2013.05.21 Tue
5月のシネエッセイ (季節ごとに旅・食・家族・友達など身近な話題を映画の記憶とからめて送ります・随時掲載)
「5月の鰆」
小さい頃、毎年、五月になると、郷里・愛媛・新居浜の本家で宴があった。お嫁にいった伯母・叔母たちがそれぞれ嫁ぎ先から夫を伴い戻ってくるのだ。 祖父亡きあと、家を継いだ伯父が、その後、徐々に手を加えたためにすっかり様相が変わってしまったが、当時は三百坪の縦長の敷地内に、表通りから中庭をはさんで「はなれ」まで母屋が続き、横には5世帯ほど入る縦割り長屋風の借家が並び、自転車小屋まであって、表通りには店子の老夫妻の営む靴修理店があり、小さな私にとっては、ほとんど〈町〉のような家だったが、ふだんは、ひっそり静まりかえっていた。無駄口を嫌う厳格な祖父の支配下に、家政が執り行われていたのだ。食事は黙って食べるもので、子どもがめったに口をきいてはいけなかった。そうした暗黙のルールから解き放たれ、いっきに賑わい華やぐのが、美人姉妹で知られた伯母・叔母たちの戻ってくるこの季節だった。市内に住む従兄弟従妹も集い、ひとしきり騒ぐことが許される。
アルバムに貼られたいくつかの写真とともに次々思い返されるそれらの記憶が、なぜ、お正月や秋祭りの頃ではなかったのか、いぶかしく思い始めたのは、しかし、ごく最近のこと。調べてみれば、「豆年貢」とよばれる地域の風習だった。お嫁にいった娘たちが、鰆(さわら)を実家に贈るならわしだったようだ。実家側は、大きな鰆を調理し、娘の里帰りを祝う。
それというのも、五月になると、瀬戸内海の水温が上がり、鰆が外海から内海に産卵にやってくる。身が柔らかくなりおいしくなる時期なのだ。母の記憶によれば、鰆東風(さわらごち)という漁師言葉もあったという。春が来て風が変わり、いよいよ鰆漁の季節が始まったという響きがする。
もう何年も前、父の二十七回忌の法要で帰省したのも五月。その時、市内の稲福という古くからの料理屋で出された刺身が信じがたく美味だった。東京の大学に進学して以来、五月に郷里に戻る機会などなかったために、昔は知っていたはずの、魚の味を舌が忘れていたのか。あるいは、昔は子ども用の皿に山葵が置かれなかったために、生臭く感じられ、食わず嫌いだった刺身の味を、中年期をすぎて親しく思うようになったのか。一切れ、口にした途端、柔らかい舌触りに驚き、尋ねた。
「この魚、なに?」
「さ・わ・ら」
向かいに座っていた年下の若い従兄弟が、優しい口調で答えて笑った。9人兄弟姉妹の下から二番目の叔父の長男だ。ごく小さい頃しか知らなかったが、いつのまにか男前の二十代に成長している。 隣では、私より一つ上の従兄弟が「お前もまだまだじゃのう」などと言いながら、一回り以上違う従兄弟に盃を勧めている。もう一人の従兄弟(数えられないほど多い!)の息子二人にも初めて会ったが、両方共、イケメン。野球部をやめたばかりの高校生の次男の食べっぷりがうれしく、天ぷらの皿を回す。若いエネルギーが伝わってくる。向こうの席では、おばたちがそれぞれに年を重ね、談笑中。祖母が亡くなった頃は、まだ揃いの女紋の喪服で写真におさまっていたが、高齢でもう着物も着なくなっている。
それにしても、家族の光景は、いくつもの過去が重なり、アルバム写真のイメージと混ざり合い、多重露出された写真のように、少しずつ異なる絵が浮かび上がってくるものだ。何かのきっかけで新たな事実が浮かび上がり、同じ光景から昔は見えなかった新たな意味が浮かび上がり、記憶が上書きされていく。その中心に、宴の席があるのは、けれど、幸福なことに違いない。
大家族でにぎやかに食卓を囲む――そんな光景に郷愁を覚えるのは万国共通だろう。映画の世界でいえば、核家族の伝統の根強いアメリカの映画より、東欧の映画に、特にすぐれた宴の場面が多いように思う。
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中でも、カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』(九五年)のラストシーンが素晴らしい。旧ユーゴの内戦の悲劇を描く傑作だが、すべての物語が終わったあと、生者も死者もあいまっての大宴会が始まるのだ。
陽気だがどこか物哀しいジプシー系の民族音楽の調べが奏でられ、内戦で命を落とした者たちが戻ってくる。親友を裏切った男、愛人、妻、新郎新婦。昔なじみの友人や家族が集い、酒をくみかわし、踊る――そうして彼らを乗せた土地は、やがて音を立てて本土から離れ、海原を沖へと遠ざかっていくのだ――
祖国ユーゴスラヴィア解体によって故国を失った監督がスクリーンに再現したのは、そんな夢のように幸福な、しかし、映画という虚構でしか叶わない再会の宴だった。
初出 愛媛新聞「四季録」 ◆2012年05月01日付「5月の鰆」 転載許可番号 G20121201-01054
「四季録」は2012年4月から2013年3月まで毎週火曜掲載。上記本文は、初出記事に加筆修正したものです。
カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 映画を語る
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