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精神医療につながれる子どもたち 秋月ななみ

2014.02.16 Sun

         発達障害かもしれない子供と育つということ。16

久しぶりに元夫のことを思い出した。娘に誕生日祝いに贈ったスプーンを見たからだ。娘の誕生日に仕事で不在なことがわかっていたため、夫と雑貨屋にプレゼントを買いに行った。私と元夫とで数点ずつこまごまとしたものを選び、綺麗にラッピングして貰った。夫に「これを誕生日に渡しておいてね」と頼んで、出張から帰ると、娘は夫が選んだ誕生日プレゼントを手にしている。「スプーンは気に入ったかな?」と聞くと、「そんなの貰ってないよ」。部屋に戻ると、ラッピングが破かれ、ご丁寧に夫は自分の買ったものだけ取り出し、私が選んだものは、破れたラッピングとともに放置されていた。

夫の側からすれば、「自分が選んだもの=娘への誕生日プレゼント」、「妻が選んだもの=自分とは関係ないから知らない」なのだろう。だからといってこんな風にゴミの様に扱わなくても…。発達障害者は変われないから我慢しろといわれても、私には無理である。とりあえずこのようなことが起こらなくなった(=日常生活が不用意に傷つけられる戦場ではなくなった)ことに感謝しながら生きようと思う。

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さて、いまのは単なる愚痴であって、今回の話には何の関係もない。今回は『ルポ 精神医療につながれる子どもたち』について書いてみたい。本で取りあげられているのは、統合失調症である。日本で統合失調症を早期のうちに発見しようとする風潮が、厚生労働省が補助金を出した「思春期精神病理の疫学と精神疾患の早期介入方策に関する研究」(平成19年~21年。後続研究あり)などによって推進されているという。結果として、不登校などのちょっとした思春期のつまずきが、「心の病」が原因である、統合失調症が原因であると解釈され、投薬されていると著者は指摘している。投薬の副作用によって、実際にひどい「精神病」のような症状が示され、それが統合失調症の根拠として増薬されていくというのだ。薬を原因として疑い、急激に減薬するとまた症状が悪化し、さらにまた増薬されてしまう。医師は減薬に協力しない。「誤診」に気付いた家族が、血のにじむ思いで自宅で減薬するしかない現状がある。また不登校や、授業中に落ち着きがないといったことから、学校の側が「心の病気ではないか」と医療にまわしたがる、さらに児童養護施設で子どもが「イライラ」したりして落ち着かないと、服薬を迫られるという事例に呆然とした。

さてこのような話がなぜ発達障害に関係しているかと言えば、子どもに容易に投薬される風潮を作ったひとつのきっかけが、発達障害へのリタリンやコンサータといった薬の使用にあるのがひとつ。しかし何よりも重要なのは、「統合失調症」と誤診された子どもたちの多くが、発達障害であることを見過ごされているということである。この本の後半はほぼ、発達障害にページが費やされている。発達障害の子どもがもつ過敏さや、人間関係のつくり方のぎこちなさ、乖離、フラッシュバックに、思春期が加わると、発達障害など微塵も疑われずに、「統合失調症」という診断がつく。あとは投薬され、薬漬けにされて、そこから抜け出せなくなる。なによりも発達障害の人は、薬に対して過敏性を持つ人が多い(本に出てくる医師によれば、「飲むことができてせいぜい…普通のひとの20分の1とか、その程度」)。副作用がいっそう増幅されていく。

こう聞くとかなり極端な少数の事例を誇張して、製薬会社や医師の利害を邪推するかのような「陰謀説」なのではないかと思う方も多いかもしれない。しかし製薬会社はすでに巨大なマーケットを必要とする利益追求業界でもある。個人的には、すでにこのような事例を身近に知っているために、「あり得ることだろうな」と大いに納得した。統合失調症への「誤診」だけでも実際に数件知っているし(またたとえば書籍でも、前回紹介した『自閉っ子のための道徳入門』の本に「その噛みつく方は、成育歴からいっても発達障害だったのですが、統合失調症という診断のもと精神科薬を大量に服薬していました。薬の副作用から神田橋先生がおっしゃる三次障害になっていたわけです」というような事例がまさに「さらっ」と出てくる)、「うつ病」と診断されてSSRIを投与された人の断薬の苦しみは筆舌に尽くしがたいようである(うつ病もここ20年ほどで重大な精神病から「心の風邪」キャンペーンで巨大な市場が作られた病である。

発達障害への「理解」(あくまでも鍵カッコつきであるが)は、近年急速に進んでいるのに現場は追いつけていないのが現状である(夫が診断を受けるための道のりは数年がかりの相当険しいものだった。そして診断がでたからといっても何も変わらない)。また発達障害には「遺伝性」があるために、どうしても認めたがらない、受け止めようとしない人もいると感じる。

少なからぬ本で指摘されているがおそらく、今までほとんど顧みられてこなかった「発達障害」という概念は、精神医療の根本を替えてしまうような概念なのだろう。そして発達障害という概念自体がまた本で指摘されているように、投薬と近いところにある。発達障害という概念が広まるにしたがって、とくに多動に関して、「(迷惑だから)投薬で押さえればいいのに」という意見が出てきているのには、確かに感じるし、かなりの危惧を覚える。しかもまだ発達途中の子どもに対してなのだ。

もちろん、投薬全てがいけないというつもりはないし、必要なときもあるだろう。私自身、専門家ではない。ただ「患者」やその家族にどれだけの知識があり、リスクが認識されているのかについてについては、慎重に検討されなければならないのではないかと思う。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

シリーズをまとめて読むには、こちらからどうぞ








タグ:子育て・教育

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