エッセイ

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フェミニストの明るい闘病記 番外編その2 海老原暁子

2013.06.28 Fri

 2013年5月。再々発の抗がん剤治療を受け始めた私は、NHKの新シリーズ「病の起源」を録画して見た。非常に興味深かった。人類の進化の節目節目に現代の我々を苦しめる病の種が蒔かれた、という進化生物学の最新の理論を織り交ぜつつ、さまざまな病に対する人類の対処の仕方を模索するという趣旨の番組だ。

 初回は当然「がん」。そこには驚きの発見があった。がん細胞の異常な増殖システムは、精子をのべつまくなしに作り続けるシステムにそっくりなのだそうだ。それは、二足歩行を始めた人類の先祖の雌が、雄に途切れなく食べ物を提供させるための進化の結果だったという。チンパンジーの雌のように、妊娠可能期間に入ったことを性器を膨らませることで雄に知らせるやり方では、雄はその時だけ餌を持って雌の前にあらわれる。子どもの面倒を見ながら自ら食料を採集するのは効率的ではないので、初期人類の雌は「いつでもやらせる」作戦で雄をプロバイダーに育てていったのだという。雄にしてみれば、自分の子孫を確実に残すためにはいつでも子づくりができるように準備しておかねばならず、その必要を満たすために精子が「異常増殖」する仕組みを発達させたのだそうだ。そしてその仕組みはやがてがん細胞に利用されることになる・・・。

 なんだかがっくりくるような曰く因縁ではある。

 FAS(脂肪酸酵素)というものがあるらしい。がん細胞が増殖を繰り返すために必要な燃料なのだそうだ。この供給が断たれるとがん細胞は増殖できないため、FASの発見以来、新しいがん治療薬の開発が進められているという。 FAS阻害剤は、正常細胞には何ら影響を及ぼさないので、患者は抗がん剤の副作用から解放される。まさしく夢の治療薬になると期待されているのだそうだ。すでに細胞レベルでの実験を終え、実際のがん患者に協力を依頼しての治験の準備が進んでいるという。

 この番組を見て嬉しく思ったのは、複数の重要な研究の責任者、そしてFASの発見者が女性だったことである。医学、生理学、薬学の世界でこんなに女性が活躍しているのか! 私も負けていられないな、と奮起させられる気がした。

 このFAS阻害剤、通常のプロセスを辿るならば、例えばアメリカで3年後に認可され実用化されたとしても、厚労省の認可までさらに数年の国内での治験が必要になる。私はアメリカでの認可までなんとか命を永らえ、並行輸入で無認可薬を使ってくれるクリニックでこの治療を受けたいと思いはじめた。そんな日がくるだろうか。

花の下のもんちゃん

花の下のもんちゃん

 がんを宣告されて3年たつ。5年生存率は2割以下ですと告げられているから、そろそろ何があってもおかしくない。でも生きている。楽しく生きている。退職して少し時間に余裕ができて、あせらず本が読めるようになった。長く読みたいと思っていた本を次々に読む。多くの著者が物故者である。若書きの論文から読み始め、研究者として脂が乗り切った中年期の自信満々の論集を読み、老いて病に倒れ、心境の変化が読み取れるエッセイ集を読み、そして改訂出版された全集をひもとくと、著者の業績年譜に亡くなった年が加わっている。どの本もどの本も、今はこの世にいない誰かが懸命に生きた証として私の手の中にある。本を残さなかった多くの人間が彼らの周りで同時代を生きたことに、消滅した夥しい肉体のひとつひとつに確かに魂が宿っていたことに、思いを馳せる。

 「関根正雄(1912〜2000)」という一行の何と美しいことだろう。
 ミルチャ・エリアーデ(1907〜1986)、石田英一郎(1903〜1968)、吉野裕子(1916〜2008)、大庭みな子(1930〜2007)、田淵安一(1921〜2009)・・・・

 そして私をこの世に送り出してくれた両親、海老原龍生(1931〜2010)、小神野朎子(1930〜1993)。

 「人の一生なんて短いもんだ」。父と年子の叔父が父の墓前でつぶやいた。叔父は兄を失った翌々年の年賀状に、「兄は屋根の上で、私は椎の木にまたがって上空を眺めています」と、子供時代の思い出を記してくれた。実家の椎の大木、根方に縁台を置いて私も夕涼みをしたあの椎の木によじ登って、父や叔父が飛来するB29を眺めた時代ははるか昔のように思えるが、人類の長い歴史に比した時、それはつい昨日のことなのだ。人の一生の、なんと短く儚いことか。人は生きて、そして死ぬ。誰もかれも、私の愛しい子供たちも、やがて死ぬ運命を背負っている。それなのに、人は命を惜しむのだ。短いからこそ惜しむのだ。

変な名刺「私は地球人」

  「フェミニストの明るい闘病記」は、番外編を含めて、WANに全14回連載させていただいた。どの回も、進行がんを宣告された私が命の惜しさに身悶えする有様を書き散らしたものだが、そこから知らず立ち上るのは、命を大切にしないことへの怒りであることに気がついた。死を突きつけられてごらん、どれだけ命が惜しいかわかるよ、と為政者に言いたい。短い命を授かった人間の究極の生きる目標は、生きられるだけ生きることだ。より良く生きる以前に、ただ生きることだ。国を守ることよりも、儚い命を背負って生きる全ての国民の生きる権利を守ることのほうが大切だ。ちいさな命を重んじること、自分の属するグループ以外の構成員の命も同じように尊重すること、ただ生きていることをこの上なく大切だと思い定めることができれば、「愛する人を守るために俺は戦う」の矛盾に気づくはずである。

 再々発に翻弄され、再び辛い抗がん剤治療に取り組む日々、再々々発、再々々々発を見越して頭をフル回転させつつ、どこかで少し投げやりになっている自分がいる。自分のことだけ考えて生きるかっこ悪さに、もう潔く死んでもいいか、という思いがよぎることもある。けれど、人が永らえるために努力をすること、病人や弱者が生きようとあがくことを認める社会が欲しいとも思う。だから、がんのお姫様は当分死なない。あわよくば新しい薬が認可されるまで生きていたいと思ったりもする。私の社会的な役割のほとんどはすでに終わっているけれど、ただ生きているだけで社会の役にたつ、昂然と構えたお姫様がいてもいいじゃないか。

 連載「フェミニストの明るい闘病記」は、今回で一応終了します。これまでの記事は、こちらからお読みになれます。

カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:身体・健康 / 海老原暁子 / 闘病記 /

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