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平凡な人生 秋月ななみ
2013.04.15 Mon
発達障害かもしれない子どもと育つということ。6 生まれてくる子に、親はどのような期待をかけるのだろう。 娘を妊娠したとき、私はとにかく「平凡な人生をおくって欲しい」と思った。 美人でなくてもよく、本当に平凡な容貌で、決して勉強はできなくてもよい。特別な才能もいらない。芸術的センスであれ、学業的センスであれ、特別な才能を持って一芸に秀でている人は大変そうだ。他人に注目されることは多くの苦痛もあるだろう。 本当に平凡な慎ましい人生をおくって欲しい。 才能はなくとも、周囲の人に愛される人になって欲しい。社交的で、思いやりの深い人間になって欲しいと思った(往々に親は自分にないものを子どもに求めるものだ)。 しかし今となっては、この「普通であって欲しい」、「平凡であって欲しい」という願いこそが、一番娘を苦しめる願いだろう。 もちろん娘の人生は娘のものだ。勝手な要望を並べ立てても、結局は娘の人生でしかない。しかし娘の特性を考えた場合には(何度も繰り返すが)、一般の親よりも長期の、そして多くの介入が必要になってくるのは目に見えてはいる。そのときに、どういう人間になって欲しいのかという長期的な見通しをもたないわけにはいかない。 今は、娘に求めるものは二つである。テンプル・グランディンなども言っているように、まず職業的に自立して欲しいということである。平凡であればよい、という訳にはいかない。経済的に自立さえしていれば、ある程度の(変でいる)自由を得ることができるからである(もちろん私は娘のことを念頭に置いていっているのであって、すべての障害者が自立すべきなどということはいっていない。人はそれぞれ、その人ができる範囲で、やれることをやればいいのだ。人はただ生きているだけで尊い)。その才能が何かは、まだわからないけれども。 そして第二には、職業的に自立するためのある程度の社会性である。一人でいてもよい。孤立が好きならそれでもよい。でも他人と協調して、ある程度の社会性をもっていなければ、仕事はできないだろう。最低限の社会性をもち、自分が生きていて楽しいと思ってくれるといいなと思う。 普通でよい。人様に、社会に迷惑を掛けない子どもであればそれでよい。そういう言葉のもつ意味を時に立ち止まって、しみじみと考えさせられる。慎ましやかに見えて、実は過大な期待である言葉の意味を。 -------------------------------------------------- シリーズ:発達障害かもしれない子どもと育つということ。は毎月15日にアップ予定です。 このシリーズをまとめてよむためには、こちらからどうぞ。
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