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『クロワッサンで朝食を』評 パリの異邦人―エストニア女性の夢と孤独 川口恵子

2013.07.13 Sat

Croissant_mainパリで幸運にも若き日を過ごすことができたら、残りの人生をどこで過ごそうと、パリは君について回る。なぜならパリは移動祝祭日だからね―この映画を見てヘミングウェイの有名な言葉を思い出した。とはいえ、ここに描かれるのは未曽有の好景気に沸いた1920年代アメリカからパリにやってきたエネルギッシュな作家志望の青年ではない。エストニアという旧共産圏の国から家政婦としてやってきた50代の女性アンヌだ。

きれいな金髪をほつれ気味に結い上げた彼女は、雪深い郷里で老いた痴呆症の母を看取り、葬儀を終え、がらんどうになった心をもてあまし気味にパリにやってきた。残りの人生にさしたる夢を抱いているわけではない。さりとて、郷里の暮らしにも希望を見いだせない(雪の中、酔っ払いの熊男を介抱したら逆に襲われる冒頭のエピソードが寓意的)。

そんな中年女性が、同じエストニア出身の、だが、自分とは程遠い華やかな生を送ってきたらしき老婦人フリーダの世話をするためにパリ16区の高級住宅地にあるアパルトマンにやってくるところから、この「パリのエストニア人女性」(原題)の物語は始まるのだ。そして映画は、二人の故国を離れた女性同士の出会いにブラッスリーの経営者ステファンという渋い大人の男(パトリック・ピノーが素晴らしい!)をからませ進行する。ブラッスリーが魅力的な人間同士の交流の場として描かれているのはさすがパリで映画を勉強したエストニア人監督ならでは。事情通のギャルソンたちの目線や仕草がいい。エストニアからパリへ家政婦として向かうというのは、監督の母親の実体験が元にあるという。

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全体に地味でゆるやかなテンポが、どことなくかつて『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でジム・ジャームッシュ監督が見せたオフ・ビート感を思い出させる。近年の北欧映画にも通じるユーモア感覚の萌芽も。冒頭の寓意的演出をさらに展開すれば、将来、味のある合作を送りだせそうだ。

とはいえ、物足りなさも。この種の映画に観客が期待するデペイズマン(故国を遠く離れた者の哀しみ)といったものがなぜか欠落しているのだ。それゆえ、二人の「パリのエストニア人女性」の魂とでもいったものに触れそこねた感があとに残る。

おそらく、最初の企画段階では、ジャンヌ・モローがそれを体現するはずだったのではないか。インタビュー記事(宣伝素材)を読むと、彼女自身、自分の役柄を「次第に故国とのきずなを失ってゆき、パリの<エストニア人協会>とも疎遠になって」いった人物としてとらえ、「フリーダは、私がいままで演じたことのなかった、ある政治的な背景をもった役」と答えているのだから。だとすれば、完成された映画にそれが見られないのは、いかにも残念。モローのせいではなく、あえてそうした政治的要素を排したような印象を受けたが、実際はどうだったのだろう。

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結果的に、フリーダの「政治的背景」を描くことなく、老いゆく彼女の「現在」に焦点を移しかえた感のあるこの映画は、きっと流行りのシニア物として鑑賞されるだろう。「ジャンヌ・モローのように、誇り高く、女を棄てずに生きるには・・・」(パンフレッット巻末エッセイタイトル)といった類の言説を伴いつつ、シャネルの着こなしぶりや、毅然とした歩き方、本物のクロワッサンにこだわる頑固な生き方などが賞賛されてゆくに違いない。エストニア女性アンヌが主人公のはずが、やはり大女優ジャンヌ・モローの圧倒的存在感にはかなわなかったということか。

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「素朴で、控えめで、献身的で、伝統的な世界に生きている人物」とル・モンド紙が賞賛したアンヌ(エストニア人女優ライネ・マギが自然体で好演)が、行き場を失い、夜のパリを彷徨う場面が素敵。パリの街には異邦人の夢と孤独がよく似合う。

『女性情報』(パドウィメンズ・オフィス発行) 2013年7月号掲載記事より転載

 『クロワッサンで朝食を』

7/20(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開

© TS Productions – Amrion Oϋ – La Parti Production – 2012

2012年ロカルノ国際映画祭 エキュメニカル賞受賞

セテラ・インターナショナル創立25周年記念作品

監督・脚本:イルマル・ラーグ 共同脚本:アニエス・フォーヴル、リーズ・マシュブフ

撮影:ローラン・ブリュネ 衣裳:アン・ダンスフォード 美術:パスカル・コンシニ

音楽:Dez Mona/ジョー・ダッサン「メランコリーというのなら」

出演:ジャンヌ・モロー『死刑台のエレベーター』、ライネ・マギ、パトリック・ピノー

原題:Une Estonienne à Paris /2012/フランス=エストニア=ベルギー/フランス語・エストニア語/95分/ヴィスタ/日本語字幕:古田由紀子/協力:ユニフランス・フィルムズ/配給・宣伝:セテラ・インターナショナル

オフィシャルHPはこちら

カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:高齢社会 / 川口恵子 / 働く女(女性の労働) / 女性表象 / 女女格差 / フランス=エストニア=ベルギー映画

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