シネマラウンジ

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11月のシネエッセイ 『いとしきエブリディ』 川口恵子

2013.11.07 Thu

 ロンドンのナショナル・ギャラリーに今夏、3週間の英国滞在を終える直前、数日間、通いつめた。13世紀後半から20世紀初頭までの西洋絵画の流れを学ぶのにちょうどよい収集規模を誇る同ギャラリーで最も心惹かれたのは英国の収集家が愛した風景画のコレクションだった。中でも北翼15番の部屋にターナーの絵と共に飾られたフランス人画家クロード・ロラン≪海港、シバの女王の船出≫には特別な何かを感じ、帰国当日の朝も再度見に行ったほどだった。英国の誇る19世紀の風景画家ターナーが自作≪カルタゴを建設するディド≫を寄贈するにあたり共に飾ることを条件として遺言書にしたためた作品だ。遺言どおり同じ部屋に並置されたターナーの絵も素晴らしかったが、何度見比べても≪船出≫のほうが心にしみた。画面中央、水平線の上に朝日が輝き、その金色の輝きの中に旅立ちを前にした帆船、荷物を搬入しようとする小舟の浮かぶ海が広がり、両脇に壮麗な古代建築の柱がそびえ、手前左にはまばゆい光に目を覆う少年の姿が見える。深い悩みを心に抱えたまま賢者として知られるソロモン王に会いに向かったシバの女王の姿も右手に小さく描かれている。それは旧約聖書に題材を得たとはいえクロードらしい「理想の風景」で、何かしら人の心を晴れやかにする力が備わっていた。「運命の旅」を主題にした絵画だといわれていることは帰国後知った。

「いとしきエブリデイ」sub3  近く公開されるマイケル・ウインターボトム監督の映画『いとしきエブリディ』(原題 Everyday)もまた、風景描写が、描かれる人々の心を荒廃から救い、画面に晴朗なはりつめた空気感を漂わせる。英国東部のノフォーク州のとある小村に舞台をおき、5年の歳月をかけて撮影されたこの映画は、刑務所に入った夫/父を待ち続ける妻と4人の幼い兄妹たちの日常生活をリアリズムで描きつつ、生の峻烈さを観客に伝える。彼らの生活を森や樹木、朝もやの漂う小道といった豊かな自然と共に描く監督の視点は、人物を自然の中に配置させる17世紀オランダの風景画家をも思わせる。もちろん、4人の子供たちを毎朝学校に送り出す日常や、列車やバスを乗り継ぎ子連れで刑務所に面会に行く日々に、自然美を味わうといった感傷の入り込む余地はない。けれど物語の展開を通じて一見互いに無関係に存在していると見えた両者―自然と人間―が、やがて祝福に満ちた天啓のごとき調和をみせる、海辺の時がやってくる。海辺の人々という主題もまた、海に囲まれた英国の絵画的モチーフのひとつだ。子供たちが歌う聖歌「羊飼い」の調べのただ中で、罪が浄化される奇跡的瞬間がもたらされる展開に、あらためて英国がプロテスタントの国であったことを思い出した。

自然と自然描写をこよなく愛する英国の文化的伝統の下にこの映画を見る時、ラストの海辺の光景の幸福感はいよいよますはずだ。ここにも「運命の旅立ち」がある。

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ウィンターボトム監督の『ひかりのまち』で共演したジョン・シムとシャーリー・ヘンダーソンが、寡黙で余計なことを言わず心を通わせあう労働者階級夫妻を見事に演じる。天使のような笑顔をもつ次男をはじめ4人の姉弟は実の姉弟。監督が実際のノーフォーク州の学校で次男役の少年を見つけた。撮影は彼らの家。ドキュメンタリー出身の監督らしい撮影手法で、これまたドキュメンタリーの伝統をもつ英国文化の深さを想起させる。昨秋、本国でTV放映された折の英インディペンデント紙(2012年11月14日)評で「もっともよい時のケン・ローチ」を思わせると賞賛されている。

11月9日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町他にて全国公開

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「いとしきエブリデイ」main監督:マイケル・ウィンターボトム

出演:シャーリー・ヘンダーソン、ジョン・シム、ショーン・カーク、ロバート・カーク、カトリーナ・カーク、ステファニー・カーク

脚本:ローレンス・コリアット、マイケル・ウィンターボトム

音楽:マイケル・ナイマン

2012年/イギリス/英語/90分/カラー/ビスタ/デジタル

公式ホームページはこちら

カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 映画を語る

タグ:くらし・生活 / 子育て・教育 / 川口恵子 / シネエッセイ / イギリス映画