2013.05.08 Wed
2013年3月28日。私はまたまたがん研有明病院に、大荷物とともに登場した。今回の治療は1ヶ月に1度1週間ずつ入院して抗癌剤の点滴を受け、それを6回繰り返す予定である(が、予定通りに推移することはないと見越している)。入院のプロとして外せぬ荷物を今回もいろいろ持参した。
その1、スクワランパック。退職してさぞやヒマな生活になるだろうと思っていたのが、根が貧乏性できれい好き、おまけに凝り性の私は、専業主婦になったらなったで、さらにコマネズミ度に拍車がかかってしまったのだった。掃除と洗濯と料理と食材の買い出しと、あいかわらずの実家がらみの諸々で忙しいの何の。お顔の手入れができないのだ(笑)。入院すれば9時には消灯。カーテンで仕切られた自分だけの空間で誰憚ることなくジェイソン状態。
その2、CARITA14。ほのかな柑橘系の香りのこの上等なオイルは30代からの愛用品。両手の平にとってこすり合わせ、立ち上る匂いを楽しんだり、ふくらはぎのマッサージに使ったりする。自分のためだけに時間を使う贅沢さ。
その3、積ん読解消のための書籍。今回はちょうど1年前に退職するさい、民俗学の同僚から送られた『中国民話の旅』、上田正昭の『日本の神話を考える』、そして、リチャード・ドーキンスの『神は妄想である』を持ち込んだ。我ながら良い組み合わせだと思う。読了。
その他、私が入院セットに必ず加えるのはイヤリングである。18才でピアスの穴をあけてから(親から「身体髪膚を毀損して〜」と説教されたっけ)40年近く、耳飾りは私の存在の一部になっている。イヤリングがないと裸みたいな気がするのだから不思議だ。今回は、娘がヴェネチアで買って来てくれた紫色のガラス製を中心に3組ほど。朝、洗顔のあと薄く眉をひいてイヤリングをすると、ベッドで寝ているだけなのに気分がしゃんとする。
さて、今回の入院も夫に病院まで車で送ってもらったのだが、手続きを待つ間におもしろいことがあった。入院セットに加えるはずのハーブティを忘れてきたことに気づいた私が、何気なく「ハーブティ忘れちゃった。今度来る時持ってきて」と言ったところ、夫は面倒くさそうに、「あそこにほうじ茶のサーバーがあるじゃないか、あれでいいだろう」と言ったのである。その夫の答えに、自分でもびっくりしたのだが、涙がぽろぽろこぼれてしまったのだ。どうしていいかわからない。驚いた夫が「何だよいったい、わがまま言うなよ」と、いわば当然の反応を示したところ、こちらはもう「びえ〜〜ん」と突っ伏して泣くありさま。あきれた夫がさらに何か言い足すのを私は邪険に制して、彼を追い返してしまったのだ。
この3年、手術と抗癌剤とで何度入院したかわからない。そのたびに夫に迷惑をかけてきた。夫の蒙る迷惑を考えると、自分の苦しさを表明することに強い自己規制が働くことを自覚してはいた。さらに、退職して無収入になった私は、最初から専業主婦だった女性にくらべて、夫に対する負い目と引け目をより強く感じてしまう傾向がある。知らないうちにいろんなところで自分を抑え、精神的な無理を重ねてきたのだな、それがこんなみっともない形で噴出したわけだ、いやんなっちゃうな、と自己分析したのだが、今後どうしていいのかはわからないままである。
翌日、抗癌剤治療がはじまった。2010年の2月に初めてファーストラインの薬を入れてから、実に16セット目の劇薬点滴である。今回はシスプラチン+ドキシルで臨床試験に参加することになったのだった。
近藤誠はその著書のあちこちで、「臨床試験はやめとけ」と書いている。あなたは実験動物なのだ、と。もちろん臨床試験の性質上、そういう側面があることは否めまい。しかし、臨床試験(治療がタダになるわけでも便宜を図ってもらえるわけでもない、何のメリットもない)を皆が嫌がったら、新しい治療法が確立されない。私のあとに卵巣がんに取り付かれた女性が、最適な治療を受けることができるように協力しようではないか、と男気な私は思う訳である。
同じ伝で、新人看護師に泣くほど痛い採血をされてもぐっと我慢する。育てなければならないのだ。騒がずにやり直しをさせて、抗癌剤を繰り返し受けている患者の血管が細く頼りなくなっていく様子を覚えさせなければならない。ええかっこしいだと思われるかも知れないが、採血室で担当者を怒鳴りつけているのがたいていオヤジであることを知っている私としては、女がすたるようなふるまいをしたくない。
で、臨床試験。日本人の再発卵巣がん患者に、治療実績の浅い抗癌剤をどのぐらいの量で組み合わせれば最良の治療結果が得られるかを測る実験とのことで、薬量を4つのグループに分けて投与するという。私はシスプラチン70mg+ドキシル40mgの最大量のグループに入れられた。これに関しては正直、「えっ??」という感想を持ったのは事実である。過去3年間の私の骨髄のへばり具合を勘案すれば、最大量を投与したらどうなるか、だいたい予想がつきそうなものではないか、、、。が、まあ初回はやってみようと引き受けた私だったが、結果は予想以上であった(タラ〜〜ン)。
レジメン(投与手順)によると、今回の抗癌剤は4日がかりでワンセットを行うとのこと。初日はラクテック(糖質・電解質輸液、いわゆるリンゲル液)を2時間、生理食塩水+アロキシとデキサート(両方とも吐き気止め)15分、真打ちシスプラチン+生食1時間、ラクテック+利尿薬2時間、そしてラクテックのみ連続4時間。合わせて9時間15分の大興行である。2日目は、次なる真打ちドキシルが入って都合7時間25分。3日目は6時間15分、4日目は15分。
初日、ベテラン看護師に静脈のルートを取ってもらい、輸液と吐き気止めのあとに、心音をモニターするための機械を装着してプラチナ製剤を落とし始める。すると、とたんにめまいが始まる。身体って正直だな、と感心しながら、歪む視界とだるさに耐えてうつらうつらと時間をやり過ごす。薬の入れ替えは2人以上の看護師による指差し確認、読み上げ確認、私の手首に巻かれた識別コードを機械で読み取って、投与する薬剤のコードと一致しているかどうかをコンピュータに確認させるという二重三重のチェックを経て行われるため、結構時間がかかる。9時間15分の予定が10時間半かかって夜中に終了した。疲れ果てて、泥のように眠る。
2日目、輸液と吐き気止めの点滴のあと、ドキシルがしずしずと運ばれてきた。この薬は、エイズによるカポジ肉腫の治療薬として開発されたものだが、2009年に、化学療法後に増悪した再発卵巣がんへの適用拡大が認可された。その特徴は、ステルス・リポソーム化という「変装」である。そもそもステルスというのは「隠密」を意味する英語で、レーダーに映らない戦闘機の名称として知られているが、癌をやっつける薬剤をリポソームという極小の油の粒に詰めて変装させ、異物を除去するために発動するマクロファージに捕捉されずに敵陣深く侵入させる、というコンセプトを実現した薬なのだとか。
癌との「戦い」とか、「適地に侵入」とか、「レーダーに捕捉」とか、どうしても戦争アナロジーで語られる癌との「戦い」に疲れ果てた患者から、「癌と共生しようよ」という意見が出てくるのもわからなくはない。しかし、近藤誠言うところの「がんもどき」ならともかく、本物の癌とは共生などできないことを直視する姿勢も必要だと思う。「戦って死ぬ」か、恭順の意を表明して敵の軍門に下るか(それはつまり唯々諾々と死ぬことなのだが)、いずれを選ぶかは患者次第なわけである。私は戦って死ぬことを選んだ。癌との戦いはとりもなおさず辛い治療との戦いだが、急襲を受けてわけもわからず死んでいく突発性の疾病や交通事故の犠牲者に比べて、案外悪い死に方じゃないな、と思っている次第である。
おっと脱線。で、ドキシル。この「リポソーム化ドキソルビシン(薬剤名ドキシル)」という薬には、手足症候群と呼ばれる困った副作用が報告されている。手足の皮膚細胞が破壊されて水ぶくれや炎症を起こすことによる激痛、爪の変型や脱落、ひどい潰瘍などである。そこで、点滴の間、両手両足に氷をあてて冷やし続けるという局所冷却が行われる。薬が手足の血管をくまなく走り回らないように、血管を縮めておくというわけだ。冷凍庫から出したての保冷剤を両手両足に縛り付けて冷やすのだが、身動きはとれないわ、冷た過ぎて手足が痛いわ、身体ごと冷えきってガタガタ震えがくるわで、さんざんだった。が、おかげで手足症候群には見舞われずに済んだので、ヨカタヨカタ。
それが・・・10日入院して白血球値をはかり、思ったほど低下していないと喜んで退院した私であったが、退院後数日で今までにない体調不良を自覚しだした。とにかくだるい。心臓がバクバクして動く気にならない。常に息苦しい。頭がぼーっとしてものが考えられない。風邪のような症状、咳、鼻水、頭痛がおさまらない。舌の付け根に口内炎がいくつもできて、その絶望的な痛みに悶絶する。頭から喉の下のほうまで突き抜けるような疼痛に絶えず襲われる。これはちょっと異常ではないかと思いつつ週に1度の検診に出向くと、ああ無情、白血球値は最低記録を更新し、好中球もガラガラのスカスカになっているではないか。外出禁止、生もの禁止、何もかも禁止の軟禁生活に逆戻りになってしまった。夫は「だからそもそも無理だったんだよ、最大量なんて。臨床試験は断る自由もあるんだろ?」と、心配が高じてむっとしている。私もあまりの辛さに腰砕けになりそうな気がしてきた。
それでも、次回の入院までせいぜい楽しく生活しよう。外出できなくても、私には猫やら植木やらコンパニオンがいろいろいるから・・と自分を励ました。
ちなみに私はgreen thumb、「緑の親指」の持ち主である。どんな植物も見事に育つのだ。妹に言わせると、緑の親指の持ち主は何かを発散しているのだとか。何を出してるんだろ、わたしゃ。貧弱な鉢植えで買った暖地桜桃を地植えにしてみたら、見事な大木に育ち、毎年たわわに実をつける。息子がお腹にいるときに名前が気に入って買ってきた「song of Jamaica」という観葉植物は、高3になった息子の身長より高く成長し、彼と同じく私を楽しませてくれている。さあ、今日も木陰にテーブルを出して幸せなひと時を過ごそう。 (続く)
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