2013.03.05 Tue
今回は、だいぶ昔のドラマ「女路」(全211話、KBS、1972)をご紹介しよう。最近、ドラマ講座でドラマの歴史について触れることが多く、そのたびに取り上げるドラマの一つである。ただし、このドラマの映像は断片的にしか見ることができない。韓国でもいまのところ、全話を見ることは無理らしい。でも、有名なドラマなので、いろんな書物やブログにその内容が伝えられている。
軍事政権が主導したテレビ放送
韓国でテレビ放送が始まったのは、陸軍少将の朴正煕が軍事クーデターを起こした年(1961)の12月である。軍事政権は同年8月、国営テレビの設立計画を発表し、テレビ放送を「革命政府のクリスマスプレゼント」にするという方針を打ち出したのだ。こうして年の瀬の12月31日、KBSのテレビ放送が「軍事作戦的」に開局する。
60年代のドラマは<実話劇場>などの反共ものの国策番組や短編ドラマ、時代劇などが中心だった。また、1964年には商業放送の東洋放送局(TBC)が、69年にはMBCもテレビ放送に参入し、放送局間の競争も激しくなる。各社は視聴者の関心をひき、感動を与えるプログラムをつくろうと努力するようになった。そして、70年にTBCが放映した「若奥様」(全253話、TBC1970-71)が大人気を博した。
TBCの「若奥様」(写真)の人気に負けまいとKBSが制作したのが「女路」だった。このドラマは「若奥様」に劣らぬ人気を得、ともに70年代初めの超人気連続ドラマになった。これらのドラマがきっかけで、テレビ受像機が一気に普及したと言われている。脚本と演出は、KBSテレビのPD(演出家)一期生だったイ・ナムソクが担当した。
このドラマが放映されたのは、1972年4月3日から12月29日まで。時間帯は夜7時半から50分までの20分間だった。実際には調査をしていなかったのではっきりしないが、視聴率は70%以上だったともいわれている。その頃は、朴正煕大統領が国会を解散(10月)して非常戒厳令を発令し、維新憲法をつくって独裁体制を強めた時期である。
前々回(36)に少し紹介したアン・ジェウク主演のドラマ「光と影」の第7話を見ると、喫茶店で客と従業員がテレビドラマに見入っているシーンが出てくる。みんなが夢中になって見ていたのがこのドラマである。ちなみに、字幕では「旅路」となっているが、正確には「女路」である。発音がどちらも“ヨロ”なので、間違いやすいのだ。私も当初、「旅路」だと思っていた。
プニの成功物語
ドラマの背景は、1942年から1962年までの20年間に及ぶ。植民地時代から朝鮮戦争を経て軍事政権下という激動の時代である。貧しい家の娘プニは、酌婦として働いていたところ、売られるようにして、ある両班家の一人息子ヨングのもとへ嫁ぐ。ヨングは知的障害をもち、小学生程度の知能しかない。プニはそんな夫に誠心誠意尽くし、ヨングもプニを慕った。二人の間には、まもなく息子のキウンも生まれる。
しかし、ヨングの継母だった姑は、家の財産がヨングに相続されるのではないかと心配し、嫁入りした初日からプニをいじめ、追い出そうと躍起になった。その上、ヨングの家から金をもらってプニを紹介したタルチュンは、「酌婦だったことをバラすぞ」とプニを脅迫しつづけた。
人柄のよい舅は、独立運動家(サンジュン)を家にかくまったかどで捕えられ、日本人の刑事から拷問を受けて半身不随となる。そのすきに、タルチュンと姑がプニの前歴を持ち出して、ついにプニを家から追い出してしまうのだ。プニが解放前後の混乱期を一人身で苦労して過ごさなければならなかったのは容易に想像できる。
朝鮮戦争中、プニはヨングと偶然再会するものの、姑によってまた別れさせられてしまう。プニは避難先の釜山で小さな食堂を営んで生きてゆく。その食堂が繁盛し、プニは成功する。片や、ヨングの家はおちぶれて、ヨングとキウンが靴磨きをしてやっと生活を支えていた。10年後、プニは、食堂の経営で築いた財産を社会に還元し、そのことが美談として新聞に掲載される。そして、その記事がきっかけでヨングの家族とプニは再会する。
プニを苦しめた悪人たちはみな悔い改め、プニの財産でヨングの家は買い戻される。息子のキウンは大学に首席で合格し、かつての使用人たちもみな家に集まり、和気あいあいと暮らしてハッピーエンドになる、というストーリーである(イ・ヨンミ「戦争世代の復古風ドラマ-イ・ナムソプ作“女路”」『放送文芸』2006.10参照)。
ドラマ批評家のイ・ヨンミは、このプニの女性像を「1960年代のスーパーウーマン」と評している。このドラマの前年に人気を集めた「若奥様」では、主人公の女性が婚家での嫁暮らしにひたすら耐える姿が描かれるが、女性主人公は両班家の出身である。貧しいプニとは出身階層が異なるのだ。プニの成功物語は、連載33で触れた女人発福説話「カムンジャンアギ」のようなモチーフを含んだドラマとも言えそうだ。
このドラマはもともと90話の予定だったものを、倍以上に延長放映したという。また、それまでは屋内での撮影しか行われていなかったが、このドラマではじめて野外シーンを撮影した。ドラマの人気にあやかって、「女路茶房」、「女路パン」など、ドラマの題名をつけた商品がいくつも登場した。同名の映画も二編制作された。一方、障害をもつヨングの描き方が障害者差別につながるとの批判も起こったそうである。
俳優たち
主人公のプニを演じたのは、テ・ヒョンシル(1942~写真)である。漢陽大学の演劇映画学科に在学中、KBSテレビのタレント第1期生に応募して選ばれた。知的で品のある顔つきが人気を得たという。少しずつではあるが、近年まで俳優活動を続けてきた。
2008年の国会議員選挙の際には、平和統一家庭党の応援演説を行っている。なんの政党かと思って調べてみたら、統一教だった。演説では始終一貫、家庭の重要さを強調している。その中でこのドラマについても言及し、「家を出ていった嫁がこのドラマを見て戻ってきたと、おばあさんから感謝された」と語っている。この政党は約1%の得票率しかなく、その後、政党の登録を抹消された。
このドラマで憎らしげな姑役を演じたパク・チュア(写真)も、テ・ヒョンシルと同じくKBSのタレント1期生で、年齢も同じである。パク・チュアはその後もいろんなドラマに出演した。近年でいえば、「シティーホール」(2009)の主人公シン・ミレの母親役、「美しき人生」(2010)では、ダイビングを仕事とするホソプが結婚したヨンジュの祖母役を演じている。これらのドラマでは実に優しげなおばあさんを演じていて、「女路」での憎らしい姑役が想像もつかないほどだ。残念ながらパク・チュアは、2011年5月に急逝した。それも医療ミスと言われており、現在遺族が病院(延世大学のセブランス病院)を相手に裁判中である。
ヨング役を演じたチャン・ウクジェはこのドラマで人気スターとなるが、翌年結婚。その数年後には引退して、俳優業からは遠のいた。片や、このドラマでプニの婚家に身を潜める独立運動家のサンジュン役を演じたのがチェ・ジョンフン(1940~写真)である。「美しき人生」では、5人のめかけをもち、最後は糟糠の妻のもとで死ぬおじいさん役を演じた。「私の男の女」では認知症の会長役として登場している。この俳優も同じくKBSのタレント第1期生である。
ちなみに、「母さんに角がはえた」(2008)でハンジャを演じたキム・ヘジャ(1941~)や、「ホジュン」(1999)の母親役をはじめ、今も現役で大活躍中のチョン・ヘソン(1942~)も同じKBSの第1期生である。
最後に、韓国の“歌手の女王”であるイ・ミジャ(李美子1941~)が歌う「女路」の主題歌をご紹介しておきたい。ちなみに下記の映像では、「女路」と「若奥様」の主題歌を歌っている。
https://www.youtube.com/watch?v=apwEzoVgm3c&feature=endscreen
歌詞はだいたい次のような内容である。
「女路」(作詞:イ・ナムソプ、作曲:ペク・ヨンホ、歌:イ・ミジャ)
その昔、玉色のリボンを風になびかせ
春先の蝶の羽に夢を託してみたけれど
舞い降りる落ち葉とともにどこかへ消えて
冷たい川面にうつるしわがれた顔
さびしく振り返る女のみち
「若奥様」(作詞:イム・ヒジェ、作曲:ペク・ヨンホ、歌:イ・ミジャ)
昔、この道は花の輿に乗って
馬上のあなたを追いかけて、お嫁にいった道
ここかしら、あそこかしら
桃の花がきれいに咲いていた
生涯を終えて帰る道
沈む空の向こうに、夕焼けが哀しい
写真出典
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=o3o7a&logNo=110103300483
http://www.munhwa.com/news/view.html?no=1997092319000301
http://cafe.daum.net/juseonfriend/BKFA/25?docid=1Kx1TBKFA2520110125004421
http://blog.daum.net/4750ab/15959631
カテゴリー:女たちの韓流