2014.01.05 Sun
「妻の資格」(全16話)は実に見応えのあるドラマである。夫や婚家の圧力で小学校5年生の息子とともに受験レースの真っただ中に飛び込んだ主婦が、ある男性との出会いをきっかけに“本当の幸せ”を求めて生きてゆくという物語。受験戦争の裏に潜む人々の欲望や学閥階級社会の実像をも見事に描いた奥の深い名作である。「冬のソナタ」から10年目に、進化した社会派メロドラマが登場したと言ってもよいだろう。日頃「韓国ドラマなんて」と思っている方がいれば、ぜひこのドラマをご覧いただきたい。ストーリーもさることながら、よく練られた脚本、独特の映像と俳優たちの演技の素晴らしさに、きっと魅了されるはずである。
主役はキム・ヒエとイ・ソンジェ、準主役はイ・テランとチャン・ヒョンソンである。キム・ヒエはこの演技で百想芸術大賞(2013年)ドラマ部門の女性最優秀演技賞を受賞した。その他、救急隊員や家政婦、セリフのない端役に至るまでオーディションを行うなど、配役に気を配った。その結果、ベテランの演劇俳優たちを登用し、ドラマの現実味が一層増したとのことだ。脚本のチョン・ソンジュと演出のアン・パンソクは、以前本欄で紹介した「アジュンマ」(2000~01)のコンビ。チョン・ソンジュはこのドラマで韓国放送作家協会が主催する韓国放送作家賞を受賞した。アン・パンソクはドラマ「白い巨塔」(MBC2007・山崎豊子原作)、映画「国境の南側」(2006)の監督としても有名である。
格差社会を生きる
ドラマの主人公は平凡な主婦のユン・ソレ。美大を卒業した後、放送局で美術部のデザイナーとして働き、そこで夫のハン・サンジン(チャン・ヒョンソン)と出会った。報道部門の記者である夫は、合理性と知性を持ち合わせた知識人を気取る典型的な韓国の男性である。民主化直後の1980年代末に大学に通ったせいで学生運動の経験もある。記者としては社会の不正に憤るポーズをとるが、実際には学閥を鼻にかけ、家父長意識を内面化した俗物である。
それでもソレがサンジンとの結婚を選んだのは、彼の条件に惹かれたからだ。高位官僚出身の舅に、姑は名門女子大出身のインテリ。さらにサンジンの妹(ミョンジン)は法曹界屈指のローファームを経営する大物弁護士の跡継ぎに嫁いでいる。父親を早く亡くして妹と肩を寄せ合って生きてきたソレは、そんな婚家に身を寄せることで、将来の安定した生活が保障されると思ったのだ。
ソレは結婚後もそれなりに良き妻、良き嫁になろうと努めてきた。赤ん坊の頃からアトピーと喘息に苦しむ一人息子のキョルのために、愛情を注ぎ、それこそ必死に生きてきた。キョルの病を克服することがソレの生きる目的であるかのように、毎日特別食をつくり、なるべく息子を自然の中で育てようとした。息子の勉強もソレの信念に基づいて独自に取り組んだ。本をたくさん読ませ、思考力を養わせようと、自分で教えた。塾には行かせず、はじめから“受験競争”とは距離を置いていた。その甲斐あって、息子が小学生になった頃には病の症状が少しずつやわらぎ、ユニークな思考のできる子どもに育った。
“私教育1番地”
ところが、夫の姪が超難関校といわれる国際中学に合格したことから、ソレの人生は急変する。夫をはじめ婚家の人々がキョルの教育に干渉するようになったのだ。彼らはキョルの病を克服し、それなりにしっかり育ててきたソレの努力をこれっぽっちも認めない。唯一の尺度は、子どもが上位1%に入れるか否か。国際中学に進学して米国の名門ボーディングスクール、名門大学へ進学させることだけが目標なのである。ついに夫は、「なんだかんだいっても人間は二種類だ。甲(勝ち組)と乙(負け組)。俺の息子は甲でなくちゃ!」と欲望をむき出しにするようになった。
そうして、ソレたちは婚家や小姑たちが住む“私教育1番地”の江南区大峙洞(テチドン)へ引っ越した。ソレはミョンジン(小姑)の指導を受けつつ大峙洞ママの仲間入りをしようとそれなりに頑張った。最初のミッションは、キョルを有名塾に入れることだ。そのための入塾テストも超難関。選考テストにビリで落とされ、受験競争の熾烈さを息子ともども味わわされる。
小姑をはじめとする大峙洞ママたちは、早朝からカフェに三々五々集って情報交換に忙しい。スマホの威力でそのスピードは目覚ましく、ソレやキョルに関する情報も一瞬のうちに大峙洞ママたちの知るところとなる。ソレは、塾に落ちたことで「まるで罪人になったようだ」としょげる息子を励まし、塾長のホン・ジソンに接近して直談判に挑んだ。その作戦が意外にも効を奏し、キョルは有名塾ジソン学堂に入学を許される。そんなことがあって大峙洞ママたちは一層ソレとキョルに好奇の眼差しを向けるようになった。
ソレは、大峙洞の独特な雰囲気の中で孤軍奮闘しはじめた頃、テオ(イ・ソンジェ)と出会った。ソレがいつも乗っている自転車を盗まれて犯人を追いかけようとしたところを、同じく自転車に乗って通りかかったテオが追いかけて、自転車を取り戻してきてくれたのだった。ソレはキョルを連れて行った歯科医院で再び歯科医のテオと出会う。テオは、離島の施設に暮らすソレの母親の往診治療を引き受けてくれた。それがきっかけで二人の距離は急速に縮まった。
テオはよりによって塾長ホン・ジソンの夫であり、一児の父親であった。テオとジソンは学生時代からの同志的なカップルとして、学内でも有名だった。だが、結婚後、学習塾を経営するようになったジソンは、次第に激しくなる受
験競争の波に乗り、今や江南で最先端の進学塾を経営するまでになっていた。テオはその経済力のおかげで歯科医院を開業し、ボランティア活動に出かけることができた。だが、受験市場の最先端を目指すジソンの生き方に同調できず、心が次第に遠ざかっていたのだった。自転車に乗る素朴なソレとの出会いは、そんなテオにとって心地よい安らぎを感じさせるものだった。
互いに家庭があり子どももいる二人は、十分に分別のある大人であり、無謀に走り出したりはしなかった。しかし、二人の姿を目撃した同じ学習塾のママたちによって、二人の関係はあっという間に“不倫関係”として既成事実化されてしまう。そしてミョンジンからサンジンへ、婚家へとこの“スキャンダル”が伝わった。キョルを犠牲にしてまでテオとの関係を進展させるつもりは毛頭なかったソレは、怒り狂うサンジンに対して、「それは誤解だ!」としがみついた。しかし、サンジンも婚家もまったく聞く耳をもたず、ソレはついに家から追い出されてしまう。
小姑のミョンジン(写真・右)は、荷物をとりに戻ったソレの髪をつかんで、「あんたは元々うちの人間になる資格がなかった。私の兄の妻、私の父母の嫁になる資格に欠けていた!」と罵倒した。だが、ソレはそんな言葉にへこまない。むしろ、自分がサンジンの“条件”に目がくらんで結婚したことが間違いだったことを悟るのだ。そして、キョルをソレから取り上げようとする婚家の人たちに、「あなたたちにはキョルの面倒を見る資格はない!」と反論する気概を見せた。ソレがこの後、どうなってゆくのかについては、ぜひドラマをご覧いただきたい。
“甲の横暴”
ところで近年韓国では“甲の横暴”という言葉があちこちで言われるようになった。たとえば企業の役員が飛行機で乗務員を殴りつけたとか、大企業が下請け会社を不当に搾取するという類の事件が後を絶たない。契約の主体としての単なる甲と乙ではなく、そこに主従関係や権力関係が内在している。このドラマでも、甲の立場にある人間たちはいたって暴力的だ。
その力関係は受験競争の場でもあらわになる。ミョンジンは、弁護士の夫ヒョンテがジソン学堂の法律顧問になった見返りに、塾長からSSAT(米国の私立高校入学用の統一試験)の門外不出の既出問題を入手した。国際中学の寮から週末ごとに戻ってくる娘に、この問題を解かせてボーディングスクールの入試に備えさせるのだ。明白な違法行為であるにもかかわらず、ミョンジンもヒョンテも、そして娘もそれを自分たちの“能力”として受け止めるだけである。しかもこれはドラマの中の作り事ではなく、現実に起こったことなのだ(拙著『女たちの韓流』p.116参照)。
ミョンジンとその夫ヒョンテの夫婦間にも、互いの実家を背景にした“甲乙”関係が存在する。ミョンジンはソレの“不倫事件”を知った時、そのことを夫には隠そうとした。実家での不祥事は夫や婚家に対する自分の立場を弱くするからだ。だが、この夫婦の“甲乙”関係は別の事件で一気に表面化する。それは、友人ウンジが実は夫の内縁の妻であり、中学生の息子までいるということがわかった時である。サンジンはミョンジンの兄の立場でヒョンテの裏切り行為を問いただそうとした。だが、かえって「私たちの立場が同じですか?」と反問されてしまう。この一言で、自分とヒョンテとの立場の違いに気づかされるのだ。つまり、サンジンは“一介の官僚”の息子に過ぎないが、ヒョンテは父親が大ローファームを経営する“甲”中の“甲”、“スーパー甲”の位置にある。だから何があっても文句は言えない、ということを。
“幸せは自転車に乗ってやってくる”
ドラマの中で、テオが拘置所にいるジソンと面会する場面がある。ジソンはSSATの試験問題を不正に入手したことが発覚して逮捕され、拘置所に入ったのだ。テオはジソンのために、学生の頃二人で愛読した『幸せは自転車に乗ってやってくる』という本を持って行き、その本を開いて下線をひいた一節を見せた。そこには「速度が限界を超えると、誰かが時間を稼ぐために必ず他人の時間損失を強要することになる」と書いてある。テオは「この本を置いていくからまた読んでみたら」とすすめた。だが、ジソンは「もう自分はスピード型の人間になってしまって元には戻れない。本は持って帰って」と答える。このドラマのエッセンスが象徴的に描かれた部分である。
この本を読んでみたくて検索すると、これはなんとイヴァン・イリイチのEnergy and Equity(1974)の訳書だった。韓国では朴洪圭氏(嶺南大学校法学部教授)の手でこんな素敵なタイトルになって紹介されていたのだ(形成社1990 / ミト2004:写真)。この本の中でイリイチは、自動車ではなく自転車を移動手段として使うことを勧めている。ちなみに日本語版は原題に忠実な題名が付されている(大久保直幹訳『エネルギーと公正』晶文社1979)。イリイチといえば『シャドーワーク』や『ジェンダー』という本しか知らなかった自分の不勉強を恥じつつも、本のタイトルによってこうも印象が違うのかと驚かされた。
この“幸せは自転車に乗ってやって来る”というタイトルは、韓国でエネルギーの消費量を減らすための活動やキャンペーンなどでもしばしば使われている。エネルギー問題を扱ったSBSのスペシャル番組のタイトルにもなった(2006-07-23放送)。いろいろと考えているうちに、故盧武鉉大統領が引退後に孫を乗せて自転車をこいでいる写真、知人の息子が自転車で世界一周旅行をしているという話、また、自転車が貴重な移動手段になっている父のことなどが、次々と頭に浮かんできた。
そして、最後にわが身を振り返ってみる。私はこの間ずっと車で通勤したせいで、すっかりスピード型人間になってしまったのではないか、と。この辺で自動車をやめて自転車通勤に切り替えるということを真剣に考えてもよいかもしれない。そしたらテオのような素敵な男性にめぐり会えるかも……、なんちゃって。
写真出典
http://asiandramalover.blogspot.jp/2012_04_01_archive.html
http://news.jtbc.co.kr/article/article.aspx?news_id=NB10098356
http://home.jtbc.co.kr/Photo/Photo_View.aspx?prog_id=PR10010069&menu_id=PM10012304&gall_art_seq=329
http://sbsespn.sbs.co.kr/news/news_content.jsp?article_id=E10000601009
http://home.jtbc.co.kr/Photo/Photo_View.aspx?prog_id=PR10010069&menu_id=PM10012304&gall_art_seq=280
http://home.jtbc.co.kr/Photo/Photo_View.aspx?prog_id=PR10010069&menu_id=PM10012304&gall_art_seq=316
http://home.jtbc.co.kr/Clip/VodClipView.aspx?vod_file_id=VO10015945&corner_no=1
カテゴリー:女たちの韓流
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画







