2013.12.05 Thu
ドラマ好きの女性運動家たち
韓国ドラマの歴史は約50年。その間に約6万本ものドラマが作られたそうである(KBS演技大賞でのKBS社長の挨拶より)。単純に計算して毎年千本以上のドラマが作られてきたことになる。にわかに信じがたい話ではあるが、それほど韓国の人々がドラマ好きであること、ドラマにかける情熱が並大抵ではないことを物語っているかのようだ。
そして、ドラマといえばやはり視聴者の多くが女性であり(あった)、それだけでも私には韓国ドラマに対する親しみと興味がわいてくる。ドラマに描かれた内容ばかりでなく、そのドラマをみながら女性視聴者たちが泣いたり笑ったり怒ったりする様子を想像してしまう。彼女たちはドラマのどの場面で涙を流したり、笑ったりするのだろうか?と思うのだ。
韓国の女性運動家たちの中にもドラマ好きはたくさんいる。振り返ってみると、私が韓国でドラマを見るようになったのも、“慰安婦”問題解決運動で知り合ったY先生のお宅で一緒にドラマを見たのがきっかけだったような気がする。一人暮らしの先生は、留学生の私を気遣ってよく家に招いて下さったのだが、夜8時30分からの連続ドラマとそれに続くニュースを、ご飯を食べながら一緒に見たのをよく覚えている。
最近は、韓国の友人たち(たいていはフェミニストである)と会う時に彼女たちからドラマの情報を聞き出すのが一つの楽しみになった。“いまどんなドラマを見てるの?”“面白いドラマは?”などと質問すると、次から次へとドラマの題名が出てくるのが常である。そして彼女たちから評価が高いドラマは、やはり女性主人公の生き方にパンチがあるものや家族の描き方が斬新なものだ。
フェミニズムドラマの登場
それはさておき、韓国ドラマの歴史をひもといてゆくと、80年代末から90年代初めにかけて“女性主義(フェミニズム)ドラマ”と呼ばれた一群のドラマに出会うことができる。例えば、「半分の失敗」(全12話、KBS1989)、「女は何によって生きるのか」(全10話、MBC1990)が有名だ。
ドラマ「半分の失敗」の原作は、作家イ・キョンジャ(1948~・写真)の同名小説(1988年刊)である。この小説集は韓国という家父長的な社会のもとで生きる女性たちの現状を描き、ホットな話題になった。内容(小タイトル)は、嫁姑の葛藤、共働きの妻、暴力、夫の浮気、婚姻憑藉姦淫(結婚詐欺)、売春、性の疎外(1~2)、離婚、貧民女性(1~3)で構成されている。ちなみにイ・キョンジャは、韓国のフェミニスト詩人で1991年に亡くなった高静煕(コ・ジョンヒ1948~1991)を記念して創設された高静煕賞の第6回(2011)受賞者である。
ドラマの方は、第1話「嫁姑の葛藤」(写真)、第2話「共稼ぎ夫婦」、第3話「夫の浮気」、第4話「性の疎外」、第5話「暴力夫」、第6話「婚姻憑藉姦淫」、第7話「離婚女」、第8話「再婚」、第9話「婚需(嫁入り道具)」、第10話「婚前純潔」、第11話「疑妻症」、第12話「贅沢な女性」というオムニバス形式で描いた。脚本は現在も活躍中のソ・ヨンミョン(1953~)。「お宅の夫はどうですか?」(1993)「この夫婦の生き方」(2001)、「メシくれ!」(2009)などを書いた脚本家である。
フェミニズムドラマの代表作
1990年に放映された「女は何によって生きるのか」は、フェミニズムドラマの代表作と言われている。裕福な家の出身である主人公の女性が、結婚と離婚を経て、娘の死に直面しながら生きる姿を描き、人生とは何か、女の幸せとは何か、という真摯な問いを視聴者に投げかけたと評された。脚本はチュ・チャノク(1958~)、演出ファン・インレ。主人公ジョンヒをキム・ヘジャが演じた(写真)。彼女は「母さんに角がはえた」で60代の主婦ハンジャを演じた俳優である。長女役はキム・ヒエ、次女役はハ・ヒラが演じた。いずれも今ではベテラン俳優たちである。
主人公ジョンヒは裕福な家庭で育ち、ピアニストになるのが夢だった。しかし、家父長的な父親は「女の幸せは結婚だ」と言い、ジョンヒは見合い結婚をさせられてしまう。夫を女手ひとつで育てた姑は、ジョンヒが新居にピアノを運び込むことすらよく思わない。娘が生まれると、姑は喜ぶどころか嫁のジョンヒが産後の養生をすることすらも文句をいう。その上、夫は愛人を作って家を出て行ってしまった。ジョンヒは夫の帰りを待つのをやめ、意を決して離婚する。ピアノ教習所を開いて細々と暮らしながら娘を育てた。また、久しぶりに訪ねてきた元夫との一夜の関係で妊娠し次女が生まれる。
歳月がたち、ジョンヒは大学で教え、娘たちも成長する。長女は大学生になり、やがて卒業して放送作家になった。しかし、次女は勉強が性に合わず、大学に進学できない。自由奔放な性格で男性と交際し、ミュージシャンと結婚してしまう。子どもを二人産んだ頃にようやくジョンヒも次女の結婚を受け入れるが、そんな次女は間もなく骨肉腫にかかって死んでしまう。ドラマはジョンヒと二人の娘たちのそれぞれの人生を、淡々と温かく描いている。
このドラマは後に脚本家が戯曲に脚色して演劇にもなった。その際、ドラマに登場した男性たちはあっさりカットされ、「女性たちが集まって、自分たちの愛と友情、結婚と離別、生と死を吐露する、それこそ女たちのための女たちのドラマ」(シン・ジュジン2009)として一層フェミニズム的要素が明確になったそうである。
脚本家チュ・チャノク
このドラマの脚本を書いたチュ・チャノクの作品「女の部屋」(全52話、MBC1992~93)も注目されたドラマである。一つのアパートでルームシェアをしながら暮らす翻訳家、デザイナー、未婚の母の作家の三人の女性たちが主人公だ。この主人公たちを演じたのもコ・ヒョンジョン(「砂時計」、「善徳女王」)、ペ・ジョンオク(「花よりも美しい」、「おばさん刑事パク・チョングム」)、イ・ミスク(「孤独」、「最高だ!イ・スンシン」)という超豪華キャストである。
脚本家チュ・チャノクは韓国の中央大学校を卒業し、1987年にドラマ作家としてデビューした。チュ・チャノクの当時のドラマは、女性の描き方がそれまでの一般的なドラマの描き方とは異なっていると評価された。シン・ジュジンによれば、それまでのドラマでは女性たちが愛や結婚に受動的で、家族の犠牲となるように描かれてきたが、チュ・チャノクのドラマによってはじめて主体的な女性主人公による女性の物語が描かれるようになったという。
また、女性の描き方のみならず、テレビドラマに対する社会通念にも変化をもたらした。ドラマといえば、“女たちが家事をしながら見る安上がりの娯楽もの”、視聴率が高いほど低級で、社会に及ぼす悪影響を憂慮する声の方が高く、ドラマには“作品としての水準”や作家の声などはないものとみなされてきた。ところが、チュ・チャノクのドラマによってはじめてドラマが批評の対象となり、大衆芸術として社会的に認められるようになったのである。
チュ・チャノクのその後のドラマ(「サラン~LOVE~」(1998)、「輪廻-NEXT」(2005)、「ロビイスト」(2007)など多数)からはフェミニズムドラマとしての強いイメージはわかないが、それは韓国社会のその後の変化や韓流の興隆などを考えるとやむを得ないのかもしれない。しかし、チュ・チャノクの90年代初めのドラマ的傾向は、その後、ノ・ヒギョン(1966~:「私が生きる理由」、「嘘」、「悲しい誘惑」、「愛の群像」など)やイン・ジョンオク(1968~:「勝手にしやがれ」、「アイルランド」)というマニア作家に引き継がれることになる。
フェミニズムドラマが登場した背景については、また別の機会にゆずりたい。
写真出典
http://www.womennews.co.kr/news/51068 『女性新聞』1155号、2011-10-14
http://movie.daum.net/tv/detail/main.do?tvProgramId=53489
http://movie.daum.net/tv/detail/main.do?tvProgramId=53364
http://cue.imbc.com/TotalSearch.aspx?query=%EC%A3%BC%EC%B0%AC%EC%98%A5
カテゴリー:女たちの韓流