2013.10.10 Thu
3人にひとりってホント?
「夕方、ちょっと一杯、やりまりませんか!」
日本なら、オジサマたちの間でよくかわされている会話を、バルセロナで私はしょっちゅうしている。
スペインの夕食は午後10時ごろが普通なので、その前なら、友人と待ち合あわをしやすい。友人も仕事帰りに、そのまま待ち合わせ場所に来られるし、晩御飯までには家に戻れるから好都合なのだ。
この日は、バルセロナで広告関係やコーディネ―タ―の仕事をしているTさんが、バルセロナ港の近くにあるイワシ料理で人気のあるBARに、連れて行ってくれることになった。揚げたての新鮮なイワシを食べられるとあって、いそいそと待ち合わせ場所に付いた私は、彼女の横にいた、長身でセンスの良いニットのカーディガンとGパンを着こなした妙齢の女性の立ち姿にハッとした。
背景に見える港の光景と街並みにマッチして、まるで映画を観ているようだったからだ。
「彼女も乳がんになったのよ。紹介したいと思って、誘ったの」
10年前から私と親交のあるTさんが、Kさんを紹介してくれたのは、私が「乳がん」の経験者だからである。
私たち3人は、目当てのBARに午後7時過ぎに入り、店が混雑する前にテーブル席を確保した。そして、ビールで乾杯し、アツアツのイワシのから揚げを頬張った。
Kさんは、もう40年以上もバルセロナに住んでいるという。道理で、立ち姿が日本人離れしているはずだ。若かった頃は、さぞ美人だったに違いない。日焼けした肌に大人の色気が漂っている。
現在71歳で独身、スペインの大手銀行で働いておられた女性だった。だが、どう見ても60代前半にしか見えない。
「時代がよかったのよ。不景気の今では考えられないような高待遇だったわ」
銀行員としての働いていた時代のことを思いだしながら話すKさんからは、会社にも仕事仲間にも恵まれていた時代の空気が感じられた。
「日本の銀行なら、その日の計算が合わないと、計算をし終えるまで、帰宅できないっていうじゃない。でもこっちはね…、『お腹空いたから、もうそろそろ帰ろうか!』って、みんなの意見が一致するのよね」
仕事のために、プライベートな時間を台無しにすることなどしない国民性が表れていることに、私は思わず笑みを浮かべながら、深くうなずいた。
責任感の強い日本人同士では考えられないことである「できるまで、徹底的にやる」、「責任と義務を果たすのがあたりまえ」ということを、幼い頃から厳しく躾けられた私から見れば、うらやましくなるような話でもあった。
ビールがワインにかわり、ほろ酔い気分になった頃、自然と「乳がん」の話になった。
「退職後も、食べ物にも気をつけているし、よく運動もしてきたのよ。それなのに、なぜ?って思ったわよ」
Kさんの話では、少し前まで、スペインでは5人にひとりの女性が「乳がん」にかかるといわれていたのが、今では3人にひとりが罹っているというのだ。
アメリカでは8人にひとりが「乳がん」に罹ると聞いた私は、その深刻な数字に耳を疑った。アメリカと比べても、あまりにも多すぎるではないか。
「あの人も乳がん、あの彼女も乳がん、そんな話をしょっちゅう聞いてはいたけれど、まさか自分がなるとは思わなかった」
Kさんは、さばさばとした口調でいった。
「地中海料理」は健康食だが…
スペインといっても地域によってずいぶんと気候が異なるか、ここバルセロナは、地中海に面し、一年を通して温暖で過ごしやすい。食文化も豊かで、魚介類はもちろんのこと、オリーブ油・ナッツ類、野菜、果物をふんだんに使う「地中海料理」が浸透している地域として知られている。
特にオリーブオイルには「オレイン酸」という脂肪酸が豊富に含まれ、このオレイン酸は善玉コレステロールを増やし、悪玉コレステロールを減らす効果があるといわれている。心臓病やがんなどの成人病予防に効果があるという研究データも多い。
実際、バルセロナの友人宅を訪ねると、2リットルから5リットルもあるオリーブオイルのボトルが、台所の隅にボーンと置かれている。揚げ物や炒め物、スペイン風玉焼きの「トルティージャ」にいたるまで、フライパンになみなみと注いで使うのが、日常の光景なのだ。
酸化しにくいオリーブオイルは、何に使っても風味をそこなうことなく美味しく食べられるうえに、価格も日本では考えられないくらい安い。さすが、オリーブの一大生産地、スペインである。
「パン・コン・トマテ」は地元料理の代表格で、斜めにスライスしたバケットに、生ニンニクと完熟のトマトをこすり付け、オリーブオイルをかけて食べる。バルセロナでは、BARで小皿料理を注文すると、必ずとっていいほど、このパンが添えられてくる。
夏になると、スペイン全域でよく食べられる野菜スープ=「ガスパチョ」は、トマトやピーマン、キュウリ、ニンニクなどがたっぷり入り、オリーブオイルも含まれている。
今では広く世界で認知されている「デザイナーフーズ」は、食べ物と健康の研究が進んでいるアメリカ国立がん研究所が1990年に発表したがん抑制効果のあるピラミット図だが、ここでもニンニクやトマトは上位に位置している。
このほかにも、食べ物とがんとの関連はさまざまな角度から指摘されているが、もちろん、どれだけ食べているのかは個人の食生活によって違う。当然、ほかの要因や因果関係もあるだろうが、Kさんも食事にはずいぶんと気を使っていたのにも関わらず発病している。
これほどがん予防以外にも免疫力を高め、生活習慣病を防ぐ作用もあるとされている食材に恵まれているのにもかかわらず、なぜ、「乳がん」が増え続けているのだろうか。
一概に何が原因なのかを特定することはできないが、「乳がん」の場合、大きなリスクとしてあげられるのは、肥満との関係だ。脂肪の摂取量が多く、肥満の人ほど、疾患率が高いとされる。確かに、スペイン人は甘い物が大好きなひとが多く、食事の後はデザートを必ずといっていいほど食べる。しかも砂糖や乳製品をたっぷり使ったスイーツが多い。
こうした生活習慣はどうしても肥満につながりやすいが、Kさんも私もスリムな体型で肥満とは程遠いのだ。
気になるストレスの影響
ところで日本では、「乳がん」は子育てに忙しく、働きざかりの40~50代の女性が最もかかりやすいとされ、すでに女性の14人にひとりの割合で発病している。この世代は、子どもの教育費の負担が大きく、親の介護なども担っているひとたちも多い。
スペインでの世代別疾患率も、日本とは大きく違わないような気がするが、個人的には、スペインでは長引く経済不況も、ストレスとなって影響しているように思えてならない。
平日の日中、仕事にあぶれていそうな若者が多いことに、現在、スペインがおかれている厳しい経済状況を感じていたが、さらに驚いたのは、先ごろ発表されたEU統計局(Eurostat)による最新の失業率データだ。
財政破たんが懸念されているギリシャに次いで高いのがスペインで、失業率は26.4%(ギリシャは27.6%)、にものぼっている。この数字を見る限り、スペインの景気は一向に上向いていないのだ。
しかも、オリンピックの候補地だったマドリードが、落選したニュースは記憶に新しい。スペイン国内の優秀な人材は、スペインに見切りをつけ、ドイツや北欧などに職を求めるひとたちも多いと聞いている。
だが、家庭を持ち、子どもを育てている女性はそうはいかない。待遇の良い仕事を探せるだけの選択肢はなく、さらに子どもたちの学校への送り迎えがある。親が、学校と家庭との送り迎えができない場合は、子どもを預けるための経費を捻出しなければならない。
こうした経済的な圧迫が精神的なストレスへと拍車がかかっているのではないかと、私には思えて仕方がない。ストレスと病気との関係の深さは、以前から指摘されてきたが、私が知る限り、バルセロナで暮らす女性たちの暮らしは決して楽ではないのだ。
市の中心部にある公立の学校では、移民の子どもたちの比率が高く、旧市街にある、某小学校では「とてもスペインとは思えない学校環境だ」と聞いたこともある。
教育熱心な親ほど、教育レベルの高い学校に子どもを入れたがるのは万国共通だが、こうした事情もあり、バルセロナではなんとしてでも、カタルーニャ人が多く通う良い学校(多くの場合、私立高校)に入れるようと、がんばっている女性が目立つ。
私自身、1年半ほどの間、先の見えない大きなストレスを感じていたとき、検診で「乳がん」が見つかった。片方の乳房を切除した後、「乳房再建」をして、ようやく生きる気力を取り戻した経験があるだけに、ストレスが健康に与える影響が心配でならない。
「乳房再建」と自己再生の体験を伝えたい
はじめて私がKさんに会った日は、彼女がバルセロナの病院で「乳がん」の手術をした2週間後だった。私たちは病気のことから、仕事、そしてバルセロナでの暮らしや、互いの生き方についてまで、BARで語り合った。同じ病気をした女性同士ということもあり、私たちはすぐに意気投合し、話は尽きなかった。
TさんがKさんを連れてきたのは、片方の乳房の全摘手術を受けてから、もうすぐ5年になる私が、こうして元気に飛び回っていることは、Kさんにとって生きる励みになると考えたのだろう。
その日の夜、私はこれまでの体験や想いを喜んで聞いてくれるひとのもとへは、どこへでも行こうと決めた。
この3年間、私はこの「乳房再建」にいたるまでの経緯や、その時々の心の動きを綴ってきた。それを『生きるための乳房再建』というタイトルで、電子書籍で刊行する予定だ。
「乳がん」は若い世代でも油断できないことから、年齢を問わず、すべての女性が乳がんを意識し、早期発見につとめてほしいことを伝えたいと思っている。
そして万が一、病巣が見つかり、その結果、乳房を失うことになっても、再建手術をすれば、元の自分とほとんどかわらない姿になれること。さらに「乳がん」の経験は、決してマイナス面ばかりではなく、より良く人生を生きることにつなげられることも書いた。
同書の著者収入はすべて、「乳がん」撲滅と、「乳房再建」推進のための活動費とするつもりでいる。
『生きるための乳房再建』 中村設子著
電子書籍 2013年10月15日発行(Amazon Kindle store)
カテゴリー:スペインエッセイ