2013.06.08 Sat
以下は2012年6月19日愛媛新聞「四季録」に掲載した記事の転載です(2012年4月より一年間、毎週火曜掲載)
5月下旬に母が急きょ入院して以来、週末、東京から郷里に戻ることが増えた。7月には大学の授業を早めに切り上げひと夏過ごす予定だ。本欄執筆を含め、今年は何かと故郷に縁がある。
40才を過ぎて大学院に社会人入学し、母の助けを得て育児と学生生活を並行してきたせいか、いつまでも自分は若い気でいた。が、ここにきて人生のしめにかかっている気がする。
三年前の夏は、博士論文を著作「ジェンダーの比較映画史」(彩流社)にまとめた。その頃すでに母は郷里に戻っていたので、家事を生活の基盤とし、ひたすら執筆に打ち込む日々だった。出版後の春は研究対象のベトナムに初めて行き、夏には高校留学時にお世話になったホストファミリーと再会すべくアメリカを再訪。
昨夏は30代から書きためたものをまとめ『映画みたいに暮らしたい』を上梓。それで一区切りついた。
映画と人生に引き裂かれ、何者かになりたいとトライし続け、私はいったい何をしてきたのかと振り返る時、思い返されるのは、仕事をして生きることへのひたすらな意志だ。
私はそれを母から受け継いだ。母はそれを戦争未亡人となり三人の子育てをしながら小学校教師として生きた祖母から学んだと思う。ハイヒールをはいて通勤する祖母が自慢だったと、よく母は言っていたものだ。
私もまた若くおしゃれな母が自慢だった。その母がいつの間にか小さく痩せて見えた時は胸をつかれたが、話し始めると変わらない。
いろんなことを面白がり、読んだ本の話を楽しそうにする。私はこの母から本の面白さと、映画の素晴らしさを学んだのだと、今更ながらに実感する。
ゆったり時の流れる病室でかつてない穏やかさで数年ぶりに会って話をしたことで、初めて母の結婚記念日も知った。深い緑なす神社で挙げた両親の結婚式の写真は、私も大事に持っている。明日はパパとの結婚記念日なんよ―母のつぶやきに、翌日、病院近くの和菓子店でケーキを求め、持参した。
あれは6月の緑だったのだと病院の行きかえりに同じ社を通り抜けながら思う。
母がジューン・ブライドだったことを半世紀知らずにいた。時のうめあわせを今夏は母としたい。
(川口恵子・映画評論家)
「ジューン・ブライド」
◆2012年06月19日(火)付愛媛新聞[四季録]掲載記事より・転載許可番号G20121201-01033
カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 映画を語る
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