2013.11.25 Mon
『彼女たちの時代』
放映:1999年7月~9月、フジテレビ系列
脚本:岡田惠和、主演:深津絵里
フジテレビオンデマンド配信中
http://fod.fujitv.co.jp/s/genre/drama/ser4235/?s=mdbm000hv8fd
このドラマの主人公、羽村深美(深津絵里)は、1973年生まれの26歳――いわゆる「ロストジェネレーション」にあたる世代である。ロストジェネレーションとは、もともとヘミングウェーやフィッツジェラルドなど、第1次世界大戦期に青年期を迎え、パリで活躍したアメリカ人作家たちのことを指して使われていた言葉だが、2007年に、朝日新聞が元旦特集とその後の連載記事で、1970年代前半~80年代前半生まれの、当時25歳から35歳になる若者たちをこう呼んだことから、新たな用法として広まった。
ロストジェネレーション(略してロスジェネ)の特徴は、豊かな時代に生まれたにもかかわらず、社会に出る時期がバブル崩壊後の就職超氷河期と重なり、その後も経済の停滞が続くなかで、パートや派遣、契約社員など非正規雇用というかたちでの就労を余儀なくされた人の割合が高いことである(朝日新聞「ロストジェネレーション」取材班『ロストジェネレーション―さまよう2000万人』朝日新聞社、2007年)。
ドラマが放映された1999年には、まだ日本版のロスジェネという言葉は使われていなかった。だが、「何から何までさえない」めぐり合わせを嘆く主人公の深美と彼女の周囲の人々の姿は、この時代にすでに社会を覆っていた閉塞感をリアルに映し出している。
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通販会社で、苦情受付窓口のオペレーターとして働く深美は、ただ淡々と業務をこなす毎日に物足りなさを感じつつ、このまま年齢を重ねていくことに漠然とした不安を抱いている。ささやかな変化を求めて足を踏み入れたカルチャースクールで、偶然知り合ったのは、同じ26歳の太田千津(水野美紀)と浅井次子(中山忍)だった。個性がまったく異なるこの3人の女性の友情と、それぞれの仕事や恋愛をめぐる葛藤を軸にドラマは進行していく。
カルチャースクールでゴスペルソングのクラスに深美を誘った千津は、食品会社の正社員だが、系列のファミレスに配属され、ホール主任という立場でウエートレスを務めるかたわら、アルバイトたちのフォローに追われている。同棲中の恋人(加藤晴彦)は定職に就かず、ギタリストをめざしているものの、バンド活動もうまく行っていない。
中堅の商事会社で働く次子は、ステップアップのために国際会計士の資格を取る勉強をしている。男性と同じように働くチャンスを与えてほしいと社長に嘆願し、総務から営業への転属が認められたが、男性上司からは「女の子」扱いされ続け、ことあるごとに嫌味を言われる毎日に耐えている。
次子が会社から派遣された、営業社員向けの研修には、深美の義理の兄、佐伯啓介(椎名桔平)も来ていた。啓介は、大手不動産会社の企画開発部で大規模プロジェクトを手がけるエリート社員だったが、突然、関連の住宅販売会社に出向を命じられ、慣れない営業の仕事に就くことになったのである。全員の前で「私は最低の人間です」というスピーチをさせられ、講師から面と向かって罵倒される過酷なセミナーで二人とも深く傷つき、そのことで心を通わせるようになる。
そんなある夕方、深美は、川べりの土手でチラシを紙飛行機にして飛ばしている啓介の姿を見かける。声をかけようとした瞬間、彼女の耳に入ってきたのは、半ば放心状態で、熱に浮かされたようにしゃべり続ける啓介の独白だった。
「私は最低の人間です。家には美しい妻がいます。自慢の妻です。この女のためなら何でも我慢できる。そう思っていました。一点の曇りもなく愛していると思っていました。でも、そんなのは嘘でした。私は心のどこかで、こいつさえいなければと思っています。こいつさえいなければ我慢なんかしなくていいのにと、心のどこかで思っています。結婚なんかするんじゃなかったと、なんでこいつのために俺はこんな思いをするんだと、心のどこかで思っています。…私は…最低の人間です」
啓介の妻、つまり深美の姉である直美(奥貫薫)は、彼女なりに夫の苦境を察し、「ぶら下がってるだけの女じゃいけない」と、収入に結びつく仕事にチャレンジしようとしていたが、そうした気遣いと努力さえ、啓介にとっては、自分のふがいなさを暗に責めたてる行為のようにしか感じられない。その後、ようやく営業の実績が上がり始めた矢先に出向先は倒産し、本社に戻ることができたものの、こんどは「人間開発室」というプレートのかかった小部屋で、一日中何もせずに座っているだけという業務命令を受ける。これは、社員を自主退職に追い込むための悪質な措置で、現在も「追い出し部屋」として問題になっているものである。結局、啓介は会社を辞め、妻の前からも姿を消す。
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ここに紹介したドラマの主要人物たちは、フリーターの美紀夫と専業主婦の直美を除けば、全員が正社員である。したがって、ロストジェネレーションと呼ばれる世代に多いとされる、派遣労働などの非正規雇用やひきこもり・ニートなどの問題には光が当てられていない。その意味では、第3者から見るかぎり、深美も千津も次子も、けっして不幸な境遇とはいえないかもしれない。しかし、3人はそれぞれ目の前の仕事をこなしながらも、手ごたえのなさに苛立ち、迷い、こことは違うどこかで、何者かでありたいと願っている。恋愛や結婚は、現状を「リセット」する手段の一つのようにも思えるが、それにすがることもよしとしない。彼女たちと違い、バブル期に大手企業に就職できた啓介は、やりがいある仕事に就き、妻に経済的安定を与えることに満足していたが、その彼も、理不尽な形であっけなくその場から転落してしまうのである。
彼らが大人として生きる時代は、それまでの定式が通用しなくなった時代でもあった。いい大学に入り、一流企業に就職できれば、あとは右肩上がりの昇給と出世が約束されているとか、男性が大黒柱となり、妻子を養うことがあたりまえだとか、女性の幸せは結婚で決まるとか――。35歳という設定の啓介より10歳近く下の深美たちは、そんな幻想にもはや振り回されてはいない。だが、それに代わる新しい価値の尺度が用意されているわけでもない。会社にしろ、家庭にしろ、「ここにいれば大丈夫、やっていける」という居場所を持たないまま、彼女たちはお互いの境遇を確かめ合い、共感し合いしながら、手探りで前に進もうとする。その末に下したささやかな決断(千津は、恋人と一緒に実家のミカン農家に帰ること、次子は、「女なんだから断ってもいいぞ」といわれた転勤を受けること)にも、確たる自信は持てないままである。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. ドラマの中盤と終わり近くに、高いビルの屋上から通行人に向かって、深美たちが「私はここにいます!」「私たちはここにいるぞ!」と声を限りに叫ぶシーンが二度出てくる。たとえ「さえない」自分であっても、今、「ここにいる」ことを肯定したい、伝えたいという思い。このドラマと同じく、業界内での高評価とは裏腹に視聴率が低迷したとされる名作『すいか』(放映:2003年7月~9月、日本テレビ系列、脚本:木皿泉、主演:小林聡美他)の中で、地味に働くだけの日常にふと疑問を持ち始めた信用金庫のOL(小林聡美)が、「私みたいな者でも、いていいんでしょうか」と漏らした問いに、アネゴ肌の大学教授(浅岡ルリ子)が「いて、よし!」と力強く答えるシーンを思い出した。
「ドラマの中の働く女たち」は、毎月25日に掲載の予定です。以前の記事は、こちらからお読みになれます。
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