エッセイ

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「暮らしてみたい土地」に求めるものは― スペインエッセイ連載 第8回目 中村設子

2013.12.11 Wed


スペインは明るく楽しい国!?

ランキング上位にいつも顔を出すスペイン

 「住んでみたい国」や「定年後に移住したい国」といったアンケート結果を見ると、ヨーロッパに限っていえば、スペインはいつも上位にランキングされている。

明るい太陽とフラメンコ、そして陽気な人びと・・・といったイメージから、この国に憧れる人も多いのだろう。だが、そういう明るさは南に位置するアンダルシア州のもので、同じスペインでも、地域によってずいぶんと雰囲気が変わる。

例えば北西部には、「巡礼の路」のゴールであるサンティアゴ大聖堂で知られるガリシア州があり、ここでは雨が多く、深い緑に覆われた自然と穏やかな人びとが印象的だ。

①	アントニ・ガウディの「サグラダ・ファミリア」をひと目見ようと、世界中から観光客がバルセロナに押し寄せる。光や時間によって微妙に変わる造形美は何度見ても飽きない。

一方、地中海に面したバルセロナを州都とするカタルーニャ州は、スペイン経済を牽引しているだけあって、日本人のように働き者でまじめな人が多い。そういった地域ごとの個性が際立っている国だけに、旅人にとっても飽きることのない魅力にあふれているといえる。

 観光立国でもあるスペインは、このところの長引く不況で、仕事を求めて景気のいいドイツや北欧への移住を決意するスペイン人が後とたたない。その情景を「スペインの優秀な頭脳が、どんどん海外の企業に奪われている!」とさえ比喩されている。

「エリートの海外流失」減少は拍車がかかり、かつてエリートであったひとも、いったん職を失えば再就職は至難の技。なかには、結局、スペイン国内では、生活できるだけの職が見つからず、家族を連れてモロッコへ移住し、やっと生活に不安のない日々を送れるようになったという新聞記事も記憶に新しい。

そういう意味でも、生活費に困らないほどの資産家ではないかぎり、優雅に暮らせる国ではなくなりつつあるのだろう。

 スペイン人ではなく「カタルーニャ人」という気持ち

 もちろん働きながら暮らすためには、生活費を稼げるだけの仕事があるかどうかが大前提だが、私がもしどんな街に暮らしたいかとたずねられたら、概念だけでいえば、やはり「女性が働き続けられ、子育てしながら安心して暮らせる街」ということになる。

「安心」という意味では、子どもを安全に教育レベルの高い環境で育てられるということが重要だ。こうした点から見れば、社会福祉の整った北欧諸国や、学費の安いドイツが思い浮かぶ。

いちばん賑やかなランブラス通り

いちばん賑やかなランブラス通り

私が知るバルセロナでは、市の中心地、特に旧市街市の小学校では、大半が移民の子どもで占められている。「ひとクラスに、スペイン人は2~3人で、後はみんな移民の子どもたちだらけでびっくりした」という話も何人ものお母さんから聞いた。

そうした事情から、自分の子どもをなんとかより教育レベルの高い学校に入れたいと、学校探しにエネルギーを注ぎ、優秀な私学への入学を希望するカタルーニャ人やバルセロナ在住の日本人は多い。

今、ここで「カタルーニャ人」と表現したのは、バルセロナで生まれて育ち、カタルーニャ語に誇りをもっている人たちのことだ。彼らは自分たちの民族言語とスペイン語(=カステリアーノ)という、社会で公認された二重言語を、さまざまな生活場面で使い分けている。

便宜上、スペイン語を使いはするが、民族意識の強い彼らは、「スペイン人」である前に、自分たちは「カタルーニャ人」であるという揺るぎない確信のもとに生きている。その想いを受け入れることが、友達づきあいの上でも重要で、彼らを「スペイン人」と語っていい場合と、「カタルーニャ人」と表現しなければならない場面を、こちらは素早く察知しなければならない。

周囲にカタルーニャ州出身の以外の「スペイン人」がいるときは特にそうだ。この使い分けを間違えると、とんでもないことになるし、絶対に友達だと認めてもらえない。

バルセロナでは子どもの安全を守るのはたいへん

 子どもの安全面についていえば、バルセロナ市内では、親が学校の送り迎えは当然であり、子どもをひとりで歩かせて、自宅に帰らせるということなどあり得ない。そんな「非常識」なことをすれば、たちまち子どもの身に危険がせまるのだ。

私の友人(女性教師)の次男は当時、17歳だったころ、ひとりで学校から帰っていたとき、素行の悪い同じ学校の生徒たちに身包みはがされ、ボコボコにされた。顔に大きなアザをつくり、全身打撲の目にあった。

「細い裏道を歩いていたのが良くなかった」と彼女はいうが、年齢的にもう大丈夫だろうと油断してしまったらしい。

それくらい、この街で子どもの安全を守るためには用心が必要なのだ。あまりこうしたことを強調してしまうと、スペインの観光推進に関わっている方々からお叱りを受けそうだが、私たち日本人からすれば想像ができないほど、甘くない社会なのである。

 だが、ひとたび友達になると、会うたびに抱擁し、頬にキスをし合い、互いの健康や調子を気遣う仲となる。

この街では通りの四つ角ごとに、BARがあり、小さな小売店も多い。飲食店は大手ファーストフード店の台頭も目立つが、店主の個性や人となりで商売が成り立っている店がまだまだしっかりと存在している。

生ハム専門店のおしゃれなセニョーラ

生ハム専門店のおしゃれなセニョーラ

 こういう店の人と親しくなると、毎日のように、私のことを気にかけ、あるいは見守ってくれている人が〝今、ここにいる″と実感する。また子どもを可愛がってくれる人が多いことが、漠然とした不安を取り除き、心の拠り所へとつながってくるのだ。

年間使用料を支払えば、公共自転車が使える

年間使用料を支払えば、公共自転車が使える

大都会でも暖かい視線を感じられれば・・・

新聞や雑誌、おみやげ物まで売っているキオスク

新聞や雑誌、おみやげ物まで売っているキオスク

 私はスペインでの日々を思い出しながら、日本の地下鉄で居合わせた人たちの光景を、ぼんやりと眺めた。ここでは同じ車両の人たちの、おそらく半数近くがスマホに夢中になっている。間違いなく、彼らの気持ちはメールの返信やフェイスブックに集中している。わずかな時間を利用して、必死で他者と繋がろうとして人たち・・・。それはこのところの私自身の姿でもある。

地下鉄の駅から地上に出たとたん、冷たい夜風にさらされる前に、せめて「あなたの存在を認めていますよ」という手応えや、あわよくば、そこに暖かいメッセージでも見つけられれば、救われたような気持ちになる。

だが、私はできれば互いの目を見て、私と向き合ってくれる人が放つ見えない何かを、五感で感じたい。それは共感し合える価値観であったり、大切にしているものであったり、様々だけれど、世代や立場を超えて、毎日のように関わりが持てる場所がほしい。

このプラスアルファが、私にとっては結構重要で、暖かい眼差しと、気のきいたちょっとした会話がなければ、吹きすさぶ寒風が余計に骨身にしみてくるのだ。

カテゴリー:スペインエッセイ

タグ:くらし・生活 / スペイン / 中村設子