2013.08.18 Sun
日本軍「慰安婦」メモリアル・デーを国連記念日に!!午後の部の報告です。
午後の部は、韓国ナビ(蝶々)基金のビデオ紹介ではじまりました。これは、韓国の元「慰安婦」にされた被害女性たちが立ち上げた基金で、コンゴでの性暴力被害者支援が始められた。かつて支援を受けた女性たちが、今度は支援者へとなっていったことを示しています。
午後の司会 渡辺美奈さんから
午前のお話については、「国連に行っている場合ではない、とは言ってないが、それくらいの重い言葉」であったと始められました。
・日本の人しか変えられないから、昨年12月台湾でのアジア連帯会議にて、8月14日を日本軍「慰安婦」メモリアル・デーにすることに決定した。
・しかし他方で、民主党含めわたしたちの声を聞いてくれる議員が少なくなっていく。また、否定派がどんどん増えていくなかで、国連の公式記念日にするためのキャンペーンを始めることに決めた。
基調講演:アンワウル・チャウドリーさん「女性の参加が平和を持続可能なものにする」--安保理決議1325のコア・メッセージ--
安保理決議1325の主な内容については、こちらからどうぞ。また、全文はこちらからどうぞ。
安保理決議1325 3月に国内行動計画を日本政府が作り始める。
本決議について、「慰安婦」問題に関しては、とりわけ第11項が重要だと思われるので、ここに引用しておきます。
11. Emphasizes the responsibility of all States to put an end to impunity and to prosecute those responsible for genocide, crimes against humanity, and war crimes.
「女性と少女に対する性的あるいは他の暴力を含むジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪への不処罰に終止符を打ち、責任者を処罰することに関して、加盟国の責任を強調する。」
チャウドリーさんは、本決議の重要性を女性の意志決定機関への参加を促し、女性たちのこれまで不可視化されてきた平和構築への大きな貢献に光を当てている点だと述べられました。
「女性が行動するとき、世界は平和を築くことができる」。それがチャウドリーさんの持論だと感じました。以下は、かれの発言の岡野によるまとめです。
ヒロシマ・ナガサキについて、 みなが口をそろえて「二度と繰り返さない」と言った。それは、ひとがもたらした破滅的被害をみなが認識しているからです。かれによれば、8月14日も同じような思いをわたしたちがもつべきなのです。50年の沈黙を破った金学順さんも、「二度と繰り返すな」と求めていた、そして、20万人の被害者を勇気づけた。
1991年以降、性被害者の声を聞かれるための女性の闘いが始まり、国際社会に女性に対する性暴力が女性の尊厳を踏みにじる行為であることを認めさせた。わたしたちはいま、『二度と繰り返すな』と叫ぶべきである。
また、金学順さんは、グローバルの象徴である。地球における「勇気ある娘」。1993 ウィーン世界人権会議で発言、北京(世界女性会議)を成功させたのも彼女である。過去の悲劇を訴えたのでなく、未来に同じ犯罪が生じることを予防させる働きをした。その勇気ある発言は、国際刑事裁判所のローマ規定へと結実した。
女性が平和構築に果たす役割への注目は、半世紀たってもなかった、その沈黙を破ったのは、金学順さんである。戦争阻止、平和構築、調和ある平和の生活に、女性たちの貢献を認めよ。女性たちの貢献は、過小評価されてきた。正式に女性の働きを認める決議が1325である。
さらにチャウドリーさんは、続けて、
女性は単なるか弱い被害者ではなく、むしろ、平和活動、民主的決定に「参加」することの重要性。1325は、これから平等を達成させていくための、始まりであり、以下を強調している。
1.女性の決定への参加
2.差別撤廃と不処罰の終わり
3.責任追及システム
さまざまな場所で、平和文化を構築するために、どれほど弱い立場にあろうとも、女性たちがどれだけ貢献してきたかをチャウドリーさんはみてきました。シェラレオネ、コンゴ、レバノン、カザフスタンなど。
では、決議1325はどうしたら実現できるのか?それには、行動計画がとっても大切であり。40カ国がすでに準備しており、10カ国が準備中で日本も準備中の一つである。
チャウドリーさんが強調していた、今後日本でなすべきこと。
1.女性の政策決定への参加
2.市民社会において正義とはなにかを協議し続けること
日本政府が1325を実現することで過去から抜け出て、過去にとらわれていることをやめることができる、若い世代が教育を受けなければならない。国際社会のレヴェルで歴史を見つめ、メディアもしっかりと歴史、市民活動を伝えるべき。「慰安婦」問題はたんに過去の問題でなく、現在・未来の女性の権利にとって本質的な問題であることに気づくべきである。
さらにチャウドリーさんは踏み込んで、憲法9条を守るべきと述べられました。なぜなら、これまで平和を愛してきた日本国民に対する世界の信頼が損なわれるからです。
女性たち一人ひとりの価値が尊重されるまで、わたしたちの闘いを終わらせない、8月14日をメモリアル・デーとすることで、その闘いを誓うと締めくくられた。
ユン・ミヒャンさん「日本軍「慰安婦」被害者が変革の主体となるとき」
イ・ヨンニョ・ハルモニが、88歳で今日の午前2時に亡くなりました。
悲しいお知らせから、ユンさんの話は始まりました。また、ユンさんの発言のあいだ、わたしも証言を聞いたハルモニ、そして亡くなられたハルモニの顔が流れ続け、大きな想いがユンさんの話の間中、わたしの心にこみ上げました。
以下、彼女の発言の岡野によるまとめです。
運動を支えてきた自分の視点で、この20年を振り返ってみたい。自分自身を変えた中心にあるのは、被害のおばあさんとの出会いです。
ハルモニたちも運動でさまざまな人に出会うなかで変化していく、自分たちとは異なる弱い立場にある人に対する見方も随分と変化しました。水曜日デモに参加する平和活動家たちとの出会い、姉妹愛を育てていくようになる。おばあさんたちは、90年代から、顔を出さないための帽子やサングラスをやめ、自ら顔を出し始めた。
若者たちもハルモニを見る目を変化させた。また、米軍基地村の女性たちも変わっていった。その、相互作用の中心に、金学順さんがいました。当時の韓国社会は、個人問題、弱者を見る視線だったのが、勇気ある発言者を見る目へ。
韓国の1992年の女性の運動家賞は、金学順さんに送られました。このことは、韓国内の女性運動も変化したことを表しています。韓国を越えて、多くの女性たちに勇気を与え、そのおかげで家族に告白できた女性たちが多い。
学順さんを、韓国人の被害者と規定するのは間違いであり、奇跡を起こした女性こそが学順さんなのです。
被害者同士が出会い連帯することで、癒しと勇気が与えられた例として。
金順徳(スンドク)さんと、文ピルギさんとの出会いにはびっくりしました。解放後お互い知り合いだったのに、二人は、「あんたも慰安婦だったの?」と。お互い「慰安婦」だったことを知らなかったのです。そして、被害者同士、支援者にはできない癒しをもたらしたのです。
岡真理さん「記憶を普遍化し、未来に引き継ぐことの意義」
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.講演の最後は、岡さんでした。まず岡さんは、苦しい記憶を語られたデイさん、そして、被害者とともにその生を支援してきたユンさん、レチルダさんに敬意を述べられました。以下は、岡さんの発言の岡野によるまとめです。
記憶する、記念日とは何なのでしょうか?
それは、通常は私的なことで、誰かの記念日(結婚記念日や誕生日)を覚えていることです。つまり、その人の存在がわたしにとって大切だということ、「あなた」がこの世界に二人といない、かけがえのない存在である、ということを大切に思っている。
では、それが公的な記念日となるとはなにか?それは、個人的な記憶が集団的な記憶になること。記念日とは、集団的記憶を作るための装置。その日の出来事が、わたしたちが忘れてはならないもの、共通のものとしてある。
ここでは、「わたしたち」という複数性に注意を向けたい。
「わたし」が複数いるから、わたしたちという本当の意味の複数性があるわけではない。わたしが複数いるからといって、普遍化されるわけではない。
1月29日=アウシュビッツ解放の日
1988年、”we need forget” というエッセイが発表された。「ドイツ人だけが特別だったわけではない。その残虐さにおいて、オーストリア人ロシア人みな同じ。ユダヤ人だけが被害者だったわけではない」。ホロコーストを忘れよう。これは、イスラエルのユダヤ人のことばで、解放期に塩ビが、ユダヤ人というナショナルな記憶としてあることに対する批判をしている。
1948年、パレスチナ人を追い出したイスラエルの歴史。「わたしたち」の記憶のあり方、ナショナルな悲劇の捉え方を批判し、むしろ忘れることを学ばないといけないと説いている。
さらには、9.11 アリエル・ドルフマンの言葉、「世界に満ち溢れる9.11について」論じている。チリのアジェンダ政権がCIAの援護の下で崩壊させられた日でもある。
日本においては、8月15日の終戦だけを記憶するとはどういうことを意味しているのか。12月8日(太平洋戦争)、7月7日(盧溝橋事件)などを忘れていて、いったいどのような戦争が終わったのか。
普遍性をもつ記憶はそこに、他者がいなければならない。
8月14日金学順さんが公的に世界に向かって発言された。パーソナルな記憶に過ぎないものを、社会へと語りかけた。さまざまな記憶に拓かれた、記憶とした。2000年12月には女性国際戦犯法廷が開催された。尊厳と正義を求める闘いは永遠に終わらない、被害当事者がなくなったとしても、受け継がれていくことを日本政府はわかっていない。
自らの人生の意味だけを変えたわけではない、わたしたちとの関係性をも変えた。
過去を「変える」、今のあり方を変えることによって、過去の意味が変わる。
1967年にイスラエルで起こったこと=ダリアさんの家に、かつてその家に住んでいたパレスチナの少年がやってくる。少年を招きいれるダリアさん。「この家を売ってお返ししましょうか?」。少年は、「あなたの家でもある、売ってしまったらわたしの家でもなくなる」と。そこで、ダリアさんは、家をパレスチナ人の幼稚園として解放し、共生の場所とすることに決めた。彼女を描いたドキュメンタリーのなかでの発言。
「過去を変えることができるのです」。未来を変えることで、現在を変えることで。過去の意味を変えることができる。
他者の痛みを受け入れることで、加害者と被害者をこえて、違いを違いとして認め合った上で、共生する場を作っていくこと。
以上、8月11日の4時間以上におよぶ、濃密で重いシンポジウムの、非常にラフなメモですが、みなさんとその場の空気が共有できますことを(岡野八代)。