパーラーで働いたことがある。有名どころのフルーツパーラーの半額くらいの価格で立派なパフェが食べられる。わたしはそれが誇りだった。当時は妹も同じ店でバイトをしていたので、毎月変わる「今月のパルフェ」の内容を真剣に評し合ったものだ。そして時々「今日!」という日にバイトをあがったあと、エプロンを外してテーブルの隅にふたりで並んで、前々から検討を重ねた「今月のパルフェ」や「マンゴーパフェ」や「パパイヤパフェ」を、(たっぷりおまけしてもらって)食べる。生クリームがふんだんないちごのショートケーキ、やはりクリームがたっぷりのバナナチョコケーキの時もあった。紅茶のセットについてくるフルーツのパウンドケーキを、新しい包みをあけて端っこを切り落とす役目にあたったときは役得だった。年長のパートの女性が一緒だと、その端っこをわたしや妹にとっておいてくれたりもした。

 いちばん長く働いたのはフランス菓子のケーキ屋。そのころはランチ代わりに前日の売れ残りのパイやケーキを食べるという暴食ぶりで、なかでも好きだったのは、さくさくでナイフを入れるとばらけてしまうパイ生地のミルフィーユ、夏だけのグレープフルーツのパイ、お酒の味がきつくて最初は食べられなかった、リキュールたっぷりのサバラン(スポンジからじゅわりと染み出すリキュールと生クリーム、上にのったオレンジの酸味がたまらない!)だ。朝お店を開ける当番になると、パテシエさんがミルフィーユのきれはしを持ってきてくれたり、時にはコンクールに出すオリジナルケーキの試作をみんなで食べたり。その店にいた女の子たちとは、いまも仲が良い。そして、甘いものやおいしいものの話はいつも欠かせない。

そんなわたしのアルバイト(たべもの)遍歴のスタートは、大学への大通り沿いの、もうなくなってしまった喫茶店のチーズトーストだった。当時50代くらいの女性がひとりでやっている小さなお店で、ママさん、と彼女は呼ばれていた。愛想のいい方ではなく、時々聞き取れないような小さな声で話す人だった。わたしはアルバイトもほぼ初めて、要領も悪い。けっこう緊張した。それでもわたしはその店のたたずまいが本当に好きで、そこにいることが嬉しかった。脇道に入る角にたたずむその店は、通りに面してきれいなガラス窓が一つ、木の扉をはさんで、少し控えめな、白壁に埋もれるような出窓が一つ。中に行くほど店内は暗く、小さなランプやスタンドがオレンジ色の光を放っている。読書向きの光量ではないけれど、長時間本を読む人もいた。今なら「穴場カフェ」と紹介されそうな雰囲気のある店だけど、入り口には数種類のスポーツ新聞が置かれ、近隣の会社のおじさんが毎日食後にコーヒーと煙草を楽しみにやってくるような「喫茶店」然とした店だった。大学一年の春休み、わたしは週に4日その店で働いた。毎日お昼に食べていたのが、ママさんが作ってくれるチーズトーストだった。「毎日おなじでいいんですか」と笑顔もなく聞かれたこともある。「はい」といった。そのチーズトーストがあまりに美味しくてとても好きだったからだ(でも、そうは言えなかった、緊張して)。
 
もちろん、チーズトーストの作り方は観察したけれど、何の変哲もない材料で作る、何の「秘密」もなさそうなチーズトーストなのだから不思議だ。パンは朝、近くのスーパーの一角に設けられているパン屋さんが運んでくる。チーズはわたしがそのスーパーに買いにいくこともある、ごくふつうのとろけるタイプのスライスチーズ。ぶあついパンをトーストし、粒のマスタードを塗り(これもふつうのスーパーにあるマスタードだ)、チーズを乗せてとろけるまでふたたびトースターであたためる。これだけなのに本当に美味しかった。それから色々なお店でアルバイトをしたけど、毎日食べたのはあのチーズトーストだけだ。
 
もう一つ楽しみだったのが、添えられるミルクティーだった。お店にはいろいろなカップがあって、ブレンドはおもに小ぶりのコーヒーカップだったが、紅茶やカプチーノ、ウィンナーコーヒーにはその時によって違うカップが使われていた。中でもわたしが好きだったのは、ターコイズブルーに紋章のような模様が入った白地のカップ。ひっくり返して、ウェッジウッドのものとわかった。そのカップにココアを注いだときの色の調和はまさに完璧で、わたしはココアの注文がはいるといつも、そのカップを使って欲しいと願っていたし、いまでも、あのカップにはココアがいちばんふさわしいと信じている。わたしのミルクティーもそのカップで飲んでいた。今思えば、アルバイトの昼食にもウェッジウッドのティーカップというのは気前がいい。そのカップは「フロレンティーナターコイズ」というのだとあとで知った。「いつか欲しい」と誓ったけれど、いまだに手に入れていない。でも、見かけるたびに、「いつか欲しい」と思っている。もし手に入れたら、大事に飾っておくのではなく、アールグレイのミルクティーを毎日入れて飲みたいと思う。そして冬にはかならず、ココアを淹れる。

今朝はひさびさに、チーズトーストを作ってみた。美味しかったけれど、やはり何か違うみたい。あの時のチーズトーストに、あるいはわたしに、どんな魔法がかかっていたのかとても知りたい。

カテゴリー:晩ごはん、なあに?

タグ:くらし・生活 / / 小林あんぬ