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『ベルリンファイル』のリアリティと想像力 池内靖子

2013.08.23 Fri

韓国のスパイ・アクション映画『ベルリンファイル』(2013)の舞台はタイトルが示すようにベルリンである。東西冷戦時代、ベルリンは、あらゆる国籍のスパイたちが集まって謀略を仕掛けあう空間だったという。冷戦後のいま、依然として分断国家である韓国と北朝鮮双方のスパイがしのぎを削る。南北の諜報員だけでなく、アメリカのCIA、ロシア人ブローカー、アラブ系武装組織、イスラエルの諜報特殊部隊がからむ壮大なスパイ合戦にベルリンほどふさわしい舞台はないだろう。

激烈な銃撃戦は、市内であれ、市外であれ、あれほど派手に撃ち合えば、ドイツの警察や治安部隊が見逃すはずはないが、そんなケチをつけるのは的ハズレ。なんと言っても、これは、銃撃戦に、カー・チェイス、渦巻く謀略や暗殺、西部劇風の荒野の決闘まで満載のスパイ・アクション映画なのだ。

同時に、この映画の強みは、現在の政治状況を最大限活用してリアリティの効果を強めていることだ。北朝鮮の諜報員(主人公)は、外貨稼ぎにロシア武器ブローカーの仲介でアラブ系組織へ武器を密売しようとする。北朝鮮の権力移譲に伴う隠し資産と秘密口座を追跡していた韓国諜報員は、当然、その動きをマークする。韓国諜報員を出し抜いて武器密売を阻止するのは、イスラエル特殊部隊モサドの奇襲で、強烈なリアリティがある。CIA要員から韓国諜報員へ通報される北朝鮮要人の亡命情報は、北朝鮮側も察知、保安監察員が乗り込んでくる。この保安監察員の狙いは、大使館の実権を握り、大使館通訳官(主人公の妻)に二重スパイ嫌疑をかけ、主人公とその妻を裏切り者に仕立て上げることだ。いかにもあり得る政治謀略のストーリーだが、スパイ・アクションの怒涛の展開に、観客は息つく間もなく惹き込まれてしまう。

キャストも豪華で、『シュリ』(1999)で韓国諜報員を演じたハン・ソッキュが、14年後も、韓国諜報員で登場。鋭い直感で我が道を行くタイプのベテラン諜報員、組織の若手同僚から疎まれ煙たがられているのが面白い。

主人公である北朝鮮諜報員を演じるのは、いま韓国で若手No.1の演技派といわれるハ・ジョンウ、非情な諜報活動と謀略に追いつめられていく中で妻を救出すべく謀略と暴力に立ち向かうタフガイをみごとに演じてかっこいい。しかし一番際立っているのは、北朝鮮の保安監察員を演じるリュ・スンボムで、冷酷な極悪非道ぶりが圧巻。それも人を喰った飄々とした演技で、明らかに主役の二人を喰っている。

主人公の妻役は、『猟奇的な彼女』(01)で有名なチョン・ジヒョンだが、この映画では、控え目な女性役だ。北朝鮮大使館勤めの通訳である妻は、大使とドイツ経済協力・開発省次官の会合に同席した後、大使から、次官の夜の相手をするように指令され、汚れ仕事にも黙々と従う。これもあり得る話。しかし、あり得ないのは、夫と逃亡する時、ハイヒールを履いたまま高層ホテルの窓をつたい歩く場面。にやついてしまう男性観客もいるだろうが、私は思わず、あり得ない!とツッコミを入れた。これまで、アクション・ジヒョンと称される活発な女性役が多かったチョン・ジヒョンは、この映画では、銃を持つアクションの際、リュ・スンワン監督から“かっこ良すぎる”、“そのかっこ良さを消して”と言われたという。影が薄い既定の女性役に終わっているのが残念。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.ところで、南北の秘密諜報員たちの熾烈な攻防を描いてヒットした映画『シュリ』(1999)には、“かっこ良すぎる”女性が登場する。北朝鮮の特殊部隊員、しかも女スナイパー!と韓国の諜報員との恋愛!という現実にはあり得そうにない人物設定とストーリーで、観客の度肝を抜いた。殲滅すべき敵を愛することと北の特殊部隊の指令遂行に引き裂かれた女スナイパーの葛藤を描くことで、悲劇の映画的カタルシスを生みだした。あり得ない非現実的なストーリーが、逆に苦い現実――越えられない国境、継続する戦争状況を浮かび上がらせる。同時にその現実をもエンタテイメントに仕立て上げる韓国映画人の逞しい想像力に私たちは圧倒されたものだ。『ベルリンファイル』パンフレットには、「ストーリー&ヴィジュアルの両面において『シュリ』をはるかに凌駕するスケール感」とあるが、私には、『シュリ』のあり得ないストーリーの想像力と視覚化のほうが優っていると思える。

最後にちょっと脱線して付け加えたいこと。主人公は、CIAやM16のリストにも記録がない“ゴースト”と呼ばれる謎の人物、と設定されている。アメリカCIAの謀略はよく知られているが、私たちの世代は70年代当時、独裁政権を支え暗躍する韓国情報部をKCIAと呼んで恐れていた。当時民主化の闘士、金大中が日本に滞在中、KCIAから拉致・監禁された事件は衝撃的だった。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.また、M16が、イギリスの諜報機関であると知ったのは、高村薫の小説『リヴィエラを撃て』(1992)からだ。「リヴィエラ」というのは、日本人スパイのコードネームで、その小説では、中国人亡命者のアイルランドでの殺害とIRAテロリストの東京での殺害をめぐって、 CIAや、M16の職員、スコットランドヤードの刑事や、日本の警視庁公安部員が入り乱れ、リヴィエラの正体と謎に迫る、ハードボイルドのミステリーサスペンスだが、その時空のスケールの広大さや、入り組んだ諜報関係の複雑さ、登場人物たちの死闘に次ぐ死闘の冷徹な描写に圧倒された。

日本のスパイ・アクションは、映画化されるとショボくなると言われる。冷戦後のいまも、米軍基地を多く抱え、朝鮮半島における南北分断を固定化する政治状況を担うこの日本。スパイ戦はあり得ない、と思うのは想像力の貧困だろう。小説に先を越されているが、映画ファンとしては、日本でもリアリティと想像力のあるスパイ・アクション映画を期待したいところだ。








カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:映画 / 韓流 / 池内靖子