2009.08.26 Wed
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2009年5月27日から、パリのポンピドーセンターが所有する芸術作品のうち、女性のものだけを集めた展示が始まりました。タイトルはelles@centrepompidou。英語のパンフレットを見るとWomen Artistsとなっています。日本語に訳すと、「女性芸術家たち」とでもなりますか、とてもありふれたタイトルですが、主催者が「世界初」で「スキャンダラス」で「パラドクサル」な企画と自称するほど力瘤が入っていて、それが来年の5月まで1年間続くというのです。
私もある夏休みの午後、センターに行ってきました。8時間うろついて、飽きることなく楽しむことができました。夜は9時まで開いているので、夕食を食べてから気軽にふらっと入るのがクールだなと思いました。 なぜこの展示会がそれほど「画期的」なのか?
センター開設以来30年近くにわたって集めてきたコレクションのうち、女性によって作られたという条件を満たす作品だけをすべて展示しています。結果200人の芸術家による500点の作品が4階と5階、800平方メーターにわたって展示されることになりました。200人という数は、センターで買い上げられた芸術家の18%になるそうです。おおざっぱに言えば、4人の男性芸術家に対して1人の割合で、女性作家がセンター入りしているということを示しています。それを時代順に並べるのではなく、テーマ別にわけて、ふんだんに解説をつけて展示されています。解説に日本語はありませんが、日本語の解説イヤホンを借りることができます。
それがどうして「スキャンダル」なの?と思われるふしもあるかと思います。フランスの美術館は、しかも国立の美術館ともなれば、芸術は「普遍的」であるべきだという考え方が圧倒的です。作品が男性によって創られたか女性によって創られたかは問題ではなく、それが創造的な美の表現となりえているかどうか、ただそれだけを問題にすべきだという考えかたです。5年ほどまえのことですが、ある美術館のキューレーターをしている女性の友人と、マネの『草上の昼食』の話をしたことがあります。
男性の視線の対象とされている女性の裸がテーマになっているこの絵に、19世紀の女性の社会的立場を見るフェミニズムの考え方に私が言及すると、彼女は即座に眉をひそめて「私は芸術をそんな目でみないわ。女性だろうが男性だろうが、ヌードが美になりえているかどうかだけが問題だと思うわ」ときっぱり言ったのを思いだします。この考え方がフランスでは一般的なのです。アメリカでは1989年にゲリラガールというグループが「女性がメトロポリタン美術館にはいるには裸にならなきゃいけないの?」というポスターを作製して、メトロポリタン美術館で買い上げられた女性作家は5%なのに、ヌードを描いた絵の85%は女性のヌードである」というユーモアたっぷりのポスターを作製しています。これもこの展示会でみることができます。
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ゲリラ・ガールズ「女性がメトロポリタン美術館にはいるには、裸にならなきゃいけないの?」1989年、ポスター、Guerrilla Girls HPより http://www.guerrillagirls.com/
しかしフランスでは、このように芸術を政治的にみることよりも、普遍的な美の追求を忘れてはいけないという考えかたが強いのです。それなのに今回の常設展は、男性をはなから排除して女性を優先し、ポンピドーセンターの展示部を女性の作品で埋め尽くすというのですから、挑戦的な企画なわけで、マニュフェスト文にも力が入るし、また新聞や雑誌でも取り上げられることになりました。
主催者は「自分たちは決してフェミニズムを唱っているわけでもないし、女性に特有な表現があるとも考えていない」と断言しています。ではなぜ、2009年に女性だけの作品なのか? これこそが普遍主義を標榜するフランス特有のパラドックスであるとしています。普遍主義には平等という土台が前提になりますが、男女の平等がなかった20世紀の女性が、また平等が完全に実現したわけではない今日の女性が、自分を表現するために普遍を否定して「差異」を強調せざるを得なかったことを認め、差異にこだわるという矛盾をはっきりと認識して振り返ることによって、21世紀にはこの差異を無くすることを大目的にしたいと宣言しています。そしてこの展示会を、独自の表現を追求した現代の女性芸術家たちのパワーに対するオマージュとしたいともいっています。
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作品は時代順に並べるのではなく、9つにわけたテーマに沿って、ふんだんに解説をつけて展示されています。解説に日本語はありませんが、日本語の解説イヤホンを借りることができます。会場に足を踏み込むやいなや、入口でまず目に飛び込むのが、フランスのアニェス・テュルノエの広告のような作品『等身大のポートレート』。20世紀の有名な男性芸術家の名前を女性の名前にもじった直径1mはあろうかというバッチのようなものがカラフルにちりばめられています。
アニェス・テュルノエ《等身大のポートレート》2007-2008年 図像リンク↑
ル・コルビジエがラ・コルビジエに、フランシス・ベーコンがフランシーヌ・ベーコンに、ジャクソン・ポロックがジャックリーヌ・ポロックにという具合です。唯一女性彫刻家であるルイーズ・ブルジョアの名が、男性名であるルイ・ブルジョアに変わっていますが、これは実在の男性作曲家の名前なので、ますます混乱するというしかけです。いかに女性が芸術で表現するチャンスが少なかったかをユーモアたっぷりに表現しており、観客たちは立ち止まってクスクス笑っています。またニキ・ド・サンファルの有名なテロリスト的作品『射撃絵画』も入口に展示されています。この企画の意図を最もよく示すフロントページのような作品ということでしょうか。
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入口近くに展示されたニキ・ド・サンファル《射撃絵画》1993年 撮影:上村くにこ
まずは5階の「パイオニアたち」というテーマから見てゆくことにします。フェニミズムのフの字もなかった1905年からのコーナーです。マリー・ローランサンやソニア・ドローネー、それに日本ではユトリロの母として知られているシュザンヌ・ヴァラドン、ピカソの恋人として有名なドラ・マール、それに私が知らなかった沢山の女性たちの絵や写真が展示されています。ヴァラドンは、息子より3歳も若い恋人のユテルと自分をアダムとイヴになぞらえて自画像を描きました。女性はまったくのヌードですが、恋人のほうはイチジクの葉で局部を隠しているのがとても不自然な感じがします。この部分をX線で分析した結果、もともと完全なヌードだったのが、展示会の主催者側の要求に従って、あとで書き加えたものと判明しました。男性局部は昔からきついタブーだったのですね。
さて4階に下りて、「火と燃える意志」では、不条理な女性の立場に抗議する政治的メッセージ性の高い作品が集められています。ニキやアニェスの作品もこの部類に入ります。3番目のテーマは「身体スローガン」。とくに女性の身体に押しつけられた意味に抗議する作品が集められています。チェコスロバキアのヤナ・スターバックの作品は、生の牛肉をマネキンにはりつけたもので、悪臭はするわ、色は変わるわで、今でもショッキングな作品です。
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ヤナ・スターバック《Vanitas: Flesh Dress for Albino Anorexic》1987年 インスタレーション
■もっとスターバックの作品を見たい人は↓
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田中敦子《電気服》1956年(再制作版 1999年)
4番目のテーマは、現代性のひとつの基準となった抽象性と、規範からはみ出そうとする異常性をドッキングさせた作品を集めたということで、題して「エキセントリックな抽象」。日常生活で使われる材料で、まったく別世界がかもしだされる不思議な世界が展開されています。赤く染めた軍手と空き缶でつくった草間弥生の『私のフラワーベット』もここに収められています。エジプトのガーダ・アメールは、ジグザグの刺繍のなかに、ポルノチックな人物像が縫いこまれている作品で、ちょっと見ると抽象画のように見える不思議な作品です。
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ガーダ・アメール《Big Pink Diagonal/Big Angie – RFGA》2002年、アクリル、刺繍、糊
次なるコーナーはヴァージニア・ウルフのエッセイのタイトルにちなんで「私だけの部屋」。創造行為に直面する女性の空間を表現した作品を集めたということです。アメリカのドロテア・タニングの作品で、ごくありきたりの内装のホテルの壁から女性のヌードが半分はみ出していたり、暖炉から怪物めいたものがはい出しているインスタレーションがまず目を引きます。このコーナーには台所や食卓などを問題としたヴィデオ作品がたくさん見られました。
6番目のコーナーは「力を持つ言葉」というテーマで、60年代半ばから盛んになった、言葉を作品のなかに挿入して、概念とアートを融合させようとする傾向の作品です。女性作家の場合は、このころから隆盛したフェミニスト的な作品になるか、または自伝的な作品が多いという解説があって、なるほどねと思いました。アメリカのバーバラ・クルガーの作品は前者の典型な作品で、「what big muscles you have!(筋肉隆々だね)」という大きな赤字の背後に、マッチョな男性主義を揶揄する言葉、たとえば「ベターハーフ」とか、「私の欲望の先生」とかいう言葉がびっしりと並べられているという作品。ここまでくると、フェミニズム的表現の波をまともにかぶってきた私くらいの世代の人間には、こんな時代を生きてきたのねえという懐かしさで、心は高揚する一方ですが、若い人はどう思うだろうと心配になってきました。しかし手をつないだ若い中国人カップルが、にこにこと眺めていたり、男の子がこの絵のまえでおどけてボディビルのポーズをしてしたりしているのを見て、なんだかとても安心しました。
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バーバラ・クルーガー「筋肉隆々だね!」1986年 撮影:上村くにこ
さらに「非物質主義」と題する7番目のコーナーでは最小限の材料をつかって形而上的な表現を追求することによって、逆に物質を見つめようとする作家たちをあつめています。このへんにくると、確かに女性的なものはさっぱりと省略されているような気がしてきました。中に写真家のオノデラユキのまっくらな夜に窓から光が洩れる写真が入っていました。
さらに女性デザイナーの作品を集めた「女性によるデザイン」、女性建築家の作品を集めた「建築とフェミニズム?」までゆくと問題は複雑になってきます。この分野への女性進出はきわめて最近なので、ポンピドーセンター入りした女性の割合は他のジャンルに比べると少ないという解説ですが、作家の数は急激に増加しつつあることから、ジェンダーと芸術の関係の解明はこれからというところでしょう。8人しかいない女性建築家のなかに長谷川逸子の「笛吹川フルーツ公園」の設計の模型が紹介されていました。
こうして8時間、その作品の豊富さと多様性に圧倒されつつ、フェミニストの勇気を懐かしみ、ユーモアに笑い、繊細さに感激し、わからん作品には首をかしげ、ヨーロッパの女性作家の多様さに触れて、自分はアメリカのフェミニスト表現の情報に偏っていたのだなと実感し、オノ・ヨーコをはじめ日本の女性作家がたくさん入っているのに驚き、つまりは至福の時間を過ごしました。展示会の理屈っぽいマニフェストにもかかわらず、男も女も、フェミニストである人もない人も、年寄りから若者まで、そしてあらゆる国の人が楽しめる展示会になっています。と考える私はフランスの普遍主義にまんまとかぶれたのか? (上村くにこ)
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