エッセイ

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癌のお姫様(フェミニストの明るい闘病記12 最終回) 海老原暁子 

2013.03.10 Sun

 京王線の各駅に毎年張り出される京王プラザホテルでの「お姫様体験」(女の子をお姫様に仕立てて「お喜びいただく」客寄せプラン)のポスターを、毎年がっくりくる思いで見続けてきたが、最近ちょっと違う感想を持つようになった。この世に流布するお姫様の解釈自体が間違っているのではなかろうか、と。

 女の子がお姫様に憧れるのは、ひとえにそれが「楽してうまいもん食える、きれいなおべべがただで手に入る、ちやほやされて羨ましがられ、大抵は内面も外面もいい男の王子様に愛され、しかも周辺から敬意をもって遇される」、超ラッキーな商売だとの思い込みがあるからだ。しかし、お姫様の大変さ、生きづらさは、本邦のお姫様を見れば明らかではないか。王子様だってハンサムとは限らないし(*゚.゚)ゞ・・・。雅子さんと皇太子の結婚報道を、ニューヨークタイムズは「A Reluctant Princess(不承不承のお姫様)」との表題で報じた。プリンセスダイアナの悲劇は記憶に新しいし、キャサリン妃をめぐる報道合戦では自殺者まで出た。お姫様稼業は、超ど級セレブ専業主婦などではない。苦しみの連続に違いないのだ。その「職業」を全うするためには、大変な意思力、寛容さ、利他の心、あるいは諦観などが不可欠のはずである。

 昔、埼玉県にあるD大学で非常勤講師として英語を教えていたころ、Jeanne Desyというアメリカのフェミニスト文筆家の手になるThe Princess Who Stood on Her Own Two Feet という短編を新入生に読ませたことがある。海辺の王国のお姫様は背が高く、ひまわりのように明るく、頭脳明晰で、しかも卓越した乗馬技術を持っている。で、ご多分にもれず適当なお相手に恵まれない。政略結婚が決まった王子様は、かっこいいだけのチャラ男。おまけにAKB系が好きときている。「誰も君に教えてくれなかったの? 女は馬に横乗りするんだよ」。お姫様は「そんなバカな、あんなバランスの悪い乗り方、ナンセンス!」と思うが、口に出さない。歴史や社会問題について賢い意見を開陳すれば、「女性はね、話しかけられた時だけ、ちょこっと答えればいいんだよ。女ってのは聞かれるものじゃなく、見られるものなんだから」という具合。それでも結婚したいお姫様は、大好きな乗馬をあきらめ、おしゃべりをやめ、自分より彼女が背の高いことを好まぬ王子様のために、日中ほとんど横になって過ごすという選択をするに至る。

 やがて彼女に最後に残された飼い犬まで王子の意向で手放なさなければならなくなった時、お姫様はついに婚約破棄を決意し、王子に別れを宣言して大股に彼から歩み去る。王国同士の同盟にヒビがはいると憂慮する両親に、彼女はこう反論する。「全てを諦めることが私の義務ではありません。私には他に義務があります。プリンセスは自分の足ですっくと立ち、自らの意見を明快に表明しなければなりません。プリンセスは彼女を信じ、愛するものを裏切ってはなりません」。

天を指してまっすぐに立つ

天を指してまっすぐに立つ

 よくあるフェミニスト版おとぎ話ではあるのだが、A Princess stands tall. という一行が妙に心に残った。娘時代、167センチの身長の私に向かって、祖母は真顔で嘆いたものだ。「畳半畳に収まらない大女で困ったことだ、本当に」。男は物理的な空間をできるだけ多く占有しようとし、女はできるだけ小さく占有することを求められる、と看破したのは誰だったろうか。

 さて、お姫様。私は「癌のお姫様」を自称することにした。お姫様はすっくと立って自分に降り掛かる困難に勇敢に立ち向かう。同じ病に苦しむ人たちと助け合い、できればこの病に後輩が斃れることのないよう啓発に力を注ぐ。自分を愛し、信じてくれる人たちにできるだけ負担をかけないようにしつつも、彼らの愛に応え、時には甘え、彼らのために何ができるかを考え、人間同士のつながりを大事にする。そうして築いた人間関係の向うに、悩める人、苦しむ人の姿を想像し、弱者に寄り添う生き方を貫く。悪とは戦い、目を光らせる・・・

 癌のプリンセス、ガンプリである。あ、ガンプリはガンプリティとも読めますね。この「ガン」はガンギレ、ガンキモ、ガン見のガンです。ご存知ない方は、高校生に聞いてみてください。ただし、ガン見してガンギレされないようご注意願いますよ。

 2012年5月。退職後の抗癌剤は、結局予定の半分以下で「打ち止め」となった。毎度のことだが、骨髄が悲鳴をあげて白血球が枯渇してしまったのだ。主治医は薬量を2段階減らし、これ以上減らすと化学療法の意味がなくなると言った。

やっとここまで生えたのに、また抜ける運命

やっとここまで生えたのに、また抜ける運命

 私が死を覚悟したのは、この時が2度目である。根治術が受けられないかも知れないと宣告され、新橋の地下街を彷徨ったのは2年前の夏だった。そのことを思い出すと、「あれから2年、立派に生きたじゃないか」との思いも胸をよぎる。

 化学療法に代わる何かを見つけようと、再び本を読み始めた。知り合いにすすめられた蓮見ワクチンも注文した。ストレスを減らし、身体への負担のない養生食を心がけ、適度に運動をし、と口で言うのは簡単だが、実践は非常に難しいことも知った。また、化学療法を止めた人の中には、奇跡的に回復の道を辿る人もいるが、その多くはほどなく亡くなっていくことも目の当たりにした。私が癌になって知り合った人たちの中にも、抗癌剤をあえて受けなかった人、早期に中止した人が数人いる。いずれも半年程度で亡くなった。

 「患者よ、癌と闘うな」と言われても、困るんだなあ、これが。1人では背負いかねる大きな選択の重みに潰されそうにもなる。私は抗癌剤が最も合理的な選択だと判断したが、6月頭に予定されていた、予定回数の折り返し地点の回が打てなかった時、主治医と相談して治療を打ち切った。マーカーは正常値である。これがいつまでもつか。心は晴れ晴れとしていた。私は強いお姫様だ。しっかりと前を向いて生きて行くのだ。

 あれから9ヶ月。再々発に見舞われている私だが、今のところ動揺はない。どこまで生きられるかわからないが、人生を振り返る豊かな時間を与えられたのはありがたいことだ。私が仕事と家事の両立にもがき、そのことで繰り返し夫と争った歴史も、子どもたちがより良い人生を構築するための参考資料だと思うことにした。今は夫に感謝している。争う相手がいることもまた、人生の味わいではないか。何より妻が癌患者になるという最悪のくじ運を嘆かず、黙って協力してくれる伴侶を持てたことは幸運であった。

 2012年冬、私がフェミニストになった道筋をたどり直す講演を、渋谷区女性センターでさせていただいた。パワポの資料を作りながら、フェミニズムについて思いを巡らせた。今だから言えること、言いたくても言えなかったことを言う時期かな、と思うようになった。それは、フェミニストという枠に自分を嵌めた瞬間から口にするのを躊躇せざるを得なくなった、子どもに関する感慨である。

 10数年前、都内K大学の講師室で、講師仲間のアメリカ人女性K.Eさんと雑談している時だった。私には娘2人と息子1人、彼女には娘が2人いる。子どもの学校のPTAの話や、思春期の子どもとの笑えないエピソードなど、尽きない会話の最中に彼女がこんな一言を漏らした。「子どもって、本当にかわいいよね。自分より大切だよね。でもさ、フェミニストだから言いづらいんだよね、子どもが可愛くてしかたないって」。

 この発言に、私は深く同意した。本当にそうだ、なぜだろう。小倉千加子が、「嫌いなもの、それは結婚しているフェミニスト」と言ったからだろうか。彼女がこれをあえて口にしたことに私は敬意を表する。大抵の人はこうは言えないものだ。だが、ここがフェミニストのアキレス腱だということを、多くの人に知らしめる結果にもなったと思う。

 結婚しているしていない、子どものいるいないは、留学経験のあるなしと同じ単なる差異である。が、留学のエピソードをひけらかすことが嫌らしいと思われるより以上に、子どもを育てたことをことさら大きな経験だと吹聴することの方が、女性の中では嫌がられる。私もそれをする女性、特に専業主婦が苦手だ。「子育ては自分育て」というクリシェも大嫌い。だがそれは、アイデンティティ不安を子育てという目の前の仕事にからめて解消せざるを得ない同性に対する不寛容ではなかろうか。同時に、私も含め結婚しているフェミニストが、子育てには辛さに勝る大きな喜びがあると知りつつ、子育ての不条理を前面に押し出すことで単身の仲間との連帯を維持しようとするのはおかしなことだ。

 人生が近々終わることを覚悟している私が、自分の人生を振り返って思うのは、私の50数年の人生でなしえた最も大きな仕事は、やはり子育てだったということである。水田宗子の言を借りれば「孕む性に寄生する男という生き物に馴れ合って」、あるいは笙野頼子の言うように「地球の悪風に染まって」生きた、つまらない女であることは認めよう。だが、つまらない1人の人間が個を超える経験をしたと実感できたのは、子どもの存在によってである。同胞の不興を買いそうだが、掛け値のない心情なのである。

 四半世紀前、前述D大学に、東大を退官後に非常勤講師としていらしていた東洋史の田中正俊先生は、私に多くを期待し、かわいがってくださった。彼に「子育てが忙しくて論文が書けない、子どものことが四六時中心配で気が休まらない、女は損だ」と愚痴をこぼした時、先生はこう仰った。「桑原武夫が業績一覧にこう書いていましたよ、昭和XX年、長男誕生す。よってこの年業績なし、って。子どもを育てる以上の仕事はありません、それは男にとっても同じです」と。

 先生は、いつも御自身のお子さんお孫さんの写真を持ち歩いておられた。息子の写真を入れた年賀状をお送りしたところ、息子の名前を「様」入りで表現した御丁寧なお返事を頂戴した。「○○様の笑顔ほどこの世の平和を表しているものはありません」。先生は東大在学中に学徒出陣で南方に送られ、輸送船の甲板で隠れてディケンズの原書を読んでいた親友を失い、夢を語り合った同級生を全員失くして1人だけ復員した過去を持つ。ジェンダーに敏感な平等主義者で、断固とした反戦論者であられた尊敬する田中先生から、「子育てを職業より下においてもいいことはありませんよ」と言われて、ドキッとした。

 子どものない人生を私は知らない。そこには私の思い及ばぬ味わいや充実感、時には辛さがあるのだろう。同じように、子どもを持つことの陰影、幸福と惨さは持った人間にしかわかるまい。他人の子どもを可愛がる気持ちは多くの凡人にとって、自分の子どもに対する愛情の敷衍であることも認めよう。そういうことを尊重するのがフェミニズムのはずである。だとしたら、私はフェミニストの後輩に言いたいのだ。生計を立て、自尊の心を保つために職業が必須であることを前提にした上で、子育て期間は子育てに軸足を置ける社会の構築のために力を注いで欲しい、それが健全な社会なのだ、と。そして、それは単身者、子どもを持たないカップル、そして全ての男性にとっても真なのである。

豆知識:ドラッグラグと患者会パワーについて

 日本は、海外で効果が立証されている薬がなかなか認可されないことで有名な国です。ドラッグラグ(薬の認可の時間差)の最大の事例は低容量経口避妊薬(ピル)でしょう。アメリカでは1960年に認可され、多くの女性が当たり前に使用していた薬ですが、日本では1999年まで認可されませんでした。申請からほぼ10年がかりのプロセスでした。バイアグラがたった3ヶ月で超スピード認可されたことと、セットで記憶すべき内容です。バイアグラは個人輸入で死者が出た、というのが厚労省の言い分でしたが、ハイハイ、と肩をすくめざるを得ませんね。ピルが解禁されるまでに、どれだけの女性が望まぬ妊娠で命と精神の危機を経験したか、想像力の欠如にもほどがあります。不注意な妊娠は女性に自己責任を負わせ、回春を目論んで不注意にバイアグラを飲んで死んだ男性には責任がない、というわけです。

 ことほど左様に女性に厳しい薬事法と認可行政ですが、女性パワーが壁を突き崩しつつある例をご紹介しましょう。私自身も会員である、卵巣がん体験者の会スマイリーの大活躍によって、なかなか認可が下りなかった抗癌剤が次々と認可されているのです。2011年にトポテカンとゲムシタビン(商品名はそれぞれハイカムチン/ジェムザール)が立て続けに認可された背景には、2006年に治療薬を求める患者会として発足したスマイリーが、しつこく粘り強くかつ戦略的に展開したロビー活動の奏功がありました。

 1年に2種類の薬の認可という前例のない事態に追い込まれた厚労省幹部は、「それをしたら患者会に負けることになる」と口にしたそうです。そういうものなのですね、命がけの患者の声に対する行政の受け止め方は。これでは、福島の子どもたちの被爆に関して国が迅速な対応をとらないのも、さもありなん。女が頑張れば頑張るほど、男が意固地になっていくような図です。まったく嘆かわしい。

 性差と医療の問題はかなり以前から研究者がデータを蓄積しつつあり、私自身も前立腺癌と乳癌の治癒率の差などに注目してきました。当事者として医療を受ける側に立った時、どんな不利益を被ることになるのか、正直興味津々でした。が、私の病院が日本で最も先進的な医療機関であったことや、ドクターたちの多くが30代40代だったこともあり、期待(?)していたほどのジェンダー格差は体験できませんでした。最先端の医療現場は、もはや男だ女だに拘泥していてはやっていけないところになりつつあるのでしょう。地方の公立病院や講座制の名残の強い大学病院などでは、また違う現実があるのかもしれませんし、女性勤務医のワークライフバランスなど、問題は多いように見受けますが、少なくとも患者の被る性差による明示的な被害は、かなりのスピードで解消されつつあるように思われます。

 今問われるべきは、患者の力です。女性だけで構成される卵巣がん体験者の会スマイリーが男性主導の中央省庁に背負い投げを食わせて新薬のスピード認可を勝ちとったように、正論による正攻法に加えて、当事者の声を上手に受け止めさせる技を磨くべき時期なのかも知れません。そして、一般的に女性がその才能に溢れていることを、もはやマイナスに評価する時期ではないのだと思います。

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 みなさん、1年間おつきあいありがとうございました。また、連載途中に大変ありがたい応援のメッセージをお寄せくださった方々に、心から感謝いたします。私はまだしばらく死なないような気がしています。「あんなこと言ってたのに、すぐ死んじゃったね」にならないよう、真面目に楽しく闘病してまいります。番外編を書かせていただくことになっていますので、お姫様のその後に乞うご期待!

 「フェミニストの明るい闘病記」の連載は、今回で一応終了します。これまでの記事は、こちらでお読みになれます。

カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /

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