2013.07.20 Sat
10年前に亡くなったシングルの女ともだちは、お盆やお正月前になると、いつも突然、空港から電話をかけてきて、「これから海外ツアーにいってくるわ。家族みんなが揃うとき、日本にいたくないの。もし飛行機事故に会っても、それもいいかもね」と電話を切り、一人で旅立っていった。
家族の団欒なんて、この時代、すっかり崩れてしまったけれど、その頃はまだ家族に縛られていた私は、「いいなあ、私も一人で旅に出たいなあ」と羨ましく思ったものだ。
ひとはなぜ旅に出るのか?
わずらわしい日常から解き放たれ、非日常の自由な世界へ飛び出すため?
異なる民族と習慣、まだ見ぬ風土や歴史を求めて、つきせぬ好奇心に背中を押されて?
そこにしかない珍しい食材で、おいしい料理を味わうため?
いや、もっと深くて重い、旅立たなければならない理由があるかもしれない。それでもなお人を引きつけてやまないのは、旅が、とっておきの物語を紡ぎだしてくれるからだ。
見知らぬ国の街角に一人ポツンと立ち、ふと「ここはどこなんだろう?」と、ちょっぴり不安になる。だけどそのあと、「そうよ、今から予期せぬ出来事が始まるのよ」と、期待にわくわくしながら不思議な旅の物語の始まり、始まり。
主人公は、かの国の人々。私はほんの端役でいい。ドラマは私にとって「非日常」であっても、かの地の人にとっては、ありきたりの「日常」なのだから。
目的地に着くと、まず安宿をとり、ただあてもなく下町を歩く。少しばかりの慎重さと思い切りのよさと。心を開いてオープンマインドに。訪れる者は、常につつましくあるのが旅の心得。そうすれば、いつでもどこでも、やさしく迎えてくれる。
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旦 敬介著『旅立つ理由』を読む。著者はアフリカ、南米、ヨーロッパ南部を歩き、人々の表情と息づかいを伝えて、旅を見事な短編に仕立て上げている。
ああ、こんな旅がしたいなあ。
1980年代、ペルー、ボリビア、メキシコ、キューバ、スペイン、ブラジル、ケニアを訪ねて、途中、ウガンダの女性と結婚したり、出奔したり、息子を引き取って日本で男の子育てをしたり。現在は作家・翻訳家、大学教員でもある。
「世界で一番うまい肉を食べた日」は、8歳の息子をつれてフィレンツェにミケランジェロを訪ねた父親が、退屈した息子をひとり広場に残して戻ってくると、息子の描いた絵が思いがけず3ユーロで売れたことを知るエピソード。
「子どもにとって重大な、魔術的な出来事は、いつでも、親の、いないところで起こる」。まさに親子のかかわりの真実をクスッと笑って読んだ。
「カチュンバーリの長い道のり」は、別れた妻・アミーナがつくるウガンダの献立「カチュンバーリ」が、東アフリカとインドの植民地主義をめぐる歴史的事実と、ケニア人の父とウガンダ人の母の間に生まれた彼女の生育歴とが交錯していたことに、後に東京に戻ってハタと気づく、長い道のりの謎解きのお話。
「昼食のゆくえ」は、1981年当時のスペイン。「お昼が一日で一番大事な聖なる食事だから、女たちは手を抜くわけにいかない」と忙しく家の中で立ち働くイザベラ。それでもなお彼女は外で働きたいと強く願う。やがて2008年には「スペイン女性の社会進出が増え、閣僚の半分を女性が占める国になった」という女たちの変化を描く。
「なぜブラジルの古い町がわざわざ不便な丘の斜面に建築されているのか」「なぜリスボンは坂の町だったのか。なぜ中世のポルトガル人は山の斜面に住んだのか」。その問いに解を出すためにポルトガル内陸部にいってみなければと、旅に出る理由を書く「逃れの町」の章。
私もポルトガルでそのことを実感した。「7つの丘の都」リスボンは、ケーブルカーの市電が坂を上り下りして家々をすれすれに走っていく。ポルトからドウロ川上流の町・ピニャオンへ。山の向こうにポートワインの葡萄畑がどこまでも続いている。中世ポルトガルの首都・ギマランィス。10世紀に建てられた絶壁の古城へ息を切らせて登り立つと、ポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケスも、この町を一望しただろう美しい町並みが眼下に広がって見えた。
ひとはなぜ旅に出るのか? 旅立つ理由は一人ひとり異なる。ならば私は?
それを問い続けるために、またまた旅に出なければと思う。
「旅は道草」は毎月20日に掲載予定です。これまでの記事は、こちらからお読みになれます。
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