2014.03.15 Sat
産婦人科医、北山郁子さんの人生を追ったドキュメンタリー映画『潮風の村から~ある女性医師の軌跡』は、見るたびに新たな発見があり、そのときの自分の関心や心のありように響くものがある。
映画の主な舞台となる田原町(現田原市)は、愛知県東部、渥美半島の先端にあり、県の南端に位置する。半島の根元の豊橋市から、単線の豊橋鉄道渥美線に乗って南に揺られること30分。この、豊橋を中心に広がり、渥美半島を含む地域を「東三河」、岡崎を中心として四方に広がるあたりを「西三河」と呼ぶ。昔から「三河の人たちはよそ者を受け入れにくく、閉鎖的な土地柄だ」と言われることが多いのだが、確かに、そうした側面はあるように思う。西三河の、元農家の本家で育ったわたしには特に、そのことが身体で理解できる。
映画は、昭和24年、東京女子医学専門学校(現東京女子医大)を卒業してすぐの、当時23歳の北山さんが夫とともに地域医療をするため田原町にやってくるところから始まる。戦後すぐの、昭和20年代の農村社会がいかに閉鎖的であり、村の女性たちがいかに物言えぬ存在だったのかは想像に難くない。この時代に医師免許を持ち、東京で暮らした経験もある北山さんは、学歴や教養などという言葉からははるかに縁遠い地域の女性たちにとって、それこそ異星人のような存在だったのだと思う。映画を初めて見たとき、わたしは北山さんの感じたであろう孤独感や、医師として認めてもらえない無力感がいかに大きなものだったのかを想像した。そして北山さんの悲しみの反対側にある、彼女を苦しめた閉鎖性が、確かにわたし自分の中にもあったもので、それが自分の母や祖母、曾祖母たちを縛ってきたのだという思いにしばらく圧倒されてしまった。映画の中に登場する、腰の曲がったおばあちゃんの姿になぜか、涙があふれてしまったほどだ。
北山さんが夫とともに田原に降り立つシーンから始まる映画は、その後、北山さんの出身地、富山での幼少期へと人生をまき戻して進む。活動家の父親とおっとりした母親を、おおぜいの親類が囲む家庭の様子、富山から戦時中に進学を志した理由、東京での大学時代に熱をいれた共産党活動、夫との出会いと結婚、そして田原へ来てからの苦悩や葛藤、20代後半になり子育てと並行して愛知大学へ通い、産婦人科医としての仕事を始めたいきさつなどを、映画は次々と、セピア色になった古い写真の数々や北山さんへのインタビューを交えながらたどっていく。北山さんの語りは、ときに言葉を選んで慎重に、ときに明るく明瞭にと変化を見せながら、どれも、そのときどきの時代と彼女の人生を映していて興味深い。夫との関係性について回想するくだりや、今は隣家に住む三男とのやりとりなど微笑ましく、思わず声を出して笑ってしまう語りやシーンもいくつかあり、その言葉を聞いていて、この人は本当に率直な方なのだなぁ、と思った。わたしが2回目にこの映画に触れて一番印象的だったのは、この、画面を走馬灯のように流れていく北山さんの人生から想起された、誰もが持つ、人の一生の紆余曲折と時間の重さについてだった。
実はわたしは映画を見るまで、北山さんの存在を失礼ながら全く知らなかったのだが、彼女の活動家としての側面も、この映画ではいくつも垣間見ることができる。田原へ来てからの北山さんは、学生時代の熱を持ったまま積極的に運動に参画し、火力発電所の増設計画に反対する反公害住民運動を先導した。と同時に、日々の医療活動をとおして農村の女性たちと出会い、さまざまな形の妊娠や中絶、疾病と向き合う中で、正しい性の知識不足や女性の人権が守られていない状況が普遍的にあることを痛感し、70年代から若者への性教育の普及にも力を注いでいる。そのことは、北山さんの著書『女医の診察室から―渥美半島に生きて』や『少女たちへ―自分のからだと性を知ろう』に詳しいので、ぜひお手にとって読んでみていただきたい。「女性が自分の体の主人公として生きられる社会」というのは、今の日本では当然の権利として受け止められることが多いが(もちろんそうではない状況も同時に存在する)、70年代にはまだ、そんな認識は一般的ではなかった。北山さんはその頃から性教育の必要性を訴え、撮影当時86歳の現在にいたるまで、地域にとどまり、積極的に診療所の外へ出て、正しい性の知識を持つことの必要性や、「性」というのは人生そのものであることを伝え続けている。その活動には一見おっとりした口調や外見にそぐわない力強さがあり、彼女のバイタリティや魅力の一端をそこから感じることができた。
わたしがこの映画の3回目を見たのは、映画の製作に尽力された名古屋市の女性グループ「ワーキングウーマン」主催の、上映会と山上千恵子監督のトークショーのときだった。上映後のトークからは、ドキュメンタリー映画ならではの、撮る側と撮られる側のやりとりや相互に影響を及ぼしあう製作のプロセスなどを直接伺い、とても興味深かった。これだけ多面体な北山さんの人生を、多面体のままとらえ、1時間半弱の映画に収めた山上千恵子監督の製作に費やされた労力を想像しつつ、やはり女性の生き方をとらえ続けてきた山上監督だからこそ、こういう映像ができたのだと納得できた。また、この上映会のあと、グループの皆さんの、山上監督を囲んでのお話に同席させていただいたのがとにかく面白かった。うまく言葉にならないのだが、女性たちが連綿とつながりながら紡いできた「女縁」のネットワークや、女性の状況に変化を生みだすエネルギーの源泉のような熱を身近に感じ、この映画が、北山郁子さんという一人の女性に光を当てて描きつつ、製作のプロセスでそれらを体現していることも肌で感じることができた。
この映画をご覧になった皆さんは、どのように彼女の人生と女性たちの歴史を受け止められただろう。鑑賞後、わたしは彼女の句集『鄙の半島』をときおり開き読み進めながら、今もさまざまに思いを巡らせている。ぜひ、たくさんの女性たちに届いてほしい映画である。(中村奈津子)
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「潮風の村から」ーある女性医師の軌跡ー
2013年/日本/ドキュメンタリー/84分/HDV-CAM
制作・著作:ワーク・イン<女たちの歴史プロジェクト>
監督・構成:山上千恵子
撮影・編集・構成:山上博己
音楽:矢込弘明(ラップワーク)
ナレーション:竹森茂子
企画・製作協力 高野史枝 / 北山郁子さんの記録映画製作の会
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ
タグ:女性運動 / 仕事・雇用 / 女の健康 / 中村奈津子 / リプロダクティブ・ヘルス/ライツ / 山上千恵子 / 性教育